遺族代表謝辞

 『 遺族代表謝辞 』
 本日は、年末の押し迫った大変お忙しい中、故後藤ミサ子の告別式に参列賜り誠にありがとうございます。

 今から遡(さかのぼ)ること半世紀、松岡家は両親と、私より6歳年上の姉との4人家族でした。
 私が7歳の時、両親は離別し、母は家を出ています。
 故人が別姓を名乗ることになった所以(ゆえん)です。

 27年前に父が、8年前に姉が他界し、残されたのは二人だけでしたが、実に縁薄い母子だったと思います。
 母は、大洲に生まれ、内子、松山、今治と奔放に生きてきましたが、約40年前に訪れたこの大三島の地をいたく気に入り、終の棲家と決めたようです。

 恐らく周囲の方からは理解し難い、一言では語れない複雑な母子関係ですが、12月3日母から突然電話がありました。
 「生きている間に、あと何回会えるだろう」
 そう思い、二人の孫(故人にとって)を連れ、12月6日に島を訪れました。
 
 その時母は、「二人(孫)の顔を見られただけでも嬉しい。私が死んだら市役所が面倒を見てくれる。お前たちに迷惑はかけない。」と遺言めいた言葉を口にするのです。
 「まあ、そんなことは今考えなくても良い。また正月に来るから。」
 言い残して島を後にしましたが、結果それが最後に成りました。

 今にして思えば母は、自らの死期を悟っていたのかもしれません。
 12月24日クリスマスイヴの日、母は自宅で、たった一人で、誰にも看取られず、天に召されました。
 そして三日の昼、やっと発見されます。
 あまりに寂しく、あまりに呆気ない旅立ちですが、心臓発作ということで、苦しみは長くは続かなかったであろうことがせめてもの救いです。

 死後既に四日目となるため、できるだけ奇麗な状態でという配慮から、急な準備となり、広く周知もできず、遺影も、和尚の姿も、御経もない簡素な告別式となりました。
 本日火葬の後、縁(ゆかり)ある内子の地に連れ帰り、松岡家之墓に納める際、和尚のお導きを頂きます。

 奇しくも両親は、45年ぶりに一つ所で過ごす訳ですが、天国ではきっと仲良くやってくれるでしょう。
 最後に、薄情な愚息に代わり、故人とお付き合い頂きました大三島の皆様方の、生前の御厚情に心より感謝申し上げます。
 本当に、本当に、ありがとうございました。
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プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・尊敬する人 
稲盛和夫 西川広一 松下幸之助

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン
・趣味
 劇団AUGAHANCE初代代表
 主に脚本・演出を担当

・経歴 
 中卒後、大工・石工と職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業

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