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毎日開店の理由

 29日に、今年最後の契約を終えました。
 今日はいよいよ大晦日。
 これで正月を迎えられます。

 「年末はいつまで?」
 「年始はいつから?」

 よく聞かれますが、昨年同様、大晦日も元旦も無休で営業する予定です。
 返す言葉は、「やることも、行くところも無いので」。

 かつて、「年末の部屋探しはブラック」と位置付けられていました。
 「家賃払わないのなら、年内で出て行って!」
 そうやって追い出しのかかった方が、焦って部屋を探しに来ます。
 荷物満載の軽トラで乗り付け、「今日から住める部屋を」といった、笑えない話もありました。

 そういえば一昨年まで、年末年始、ゴールデンウィーク休暇は、一週間前後。
 繁忙期の2月、3月、店舗は無休営業、社員は週休一日とするため、年間休日数の帳尻合わせです。
 ブログも、正月明けまでの一週間分をストックしていました。
 ※ 実は本ブログも27日に書いています。

 さて、年末年始、GWといった期間、地元の方の一般的な物件探しは小休止。
 一方、帰省されている方が、将来的なUターンを見越し、物件を探す需要は幾許かあります。
 当てにする程ではありませんが・・・。

 昨年6月に開業して以来、皆様の御助力によって何とか飯が食えるだけの商いはさせて頂きました。
 押しつぶされそうに大きかった不安は、少しずつ萎んではいます。

 それでも、仲介フィーはフロービジネス。
 今年100できても、来年は0からの積み上げ。
 常に不安と葛藤の連続。
 しかしそれも、出社するだけで幾分和らぐ。

 仕事や来客の有無に関わらず、毎日開店する理由はそこにあります。
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体内に潜む病の芽

 NHK朝ドラ「ブギウギ」で、主人公のフィアンセが、結核の病魔と闘っています。
 自分の父親も結核を患い、59歳の若さで他界しました。

 自分が小学校6年の時、父は高熱と咳が長く続きます。
 受診したところ結核と診断されました。
 医師からは入院を勧められましたが、自分を預ける親戚も無かったため・・・。
 というよりも、恐らく入院が嫌だったため、通院治療の道を選択します。
 この時入院していれば、きっと1年で回復していたことでしょう。

 今でこそ馴染みの薄い結核ですが、戦前1940年頃は日本人の死亡原因のトップでした。
 500人に一人という死亡率の高さからすれば、不治の病と恐れられるのも道理です。

 戦後、抗生物質が処方されるようになると、事態は劇的に改善しています。
 しかし、世界的に見ると約1千万人が発症する等、過去ではなく現代の病です。
 一説によれば、人口の三分の一が感染しているとか。
 このデータからも読み取れる通り、感染=発症ではありません。

 自分は12~15歳までの3年間、父と二人で暮らしていました。
 文字通り寝食を共にしていた訳で、普通に考えれば感染しない方がおかしい位でしょう。
 あれから46年。
 父の年齢を追い越し、こうして健康に居られることには、大いに感謝する次第です。

 古今東西、老若男女問わず、体内には多くの病の芽が潜んでいます。
 加齢や不摂生によって、免疫力が低下した隙をついて、その芽が首をもたげてきます。
 年齢に関係なく、充分な睡眠と摂生を心がけたいものです。

真の支配者

 自民党が揺れに揺れています。
 結党以来最大の危機とする有識者も少なくありません。

 そんな中、トップたる岸田首相の決断力や実行力に疑問の声が上がっています。
 就任前、「聞く力」を標榜していましたが、聞くだけで何も決められない、何もやらないと揶揄される始末です。

 徒(いたずら)に擁護するつもりはありません。
 しかし、少しばかり組織論を学べば、彼の立場は理解できます。
 会社に例えれば、彼は雇われ社長です。
 周知の通り、小生も長く雇われ社長を務めてきました。

 言わずもがな、社長は会社の最高責任者。
 しかし、会社の真の支配者は株主。
 それが資本主義の原理原則です。

 株主の機嫌を損ねれば、鶴の一声で解任され、ただの人に成り下がります。
 従って、多くの雇われ社長は、日和見な言動を余儀なくされます。
 時に、「資本家の決済が得られないから」と云った、軟弱な言葉も吐露せざるを得ません。

 すると、社員も取引業者も、「この人は実権の無い、名ばかり社長なんだな」と見透かします。
 皆、目の前の社長の頭越しに、資本家を見る様に成ります。
 こうなると、社長の存在感は地に堕ちます。

 第二次安倍内閣が、戦後最長となる8年近く(2,822日)に渡って長期政権を維持できた理由は、大派閥の領袖として実権が伴っていたからでしょう。
 昨今、派閥の是非、功罪が指摘されてはいますが、実権を有せずして政(まつりごと)は行えない。
 これだけは揺ぎ無い事実です。

 では、派閥のパワーバランスは絶対なのか、というと必ずしもそうではありません。
 かつて「自民党をぶっ壊す」とぶち上げ、「この人で無いと選挙を戦えない」と思える程に民意を集めた方も居ました。

 何れにせよ、会社も政治も、力のあるリーダーの台頭が望まれます。

驕れる愚者

 おかげ様で12月は忙しく過ごさせて頂きました。
 25日に物件査定書提出、26日に二件の賃貸契約を完了。
 27日にご案内、28日に今年最後の献血、29日に最後の賃貸契約。
 ラストウィークもなかなか仕事が納まりません。
 文字通り嬉しい悲鳴です。

 11年間務めた職人道に終止符を打ち、ビジネスマンに転身したのが27歳。
 それから34年に渡って、接客業に携わってきました。
 
 最初に任された某菓子店は、思いの他好調で、沢山のお客様に恵まれます・
 しかし、商売も接客も全く分かっていない自分は、その盛況を当たり前としか思いません。
 
 お客様の前で従業員を叱責したり、
 遠隔地の配達を気分で断ったり、
 閉店後のお客様を門前払いしたり・・・。

 お客様が想定以上に来られると、有難みが薄れ対応が淡泊に成ります。
 客足が遠のき、売上が伸び悩むと、なんで来て下さらないのか、と憤ります。
 今にして思えば、何と身勝手なことか。
 まさしく愚の骨頂です。
 
 驕れる愚者も、頭を打たれる度に少しずつ学んできました。
 自営に成って二年目の年の暮れ、改めてお客様の有難みを噛みしめています。

最高のプレゼント

 この時期の定番の質問。 
 「サンタさんの存在は、いつまで信じていましたか?」
 自分は明確に答えられます。

 何故なら7歳のイブ、わくわくして床に就いたものの、翌朝の枕元を幾ら探してもプレゼントは見当たりません。
 その時のショックも然ることながら、プレゼントを貰った友達の話を聞くのが、殊更苦痛でした。

 周知の通り小生は、27~30歳にかけ某菓子店を任されます。
 この3年間で、決定的にクリスマスが嫌いに成りました。

 先ずは11月頃から、ケーキの予約取りがスタート。
 そして12月24日はケーキの集中日。
 来店客も桁外れに多くなりますし、夥しい数の配達も控えています。
 予約の取り置き忘れや、ロウソクの付け忘れや、型崩れ等のクレームもありました。
 この時の経験は今でも尾を引き、クリスマスソングが流れると少し憂鬱な気分に成ります。

 今年、某百貨店が販売した、ケーキの型崩れが900個に及んだことが世間を騒がせています。
 楽しみを台無しにされた、家族の想いは想像に難くないでしょう。

 今を遡ること109年前。
 1914年7月に開戦した第1次世界大戦は、数ヶ月に渡る戦闘の後、双方合意のもと一旦武器を置きます。
 迎えたクリスマス、中間地帯を越えて、敵の兵士たちとプレゼントを交換したり、サッカーの親善試合をしたり。
 歴史的なクリスマス休戦です。

 再び時は現代、パレスチナやウクライナでは戦禍が続いています。
 各国が呼びかける、停戦合意もまま成りません。

 サンタさんが来なくても、ケーキが多少崩れても、日本に生まれただけでこの上ない幸せと言えましょう。
 最高のプレゼントは、当たり前の平和です。 

サビキ釣り折衝

 自分は元来、短気で好戦的な人間です。
 しかし、第一印象の物腰の柔らかさから、勘違いされたり、なめられることもあります。
 
 随分昔の話ですが、車を走らせる夜道、一時停止で停まったところで後続車に追突されました。
 ことを荒立てることは無いと思い、相手の方に「どうしましょうか?」と冷静に呼びかけます。
 状況から見て100:0は明らかなので、警察を呼ぶか否か(本来呼ぶべきです)、保険を使うか否か、何処の修理工場に入庫するか、といった今後の流れを相談したつもりです。

 ところが、相手の反応には耳を疑いました。
 衝突個所を手で撫でながら、「こっちの方がへこみは大きいけど、まあ堪えましょうわい。」
 こちらが下手に出たことで、恩着せがましくマウントを取れば逃げ切れると思ったのでしょう。
 
 そう出られたからには穏やかではいられません。
 声を荒げて「警察を呼ぶ!」と激昂する自分に相手は驚き、態度を一変させて平伏します。
 「申し訳ありません!警察は勘弁して下さい!修理代は全部もちますから!」 
 相手の職業は公務員でした。
 今にして思えば、お酒が入っていた可能性もあります。

 穏やかに接することで、相手が気を弛め、ついつい邪悪な本音が頭をもたげる。
 ある程度まで泳がせた上で、決定的な言質を引き出す。
 そこで急にスイッチが入り、態度が豹変する。
 撒き餌に群がる魚を釣り上げるサビキ釣りの様に・・・。
 
 我ながら、実に扱い辛い、誠に面倒くさい性格だと自認しています。

ひとりの匙加減

 今年も残すところ一週間余りに迫った日の午後、某法人から連絡が入りました。
 「急な話で申し訳ないが、1月から入居できる賃貸住宅を2戸確保して欲しい。」

 年明けから始まる公共工事に携わる方の宿舎です。
 11月頃から話し掛かりがあり、数少ない物件情報を提供し、早めの申込を促していましたが、社内の体制が整うのがこのタイミングと成ったのでしょう。
 
 賃貸仲介業界では、「年末急ぎの入居希望者は断れ」が常識。
 所謂、家賃滞納の常習犯で、追い出される方がいらっしゃるからです。
 法人は上場企業なので、その心配こそ無いものの、年内契約となると数日しか猶予はありません。
 何れも弊社として初めて契約させて頂く物件のため、データ集めに手間がかかります。

 先ずは二人の大家さんに連絡して状況を告げ、物件を仮押さえ。
 超特急で重要事項説明書と契約書(案)を作成し、ドラフトをメール送信。
 翌日に大家さんを訪ね、契約内容の確認。
 週明けに松山の営業所を訪ね、契約押印。
 銀行営業日最終の29日に、契約金の入金。
 正月明けに鍵渡し、という手筈を整えた次第です。

 今回ご契約頂く二物件は、以前からお声掛け頂き、ご紹介とご案内を重ねても、なかなか成就しませんでした。
 心苦しく感じていましたが、何とか年内ぎりぎりで決められて、ほっと胸を撫でおろしています。

 ちなみに、25日で仕事納めとなる前職の会社では難しかったかもしれません。
 土日祝も水曜日も年末年始も、無休の姿勢が奏功したとも言えるでしょう。
 
 弊社は文字通り零細企業ですが、休みも営業時間も、受ける受けないの判断も、自分ひとりの匙加減。
 会社の都合よりも、お客様のニーズを優先して臨機応変にお役立ちする。
 それが、還暦にして独立を決めた一つの理由でもあります。 

疑心暗鬼か被害妄想か

 普通預金通帳と云えば、昔は一人で何通も作れました。
 自分も幾つかの口座を持っていますが、大変なのは管理です。
 目下メインバンクに集中させて、他を整理中。
 ところが、整理した筈の口座から、カード会社名義で毎年1,078円ずつ引落されています。

 その昔に契約したのでしょうけれど、一切利用していないし、手元にカードもありません。
 そこで、解約すべくカード会社のHPを訪ねますが、最近の常として電話番号は載ってない。
 よくある質問が掲載されクリックすると、〇〇の場合はこうですといったケーススタディが列記されているだけ。
 メール問い合わせすら制限されています。

 チャット欄のメッセージに解約したい旨を告げても、「文章ではなく単語で入力下さい」とけんもほろろ。
 暫くやり取りを重ねた結果、オペレーターに相談したい方はこちらへと表記され、やっと電話番号が判りました。
 
 一番近い広島に電話をしてみると、当然の如く流れるのは音声ガイダンス。
 〇〇の時は番号の1を、▲▲の時は番号の2を・・・。
 その操作を何回か繰り返して、やっとつながるかと思いきや、
「ただ今回線が混み合っています。このままお待ちになるか、時間を置いておかけ直し下さい」を繰り返し、音楽が流れ出し、そのまま20分が経過。

 埒が明かないと思い、左手の携帯電話をスピーカー状態でつなげたまま、右手に固定電話の子機を持ち東京のコールセンターへ、二刀流の荒業を繰り出します。
 30分後、遂につながり、要件は3分で終了しました。
 最近ポピュラーに成ってきたこのシステムに、抵抗を感じるのは自分だけでしょうか。
 
 物腰は柔らかで言葉は丁寧でも、
 「こちとら忙しいんだから、つまんないことでいちいち電話して来るな!
  ありとあらゆる事例をホームページに掲載しとくから、電話する前に良く確認しろ!
  20分も30分も保留状態で待ってるなんて、どんだけ暇人なんだよ! 
  お客はお前だけじゃないんだからな!」
 疑心暗鬼か被害妄想か、そう言われている様な気がします。

通信の使い分け

 値上げのニュースはもう珍しくもありませんが、来秋から郵便料金が値上がりします。
 ・ 葉書  85円
 ・ 封書 110円

 自分が物心ついた昭和40年当時、葉書は5円、封書は10円でした。
 この昭和40年を基準に、令和4年の消費者物価指数を測ると4.3倍。
 ところが郵便は十倍以上ということに成ります。
 勿論、当時は国営ですから、単純比較はできません。
 利用客が少なくなっているための値上げとはいえ、これにより更なる郵便離れが加速しそうです。

 昔は、通信手段といえば専ら郵便でした。
 イレギュラーとして、緊急時には電報です。
 やがて、各家庭に電話が普及してきます。

 幼少期は貧乏だったこともあり、家に電話はありませんでした。
 小学校6年の時、我が家の居間に初めて電話が鎮座します。
 ダイヤル式の黒電話です。

 その後、父が病の床に臥せ、生活保護を申請。
 当時の受給基準として、電話は贅沢品として扱われていたため、僅か数ヶ月で手放すことに成ります。
 今の固定電話の番号を取得したのは、成人した後です。

 その頃、マイクロカセット内臓の留守番電話は時代の最先端。
 帰宅後、点滅ランプを確認し、どきどきしながら再生ボタンを押したものです。

 想いを伝えるために送った、手紙や葉書も枚挙に暇がありません。
 40年後、これほど通信手段が多様化するとは、予想だにしませんでした。

 携帯電話、メール、ライン、SNS・・・。
 今や、一斉に、瞬時に、手軽に、低廉に、通信が可能です。
 間違いなく便利な世の中に成りました。
 
 それでも、時と相手と場合により、電話やメールで済まされないこともある。
 その使い分けを、間違えない様にしたいものです。

迫りくる氷河期

 一年前に独立する際、開業場所を何処にするか、大いに悩みました。
 自分が40代なら間違いなく、県都松山を選択していたでしょう。
 
 愛媛県の人口は1985年の153万人をピークにして、減り続けています。
 今年3月、130万人を割り込んだことがニュースで報じられました。
 
 「過去の将来推計人口」
 2015年公表 139万人 → 45年後 81万人
 2022年公表 134万人 → 38年後 78万人

 予想よりも早い速度で減少する様子が判ります。
 過去の拙文でも、同じことを述べてきました。
 4割減とは言いますが、全自治体が同じ割合で減るのではありません。
 
 「自治体別人口減少率」 ※2020年比
 松山  = 51.1万人 → 36.1万人 ▲29%  
 八幡浜 =  3.2万人 →  1.1万人 ▲66% 
 宇和島 =  7.1万人 →  2.6万人 ▲64% 
 内子  =  1.5万人 →  0.6万人 ▲62% 
 大洲  =  4.0万人 →  1.6万人 ▲60% 
 伊方  =  0.8万人 →  0.2万人 ▲77% 

 松山は3割減に留まりますが、南予の主要都市は軒並み3分の一に落ち込みます。
 伊方町に至っては4分の一の1,898人・・・済美高校の生徒と先生との合計とほぼ同レベルにまで激減します。
 
 数字をシビアに分析し、中長期的に見れば、どう考えても南予で開業すべきではありません。
 自分の今の年齢(61歳)からすると、最前線で現役を張れるのは残り10年と考えています。
 その向こう10年間に、空き家仕舞い需要が高まるのは自明の理。
 実際に、査定依頼は確実に増えつつあります。

 そして、問題はその後。
 季節であれば、凍てつく冬を凌げば、必ず暖かい春が訪れます。
 しかし、人口減少の先に待ち受けるのは、花も咲かない草も生えない氷河期です。

 そんな絶望的な将来推計に抗うべく、郷土のために何かお役立ちできないか。
 微力ながら日々、ささやかな知恵をめぐらせています。 
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン

・経歴 
 雄新中卒業 → 新田高校中退
 大工・石工と約十年職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業
 令和2年 ㈱南洋建設 代表兼任
 令和4年 ㈱たんぽぽ不動産起業

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