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水入りの時間

 不動産の契約は下駄を履くまで判りません。
 先日の契約でも、改めて思い知らされました。

 売主様、買主様、お揃いの中、一時間かけて重要事項説明。
 その後、契約書内容のご説明。
 御署名を頂き、後は押印を残すのみ。
 そこで買主の奥様が一言、「申し訳ありません。持ち帰らせて貰って良いですか・・・。」

 これまで、キャンセルは何度も経験していますが、押印直前は初めてです。
 中古住宅の場合、重要事項説明が丁寧であればある程、リスクが浮き彫りになる点も否めません。
 説明が進む程、曇る表情に気付いてもいました。

 その後、「いや、やっぱり契約します・・・。」と前言撤回。
 売主様や弊社に対する申し訳なさや気遣いから、空気を読んだ言葉でしょう。
 しかし、その目には明らかに迷いが伺えます。
  
 お話しを中断し、御夫婦でじっくりお話しして頂くことをご提案しました。
 本来、営業が自ら土俵を降りることも、水を入れることもタブー。
 その危うさを充分知った上で、敢えての判断です。
 とはいえ、待つ時間は大変長く感じます。
 30分後、再び現れたお二人の表情は晴れ晴れとしており、無事御契約を見届けることができました。

 若い頃ならきっと、「ここまで来て今更」という自分本位な思いが顔に出たでしょう。
 勢いに任せて押印を迫ったかもしれません。
 還暦を過ぎた今だからこそ、お客様の気持ちに寄り添えます。
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十万石の城下町

 南予最大の都市と言えば、伊達10万石の城下町宇和島市です。
 
 1990年代の宇和島は、高速道路も無く、大手デベロッパーが入り込み難いエリアでした。
 前々職の会社J社は、そのニッチな市場に目をつけ、次々と分譲マンションを供給します。
 弁天、新田、中沢、伊吹、伊吹Ⅱ、明倫・・・。
 何れも思い入れ深いプロジェクトです。

 当時人口は減少傾向にあり、景気は必ずしも良かった訳ではありません。
 それでも、まだ良い時代だったなと、今なら言えます。
 以下は、人口推移です。

 1965年 122,000人
 2005年  92,000人(合併:宇和島、三間、吉田、津島)
 2015年  77,000人
 2023年  69,000人
 
 半世紀程の間に、約半分にまで減少しています。
 更に、今後の推計です。

 2045年  51,000人
 2060年  35,000人

 この流れには抗えません。
 目の前のお客様は、確実に減っていきます。 
 果たして、ゆで蛙の行く末は如何に。
 座して死を待つか。
 リスクを承知の上で勝負に打って出るか。

 売上を上げる方法は三つ有ります。
1. 占有を高める
2. 商品を増やす
3. 地域を拡げる

 いつから、何を、何処へ、どうやって。
 安穏としている時も、考えている間も、湯の温度は確実に上昇しています。

お金の調達と使途

 拙文でも度々取り上げてきた、キングカズこと三浦知良選手の日経新聞連載コラム。
 先日の言葉は、タイトルである「サッカー人として」のみならず、「人として」心に刺さりました。

【人間だから「天国」を考えてしまう。
 頑張ればその目的地にたどり着くのではと。
 でも天国は逃げて行く。
 1億円を手にしたら人は満足するだろうか?
 どうしたらその1億円を10億円にできるか・・・
 考え始めるんじゃないかだろうか。
 1億円が使い放題で遊び倒せる天国より、
 その1億円を目指して頑張っている時の方が、
 案外幸せなのかもしれないね。
 何かを掴もうとしているけれど、掴みきれない。
 それでも掴むために進んでいく。
 意味のあるなしに揺さぶられたとしても・・・。
 僕もまたそうした人間の一人なのだと思う。】

 私の様にお金儲けの下手な人間は本来、この言葉を全面的に支持し得る立場にはありません。
 自らの身の程は、しっかり弁えています。
 
 それでも、この世に生を受けてから今日に至るまで60有余年。
 少しばかりの成功と、枚挙に暇ない数々の失敗体験から、お金の大切さ、お金の怖さ、お金の虚しさは、人一倍教えて貰いました。

 真の価値は額の多寡ではなく、調達と使途。
 そのお金をどうやって得たか。
 そしてそれをどう使うかです。

最初で最後の一日

 ヴィジュアル系バンド「BUCK-TICK」のボーカル櫻井敦司さんが、脳幹出血のため急逝しました。
 
 その日、桜井さんはいつも通り、横浜のステージに立っています。
 1曲目、2曲目、3曲目・・・。
 体調不良から、コンサートは中止。
 救急搬送され、僅か数時間後には帰らぬ人と成りました。
 
 家族もスタッフも会場の観客もファンも、突然の訃報を信じられない気持ちで受け止めたことでしょう。
 何よりも櫻井さん自身、明日が来ないとは思いもしなかった筈です。

 ワタミフードサービス創業者の渡邉美樹氏が、人の生と死についてこう語っています。
 
【人生は砂時計。
 砂時計の上部には約3万枚のコインが納められている。
 この世に生を受けた時から、砂時計のコインは一日一枚ずつ下へ落ちて行く。
 すべて落ちきったら天寿を全うした人生。
 ところが、その中には一枚だけ金のコインが混ざっている。
 その金のコインが落ちたら、残りのコインも全て落ちてしまう。】

 今日を生きる我々も、平均寿命年齢まで生きられる保証はありません。
 事故、事件、災害、疾病・・・。
 日々、四六時中、金色のコインが落ちるリスクに晒されているのです。 
 でありながら、まるで永遠に生きられるかの様に錯覚し、今できることを明日に先送りしながら、最後の一日かもしれない今日を、自堕落に生き続けています。

 明治、大正、昭和を生きた哲人中村天風氏の至言。
 「今日は残された人生の最初の一日」
 しかし、
 「今日は残された人生の最後の一日」・・・に成るかもしれません。

深い懐と広い心

 あまり見ることの無かったNHKの朝ドラですが、前作「らんまん」からルーティンに成りました。
 今の「ブギウギ」は、敗戦に打ちひしがれていた日本人に元気を与えた「ブギの女王」笠木シヅズ子さんがモデルです。

 世界恐慌の煽りを受け、歌劇団はリストラの憂き目に遭います。
 団員達は、解雇された仲間を呼び戻すため、山寺に籠りストライキを断行。
 見返りとして大きな代償を払うことと成ったものの、最終的に会社は全面的に条件を受け入れました。
 山寺から戻ってきた主人公は、母親に心配かけたことを詫びます。
 それに対する、母親の返しは至言です。
 
 「子供は親に心配かけてなんぼや。
  親冥利に尽きるわ。」

 自分は、6歳離れた亡姉と二人姉弟。
 姉は親譲りの奔放な性格で、心理的にも経済的にも、周囲には度々迷惑をかけています。
 対して自分はと言うと、幼少期はともかく、大人に成ってからは手のかからない子供でした。
 親を頼ったり、助けて貰ったことは、皆無です。

 だからといって決して、品行方正だった訳でも、しっかりしていた訳でもありません。
 どちらかというと、頼るには余りにも頼りない親であったため、頼らなかっただけです。
 とはいえ、親から見れば、さぞかし可愛げのない子供であったとも思います。
 
 それは会社組織に属してからも同様。
 上司の皆様の、深い懐と広い心に支えられて自分の今日があります。
 今と成っては感謝しかありません。

キャッシュは血液

 4大キャリアの一角を占める、ソフトバンクと楽天の経営危機が取り沙汰されています。
 しかし、その根本は全く違っています。

 誤解を恐れずに言えば、ソフトバンクは投資会社です。
 投資した会社の株価が上がれば、時にトヨタ超えの利益を叩き出しますし、株価が下がれば巨額の赤字に陥ります。
 キャリアとしての安定した収益もあり、目先の資金繰りに苦慮することはありません。

 一方、楽天は事情が異なります。
 初期投資である基地局設置で苦戦し、巨額のキャッシュアウトが続いています。
 子会社を上場させたり、私募債を発行したり、目先の資金繰りに四苦八苦。
 携帯契約者も思うように伸びず、危機打開の道筋が見えてきません。

 そもそも、ソフトバンクがキャリア参入するきっかけは Vodafone の買収でした。
 即ち、最初からある程度インフラは整っています。
 対して楽天は、ゼロからの積み上げ。
 国策的な誘導に乗る形で、第4のキャリアに名乗りを上げた楽天は、まさしく火中の栗を拾う格好に成りました。
 
 改めて、キャッシュは企業にとって血液です。
 健康診断で健康体のお墨付きを得たとしても、病気知らずの強靭な肉体を誇ったとしても、大量の血液が流出したらあっという間に命は絶たれます。 
 
 子供の内は献血できません。
 成長して大人になると、状態によって200mlまたは400mlまでの献血が可能に成ります。
 重要なのは、己の分を弁えることです。

門戸を拡げる武器

 御承知の通り、私の最終学歴は中卒です。
 データから少し掘り下げます。

1 「年齢別の最終学歴」
 20代  6.3%
 30代  5.3% 
 40代  5.4%
 50代 11.0% 
 60代 26.4%
 70代 42.3%
 80代 53.8%
 
 間もなく61歳を迎える私の世代であれば、十人中1~2人の計算ですが、周囲には殆ど見当たりません。
 その理由の一旦が、次のデータから見て取れます。

2 「学歴別の正社員比率」
     全 体  正社員
 中卒  14%  35%
 高卒  45%  56%
 専短  23%  66%
 大学  17%  81%

 学歴が上がるに連れて、正社員と成る確率が高く成る傾向が顕著です。
 中学卒業後、家計を助けるために就職したり、職人や美容師の見習いに志願したり、バイトをしながらメジャーデビューを夢見たり、はたまた単純な挫折もあるでしょう。
 改めて、16~27歳までの11年間を振り返れば、周囲に中卒の方は沢山いらっしゃいました。

 仮に、進学の是非を問う質問を受けたとすれば、自分は声を大にしてこう答えます。
「既にやりたい仕事が見つかっているなら、迷わずその道に進めば良い。
 見つかっていないのなら、上を目指すのが最善手。
 低学歴人間の職業選択範囲は極めて限定的。
 やりたいことが見つかった時に、そこを目指せない可能性がある。」

 平たく言うと、大学卒業後に職人を志すことはできても、中卒者は上場企業の入社面接にすら進めないでしょう。
 成りたい自分に成る、夢を叶える、その門戸を拡げるための武器・・・それが学歴です。
 中卒社長は低学歴を、卑下も奨励もしません。

ねんきん定期便

 先日、「ねんきん定期便」が届きました。
 年金受給は原則65歳から。
 事情によって、一部を繰り上げることも、全てを繰り下げることもできます。
 繰り上げれば年金額は減り、繰り下げれば年々増えます。
 
 厚生年金には「経過的加算」という制度があり、加入期間が40年に満たない場合、働き続けていれば毎年2万円ずつ年金額が加算されます。
 自分の加入期間は、職人時代の国民年金が8年、会社員としての厚生年金が33年なので、このまま働き続けていれば、今の予定額よりは10万円以上加算されそうです。

 また65歳以降も会社で働き続けていた場合、「在職定時改訂」という制度に基づき、毎年年金額が増えます。
 仮に月収20万円の方であれば、年13,000円増です。

 我々にとって、もっと切実なのは「在職老齢年金」の上限規制でしょう。
 年金を貰いながら働く場合、所得合計が一定基準を上回ると、超過額の2分の1の年金がカットされてしまいます。
 この上限額、従前は28万円でした。
 < ex. >
  年金15万円 + 給与35万円 = 合計50万円
  月収50万円 - 上限28万円 = 超過22万円 ÷ 2 = 11万円カット
  つまり、月15万円貰える筈の年金が僅か4万円に成ってしまうということ。

 これでは勤労意欲に水を差す・・・ということで、この度上限額が48万円に改訂されました。
 即ち、先述のケースにおいてカットされるのは1万円だけで済みます。  

 小生も、今月末には61歳。
 この歳に成ると老後を意識せざるを得ません。
 この先何歳まで働くか?
 いつから年金を受給するか?

 生きていく上でお金は必要でしょう。
 しかし、働くことの意義は、必ずしもお金だけではありません。
 必要とされる限り、働き続けたいものです。

神を祀る建物:後編

 その後しばらくN氏と母は、スナック「社」の裏で生活していたものの、早々に二人の関係は軋み始めていました。
 ある日突然、母が失踪。
 怒り狂ったN氏は店で暴れ、警察に逮捕されます。
 この一件は、当時の愛媛新聞にも掲載されました。

 相手が相手だけに、ここまで話が拗れると、一筋縄にはいきません。
 この世界における、不始末を犯した際のけじめは「指つめ」。
 いわゆる、小指の第一関節を切断し、それを相手に献上して詫びを入れるのです。
 人によっては不始末を繰り返し、左右の指が3本しか残っていないといった強者もいらっしゃいます。

 閑話休題。

 さて、この後果たしてどう収拾したかというと・・・。
 今にして思えば、神風が吹いたとしか言い様がありません。
 先のN氏は、この一件のみならず、他にも様々なトラブルを抱えていたらしく、何とY組から破門。
 破門されると、組織での地位を失います。

 母は逃げる必要が無くなり、再び島に舞い戻ることができたのです。
 大洲生まれの母は人生の過半を、縁もゆかりも無い大三島で過ごしました。
 その間、食堂、喫茶店、スナック等、少なくとも7軒を新規OPENさせています。

 自由奔放な生き方が故、性格的には真逆と評される母と自分。
 それでも、波乱万丈のうねりに抗いながら、「創っては離れ、離れては創り」を繰り返した生き方だけは共通と言えるかもしれません。

 19年前のクリスマスイブの日、カラオケ「社(やしろ)」の裏で母は息を引き取りました。
 最後に創った作品と共に永眠できたのですから、きっと本望でしょう。
 社(やしろ)とは、神が祀られた建物を意味します。               以上

神を祀る建物:前編

 内容が内容だけに、仔細の公開を控えてきた黒歴史についてお話しします。
 半世紀程前の話です。
 亡母は、俗に言う極道の妻(おんな)でした。

 お相手は、今治市に在る日本最大の暴力団の直系組織(当時)に於いて、若頭補佐だったN氏です。
 この世界の組織を会社に例えると、社長が組長、専務が若頭、役員が若頭補佐、といった感じでしょう。

 母が今治から大三島に渡った理由は、懲役に服すN氏を待つ間をしのぐためです。
 最初は「よし川」という料理屋に務め、次に出資者の支援を受けスナック「源氏」を開店。
 経営権を巡るトラブルで支援者と袂を分かち、亡姉と共にスナック「社(やしろ)」をOPENさせます。

 当時は、大三島と伯方島とを結ぶ、しまなみ海道第一橋目「大三島大橋」の工事最盛期。
 多くの技術者や職人の方々が流入し、島内の居酒屋やスナックは未曾有の好景気に湧きかえります。
 母の店も例外ではなく、連日満席の大盛況でした。

 そんな中、父親の元松山で貧乏しているとの風の便りを聞きつけた姉が新田高校まで迎えに来て、父への断りもなく強引にに自分を連れ去り、自分はスナックの裏で過ごすことに。
 島に渡った最初の夜、母と姉と三人で「喜船」という店に行き、生まれて初めてカウンターで寿司を食べました。
 約半年間のパラサイト生活を経て、大工に弟子入りしたことは既報の通りです。

 一年後、その日はやってきました。
 16歳の自分は、母と姉と一緒に船に乗り、今治港に降り立ちます。
 港から少し歩いて辿り着いたのは、派手な紅白幕が張られた「ホテル菊水」。
 そうN氏の「放免祝」です。

 ホテルの大広間には、多くの強面の方が居並び、その上座の中央に座るN氏と初めて会いました。
 後日、黄金町に在るY組の事務所にも連れて行かれ、当時の組長夫人から御祝儀を頂きます。
 袋に印字されていたのは、言わずと知れた山菱の代紋です。        つづく
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン

・経歴 
 雄新中卒業 → 新田高校中退
 大工・石工と約十年職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業
 令和2年 ㈱南洋建設 代表兼任
 令和4年 ㈱たんぽぽ不動産起業

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