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まさかの坂

 先日の経営塾でのお話しです。
 この日は、敬愛するM氏が、北九州からわざわざ駆けつけて下さるとのことでしたので、朝一で空港に迎えに行き、予約したカフェで懇親を深める・・・予定でした。

 AM8:00、近くのパーキングに車を駐車し、2Fで仕事するU氏とK氏にご挨拶した後、空港のロビーで待機。
 定刻通りに到着したM氏と共に、徒歩でパーキングに戻り、満を持して出発・・・ところがエンジンがかかりません。

 車屋Jちゃんに手配して貰い、30分後にロードサービスが到着。
 プリウスには基幹バッテリーとは別に、始動用のバッテリーが搭載されており、それがダウンしていたようです。
 チャージして貰うとすぐに回復。
 「30分程走った方が良い」とのことでしたので、念のために小一時間走って、会場である「アイテムえひめ」に到着。
 ところが、停車した瞬間にシャットダウン。
 エンジンどころか鍵もかからない状態です。
 止む無く、再びロードサービスに電話して、内子町まで移動させて貰うことに。
 幸い、二回に渡るロードサービスは、自動車保険に付帯されており無償でした。

 さて、この日は経営塾と懇親会に参加した後、運転して帰るつもりでしたが、急遽予定変更でホテルを予約します。
 一次会の後チェックインを済ませ、二次会へとなだれ込み、久々に弾けた宴を満喫しました。

 結果オーライとはこのことでしょう。
 宮城、埼玉、茨木、東京、三重、広島、福岡、大分、香川・・・。
 全国からお越しの皆様との、久々の再会の余韻を振り切って帰るのは、心残りだったに違いありません。

 思う通りに運ばないのが人生。
 まさかの坂は何度でも来る。
 そしてラッキーかアンラッキーかは、自らの心が定めるものです。
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足るを知る経営

 今は亡きJ社の晩年、「兄弟で力を合わせてここまで真摯に取り組んできたのに」と、この世の不条理を嘆く副社長に対して、盛和塾稲盛塾長は以下の通り回答しました。

【 あなた方兄弟が立派なのは、建設業界にありがちな悪しき習慣から決別しようと考えたところです。
 しかし、一つ気になることがありました。
 
 あなたが財務バランスを守りながら堅実な成長発展を目指そうと言った時にお兄さんは
「大きな成功を目指していこう。
 世界の建設業界の模範になるような会社にしていこう」と反対します。
 そして新卒の学生をどんどん採用して、たくさんの社員を抱えて人材を育成し、M&Aもやりながら、四国だけではなくエリアを広げ、積極的な展開をしていきます。

 私はあなたの会社の売り上げと利益だけで、財務諸表を見ていません。
 キャッシュフローとバランスシートを見なければ指導してあげる事はできませんが、おそらく総資産に対する自己資本の比率は高くないと思います。
 外部からの借り入れが多いのではないでしょうか。

 「まさかの坂」は何回もやってくるのです。
 だから、「まさかの坂」に遭遇してもエンストしないようなエンジンを積んでいなければならないのです。
 そのためには財務内容が充実していなければなりません。
 そうなると、やはり「足るを知る」堅実な経営が要るわけです。

 京セラも、私は慎重に慎重を重ねて経営をしてきました。
 慎重にやっていっても、大きな会社に発展していくことができるわけです。
 慌ててやる事はありません。
 堅実に展開しながら、会社を発展させていくことです。】

 改めて、稲盛氏の心眼の鋭さには驚かされます。
 「足るを知る」
 経営のみならず、人生にも当てはまる至言です。

3KM経営塾in愛媛

 北海道の上場企業「土屋ホーム」の創業者「土屋公三」氏が提唱する「3KM」生涯幸福設計。
 このプログラムを導入して、飛躍を遂げた会社は枚挙に暇がありません。
 
 勿論、信奉することで絶対的な成長が約束される訳ではなく、以前在籍したJ社は、3KMを成長拡大の糧としながらも、その後民事再生法申請、そして自己破産の道を歩みました。
 お客様、社員、協力業者、株主・・・。
 企業を取り巻くステークホルダーにとって、個人・家庭・会社三位一体の生涯幸福設計の前提は、会社が存続すること。
 そういう意味で、やはり経営=継栄です。

 土屋公三氏の意志を伝承する、中川理巳氏の呼びかけに応じ、J社についてお話しをさせて頂きました。
 御集り頂いた20名程の内、その大半は県外からお越しの経営者の皆様です。

 破綻した以上、その経営は失敗であり、中枢に居た小職は紛れもなくA級戦犯でしょう。
 但し、年商30億円の会社が五年後に100億円、その十年後には300億円を突破したのも、また真実です。
 
 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

 出典はそもそも、江戸時代の大名松浦静山氏ですが、一般的には智将「野村克也」氏の言葉として知られています。
 今回お話しさせて頂いたことで、この至言の意味を思い知らされました。

 さて、講演の中身はともかく、J社で共に戦った戦友達や、20年来の経営者仲間の皆様と久々に再会できたことは望外の喜びです。
 末筆ながら、この機会を頂いた中川様に心より感謝申し上げます。
 ありがとうございました。 

人生とは今日一日

 毎朝出社して、軽いストレッチを行い、珈琲を淹れ、日経新聞と愛媛新聞を読む。
 毎朝の習慣です。
 
 地元紙には、地元紙ならではの「お悔やみ欄」があります。
 ビジネスマンとして駆け出しの頃、「お客様やお付き合いのある方の訃報を知るために目を通しなさい」と教えられたものです。
 今でも、その教えを忠実に守っています。

 しかし昨今、コロナ禍も影響して、葬儀が終わってから掲載する方も増えました。
 掲載そのものを拒む方も少なくありません。
 そして、自身の高齢化に従い、見る目も変わってきた様です。

 先日のお悔やみ欄は、10名の訃報を伝えていました。
 90歳
 89歳 84歳
 79歳 78歳
 69歳 68歳 60歳
 55歳 50歳

 70歳未満が半数。
 今の自分よりも若くして召される方もいらっしゃいます。
 
 人はこの世に命を授かった瞬間から不治の病に冒されている・・・と揶揄される通り、遅かれ早かれ人は必ず死に至ります。 
 身近なところでも、父は59歳で、姉は50歳で亡くなりました。

 例え今が若くて健康でも、突然大病を患うかもしれないし、事故に遭うかもしれない。
 何人たりとも明日を生きられる保証は無いのです。

 それでも、刹那的に成る必要はありません。
 誰しも、確かな人生とは今日一日のこと。
 夜眠る時に死に、朝起きた時に新たな命が与えられる。
 一日一生の考えに基づき、今日をしっかりと生き切ることが、命ある者の務めです。
 
 きっと歳を重ねたせいでしょう。
 そうしたことを想いながら、訃報欄に目を通しています。

どっちに転んでも

 独立開業してから、TVを観る時間が激減しました。
 年中無休のため、休日に自宅で過ごすことが無くなったからです。
 昨今、ワイドショーの在り方が変わってきた、との情報をネットニュースで知りました。
 
 ワイドショーと言えば・・・。
 著名人のスキャンダルを殊更大きく取り上げ、繰り返し根掘り葉掘り重箱の隅を突き、無防備な相手に対してMCやコメンテーターが傷口を拡げて塩を塗り込むのが定番。
 「他人の不幸は蜜の味」と言われる様に、そうしたスタイルが視聴者に受け入れられ、数字が取れてきたのですから仕方ありません。

 以前であれば、そうした下世話なネタは、スポーツ新聞か週刊誌かワイドショーが主たる情報ソースでした。
 それが今や、SNSやyoutubeの方が情報の鮮度が高く、内容も濃い。
 TVの踏み込みの甘さの理由は、スポンサーや芸能事務所への忖度が求められるからです。
 象徴的なのは、ジャニーズ事務所の問題でしょう。

 3月中旬、イギリスの公共放送BBCが、ジャニーズ事務所創始者による性暴力、性虐待の実態を暴くドキュメンタリーを4日連続で放映しました。
 言わば、世界で初めて、このスキャンダルは公共の電波に乗った訳です。
 そして日本国内においては、驚くべきことに、半世紀以上の長きに渡って公然の秘密でした。

 2002年、闇を暴いた週刊文春をジャニーズ事務所が訴え、争訟に発展します。
 創始者である故人は法廷で、「彼達(被害者のタレント)が嘘の証言をしたということを、僕は明確には言い難いです。」と証言。
 これが決め手となり、ジャニーズ事務所は敗訴しました。
 しかし、TVは勿論、ラジオも新聞も、週刊文春を除くマスコミは、この記事を取り上げていません。

 真実を伝えない媒体が、愛想をつかされるのは当然でしょう。
 そして、暴き、晒す役割をネットに譲ったワイドショーが辿り着いた先は、「明るく軽い生活情報番組」。
 いやはや、日本人のマインドは平和そのものです。
 その実体はともかく、どっちに転んでも。

生涯巡査部長の誇り

 愛媛県警の元巡査部長「仙波敏郎」さんは、正義を盾として大組織に対峙した人でした。

 仙波さんは24歳で巡査部長試験に合格。
 その直後、会計課長から三人の住所と名前が書いた紙を渡され、偽造領収書を書く様、命じられます。
 組織ぐるみの裏金作りへの加担要求です。

 「捜査のためには時に、領収証の切れないお金が必要だ。
  君は組織の敵か、味方か。」
 署長からの恫喝にも怯まず、仙波さんは毅然たる態度で拒絶します。

 5年後、警部補昇任試験の学科試験に合格。
 面接試験を終えて署に戻った仙波さんに、上司はこう言い放つのです。
 「領収書を書かなければ試験には合格しない。」

 以降、定年退職までの35年間に渡り、巡査部長の階級に留まった仙波さん。
 これは日本警察史上最長記録であり、仙波さん自身はこの記録を「私の誇りです」と語っています。

 55歳の時、仙波さんは所属していた鉄道警察隊から、急遽新設された地域課通信指令室へと配置転換されました。
 通信指令室とは名ばかりで、電話もない、机一つの個室にたった一人。
 仕事は一切ありません。
 朝8:30から終業まで、一日中松山城をじっと見ているだけという、いわゆる追い出し部屋。
 組織に抗った者への、あからさまな見せしめ、報復、左遷人事です。

 仙波さんは配置転換を不服として、県を相手取り国家賠償請求訴訟を起こし4年後、最終的に勝訴。
 元の職場に復帰できたのは、定年まで後一年に迫った時でした。

 仙波さんの退職から14年の月日が流れた今年3月。
 公開された映画「Winny」で、俳優吉岡秀隆さんが仙波さんを演じています。

余禄の人生の過ごし方

 寿命について科学します。
 今から200年前1820年当時の、平均寿命は以下の通りです。

 英国 40歳
 米国 39歳
 仏国 37歳
 日本 34歳
 印度 21歳

 驚くべきことに、世界平均は26歳。
 やはり、栄養や医療の充実度に比例するようです。

 1950年当時の、日本人寿命は約60歳。
 この歳に生まれた方は今年73歳を迎えます。
 少し乱暴な言い方をしますと、13年前に亡くなっている筈の命がつながれ、更にまだ10年先まで続く訳です。

 昨年還暦を迎えました。
 会社勤めであれば、定年を意識せざるを得ません。
 個人的にはこれからも、仕事を続けるつもりですし、続けざるを得ないのも事実です。
 まだまだ隠居には早過ぎます。
 それでも、独立を機に終活を意識する様に成りました。

 平均寿命まで生きるとすれば後20年。
 そのうち、健康寿命は10年と少し。
 それは平均であって、必ずしもそこまで、生き長らえる保証はありません。

 ここから先は余禄の人生。
 これまで、食べるために、自分のために過ごしてきた時間を、少しだけ他人様のために費やそうと思っています。
 それは、身勝手な立ち振る舞いでご迷惑をかけてきたことへの罪滅ぼしであったり、様々な場面で助けて頂いたことに対する恩返しであったりします。

栄枯盛衰:後編

 二年後に無事合格し、宅建士証を手にして初めて、職業人としての自覚が芽生えました。
 入社順19人目の社員は、これを機として本格的にJ社の急成長に関わることになります。
 時期を同じくして、J社も大きく舵を切ります。

1. 公共工事から民間へ
2. 請負型から商品を擁する販売型へ
3. ゼネコンから価格決定権を有する建築総合メーカーへ
4. コスト追求のための、徹底した規格化・標準化の推進
5. プロダクトアウトからマーケットインへ

 もう一つ、北海道の上場企業「土屋ホーム」の創業者「土屋公三」氏が提唱する「3KM」生涯幸福設計を、基幹社員教育プログラムとして導入したことも、忘れては成りません。

 成功への十訓 3「夢を見、目標を立て、現在に最善を尽くす」

 すると、30億円前後であった年商は、5年後100億円、10年後には10倍の300億円を突破。
 東京から鹿児島まで13県19拠点、社員数は600名超。
 建築業界の風雲児として、破竹の快進撃を続けます。
 ところが好事魔多し・・・。

 売上高ピークから僅か3年後の2009年1月21日「民事再生法申請」。
 再生6年目と成る2015年2月25日に「事業停止」、同年6月5日に「自己破産申請」。
 創業から65年目にして、その幕を下ろしたのです。

 さて、3KM伝承者であり、小職の師匠でもある中川理巳氏が主宰する「3KM経営塾」は今月、松山での例会を開催。
 僭越ながら小職が、その基調講演を務めます。

日時 : 4月27日(木)13:00~17:00
場所 : 松山市大可賀「アイテムえひめ」第6会議室
費用 : 無料
講演 : 「真っ白に燃え尽きた会社」

 14年前J社民事再生の際、中川氏からエールを贈って頂きました。
 「立つんだジョー! 10カウントはまだ鳴っていない!」
 破綻に導いたA級戦犯の一人として、時代の徒花となったJ社の栄枯盛衰の内幕を赤裸々に語ります。

 キャパに限りがあり、残り2~3名です。
 ご興味のある方は、メッセージにてお寄せ下さい。   以上

栄枯盛衰:前編

 小職のビジネスマンキャリアにおける骨格は、紛れもなくJ社に在籍した19年間で形成されました。
 
 中学卒業後、進学した高校を僅か二週間で中退し、母親の元でニートの半年間を経て、義兄の工務店に弟子入りしたものの大工に成り切れず、甘い考えから親戚を頼って帰省し、石工と成ってからも怠惰は改まらず、仕事を終えたらパチンコ三昧。
 まさしく、愚の骨頂の極みです。

 27歳の時、同級生であるJ社の次男(後の副社長)から訊ねられます。
 「松岡、仕事は面白いか?」
 当時の自分にとっては、異次元の質問です。
 面白いとか面白くないとかではなく、仕事はメシを食べるための手段に過ぎません。
 その意味こそ理解できなかったものの、とても魅力的に映った未知の領域に飛び込む決意を固めます。

 最初の配属先は、建築・不動産とは無縁の、某FC菓子店の店長。
 そこでマネジメントのいろはを学び、2年後に不動産事業への異動を告げられます。

 正直、胡散臭く見える不動産業への転身は、後ろ髪ひかれる思いでした。
 嫌々ながら、宅建試験の準備にも取り掛かりますが、机に向かって勉強するのは十数年振りの難行苦行(笑)。
 おまけに、受験申込段階で躓きます。
  
 当時は受験資格(高卒以上の学歴 or  2年以上の実務経験)の定めがあり、その何れにも該当しない自分は、試験を受けることすら叶わないのです。
 止む無く実務登録を済ませ、2年後のリベンジに期す訳ですが、この2年間は自分にとって暗黒の時代でした。
 
 それでも逃げ出さなかったのは忍耐力とかではなく、単に逃げ道が無かったから。
 学歴も知識も経験も能力も無い30歳男を、雇って下さる奇特な会社は皆無です。

 逃げ道が閉ざされている現実に、覚悟が定まりました。
 逃げ道が担保されていたならば、きっと合格できなかったでしょう。
 そして、合格してなかったら、今日の自分も無かったに違いありません。  つづく

住宅確保要配慮者:後編

 2017年、改正住宅セーフティネット法が公布されました。
 登録物件は全国に6万件程在りますが、大多数は一般の人を対象とした物件です。
 住宅確保要配慮者専用物件は、約3,000戸程度しかありません。   

 住宅確保要配慮者用の物件が不足する一方、全国に点在する空き家は約850万戸。
 人口および世帯の減少から、空き家数は今後も増え続け、2030年には1000万戸を突破すると言われています。
 
 住まいを見つけるのが困難な人たちに空き家を提供するのは、理に適った話でしょう。
 ところが、必ずしも上手く進んではいません。

 そのハードルは、冒頭述べた理由と同じ。
 家賃滞納、近隣トラブル、孤独死等、リスクに対する抵抗です。 
 加えて、築年数の古い空き家の場合、老朽化が著しく、修繕費用が多額に及びます。

 大家さんの経済的な負担を補い、不安を解消するためには、然るべき機関が成り代わって運用するのがベストです。
 勿論、運用するからには適正な利益が求められます。

 修繕費、維持管理費、固定資産税等で重荷となっている大家さんからは、低廉な価格で譲渡して貰う。
 土地の評価が高過ぎる場合にはサブリースする。
 基準を満たせば、修繕費用や要配慮者に対する補助金も見込めます。

 増え続ける空き家と住宅確保要配慮者。
 この二つが上手くマッチングできれば、win-winの未来を描くことができます。 以上
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン

・経歴 
 雄新中卒業 → 新田高校中退
 大工・石工と約十年職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業
 令和2年 ㈱南洋建設 代表兼任
 令和4年 ㈱たんぽぽ不動産起業

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