67回目の大失態
先日の土曜日の行った献血は、67回目にして大失態。
その顛末を綴ります。
その顛末を綴ります。
まずこの日は、訳あって事前に朝風呂に入り、サウナでたっぷり汗を流していました。
これが間違いの始まりです。
成分献血には血漿と血小板と二種類あり、血小板の場合には一時間以上かかります。
身体に対するダメージも考慮し、一回で二回分にカウントされ、年間24回の上限制限に達すると、暫く献血できません。
今回は時間に余裕もあったので、血小板献血を予約しました。
自分は少し冷え性で、血液の流れが悪く、少し時間がかかります。
前回の血小板献血の際は、80分以上かかったため、受付、検査、採決前と確認がありました。
その度、「今日は時間に余裕があるので大丈夫です。」と自信満々に回答します。
血小板献血時はクエン酸反応といって、カルシウム不足で唇が痺れる現象があるものですから、いつもカルシウムドリンクを貰います。
この日は、冒頭のサウナ疲れもあってか、献血中に寝落ちしました。
70分があっという間に過ぎ去り、ベッドから降りて靴を履こうとした瞬間、突然左足を襲うこむら返り。
この日は、冒頭のサウナ疲れもあってか、献血中に寝落ちしました。
70分があっという間に過ぎ去り、ベッドから降りて靴を履こうとした瞬間、突然左足を襲うこむら返り。
余りの激痛にその場に突っ伏します。
周囲からは貧血で倒れたと思われ、沢山の看護師の皆さんが駆け寄り、「大丈夫ですか!」「ベッドに戻られますか!」等々声掛けされますが、動くと更なる激痛に見舞われるため動けません。
激痛を堪えながら、「い、いえ足が吊っただけです・・・」と絞り出すのがやっと。
激痛を堪えながら、「い、いえ足が吊っただけです・・・」と絞り出すのがやっと。
何分位経ったか覚えていませんが、痛みが治まった後ベッドに戻り、30分程休んで帰りました。
聞けば、献血中にこむら返りに成る方は、少なくないとのこと。
原因は水分不足だそうです。
そう、事前にサウナで必要以上に発汗し、更に成分献血で水分が消費され、寝落ちしたことで献血中の水分補給がままならなかったことが理由でした。
いわば、自業自得です。
改めて、献血ルームの皆様に、ご心配とご迷惑をおかけした御詫びと御礼のメールを送り、次回献血の予約も済ませました。
二度と、同じ轍は踏みません。
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自信と誇りと使命感
我が社では、毎朝の朝礼で三分間スピーチを実施しています。
進行役がランダムに指名するため、誰が当たるかは判りません。
なかなか当たらない人も、三日連続で当たる人もいます。
従って、毎日タイムリーな話材を準備する必要があります。
それが狙いです。
先日の朝礼では、若い社員が「南海トラフ地震」についてスピーチしました。
彼を含め、二十代前半の社員は二名いますが、何れも広島出身です。
「芸予地震の記憶はあるか?」と聞くと、首を横に振ります。
芸予地震は2001年3月。
今から20年前ですから、記憶に無いのも当然でしょう。
人類の歴史は、天災との闘いの歴史でもあります。
近年、台風や大雨の予知については、かなり精度が高まってきました。
ところが、地震予知だけは全く進んでいません。
1995年1月17日、早朝5:46。
「阪神淡路大震災」は、兵庫県を中心として甚大な被害をもたらしました。
当時、神戸市内に建つ分譲マンションは、1,400棟。
その内、倒壊して住めなくなった物件は、70棟(5%)。
その内、1981年以前の旧耐震基準で建てられた物件は、69棟。
残りの一棟は、手抜き工事で有名な地元の会社が建てた物件。
地震予知は極めて難しく、将来的に起こり得る天災規模は計り知れません。
それでも、大地震の度に耐震基準を見直してきた、日本の耐震技術は世界トップクラスを誇ります。
先述の数字でも判る通り、今の耐震基準に則れば、最低限「命を守る」ことはできます。
我々は、そうした自信と誇りと使命感とを以て、日々の仕事に取り組みたいものです。
A航空 or B航空
千葉真一さんが亡くなりました。
千葉さんと言えば、我々世代にとってはアクション俳優の先駆者です。
若い方にとってみれば、新田真剣佑さん、真栄田郷敦さんの父親と言った方が判り易いかもしれません。
76歳の頃、22歳女子大生との不倫疑惑が報じられる等、全く老いを感じさせない方でした。
80歳を過ぎてもなお意気軒昂で、御自身も体力には自信があったようです。
ワクチン接種についても、「俺は大丈夫」と公言していたのが7月初め。
ところが7月末、コロナウィルス感染が発覚します。
当初、咳などの症状はあったものの、比較的元気で、自宅療養を続けていました。
やがて症状が悪化し、8月8日に救急車で君津市の病院に搬送され入院。
酸素吸入などの治療を受け、一時は回復傾向にもあったものの、その後容体が急変。
酸素吸入などの治療を受け、一時は回復傾向にもあったものの、その後容体が急変。
18日あたりから意識がなくなり、そのまま息を引き取った・・・と報じられています。
「ワクチンさえ打っていれば・・・」
千葉さん御自身も、さぞかし悔やんだことでしょう。
勿論、ある程度の副反応は覚悟しなければならないし、100%の安全は担保されません。
二回目接種後の、ブレークスルー感染も散見されます。
では切り口を変えて、飛行機に乗る時に二つの選択肢があるとします。
A航空 フライト20回に19回は、安全に確実に目的地に到着できる
B航空 フライト20回に19回は、目的地到着前に何らかの事故に遭う
発症予防効果95%のワクチン接種を拒絶するということは、自らB航空を選ぶのと同じです。
重症化リスクや死亡リスクを積み上げると、更にリスクは拡がります。
貴方はそれでもB航空を選びますか?
犯歴に関する申告書
昨日に引き続き、不祥事関連のニュースです。
愛媛県内で5店舗を運営するS社が、免許取消処分を受けました。
宅建業者への監督処分は三段階。
1. 指示処分
2. 業務停止
3. 免許取消
最も重い処分が、今回の免許取消と成ります。
免許更新の際、抵触した理由は、以下の通りです。
「政令で定める使用人(店長)が過去に、無免許&スピード違反で有罪と成り起訴されていた。」
※ 禁固以上の刑に処せられ、その執行を終わり、又は執行を受けることの無くなった日から起算して、5年を経過しない者。
会社は知らなかったようです。
そして、現状日本ではこうした目的で、個人の犯歴について照会する術はありません。
更新回数を意味する免許番号の前括弧内の数字は(8)。
即ち、40年以上の歴史を持つ会社が、一瞬にして免許を失います。
今回は、お客様に対して迷惑が及んだ事例ではないことから、取消後速やかに申請が認められるようです。
それでも、全く新たな会社としてなので、免許番号は(1)。
信用の指標とも言われる免許番号ですが、文字通り一からやり直しと成ります。
さて、この事例を受け早速、未然防止策を導入しました。
犯歴に関する申告書を、該当ポストに就く方々から頂きます。
勿論、偽りの申告は見抜けませんが、今できる最善の方法でしょう。
向き合う姿勢は常に、対岸の火事ではなく他山の石です。
仕事に携わる資格
地元の調査会社による、地盤データ偽造事件が波紋を呼んでいます。
昨年9月~今年4月にかけて、四国三県で実施した一戸建て住宅等の地盤調査33件のデータが偽装されていました。
今から15年前に業界を震撼させた、姉歯一級建築士の構造計算偽装事件を彷彿とさせます。
偽装があったのは、一人の社員(5月に退職済み)の担当物件で、調査の一部を怠ったり、別の物件のデータとすり替えたり、調査そのものを実施していない事例もあったそうです。
担当者の語る偽装の理由は、「楽をしたかったから」・・・開いた口が塞がりません。
確かに担当者の行いは、とんでもない所業ですが、「加害者=担当者」「会社=被害者」と捉えるのは大きな間違い。
報道によれば、この担当者は20歳で、昨年4月に入社したばかりでした。
若い未熟な社員に任せっきりにして、アウトプットされてきた報告書が、ノーチェックでクライアントに提出されていたのであれば、罪作りを誘発した会社は被害者ではなく加害者と言えるでしょう。
こうした事例は、決して対岸の火事ではありません。
恥ずかしながら我社においても近年、杜撰な施工管理が散見されます。
社内の設計監理者が、不適合箇所を適宜指摘し、是正指導を行ったことで、何とか未然に食い止めることができただけです。
一方、そのプロセスにおいては、少なからず摩擦や衝突があり、一部施工管理社員の退職も余儀なくされています。
設計監理の指導の厳しさに対する、批判的な声もありました。
しかし、先述の偽装事件と対比すれば、一目瞭然。
お客様に対する責任を果たすためであれば、社内の軋轢は寧ろ奨励されるべきでもあります。
仕事ができるかできないか以前に、命を守る器を提供するのだという使命感を持てない者は、この仕事に携わる資格がありません。
再会ウィーク
今週は懐かしい方との再会ウィークでした。
お一人は、十数年振りにお会いする、前職の会社の同僚です。
会社が急伸していた2002年、二人同時に執行役員に就任しました。
とはいえこの方は、キャリアも知識も大人と子供ほど違う、大手ゼネコン出身のバリバリの技術者。
正直、対等にお話し頂けること自体、不思議な感覚です。
破綻前に退任されていたため、「何故民事再生に至ったのか?」率直に質問をぶつけられます。
勿論自分は、経営幹部としてA級戦犯の一人です。
質問にお答えする上で、自己責任は免れません。
それを踏まえた上で、自分なりの言葉でお伝えします。
ある意味、共に同じ時代を戦った戦友として、懐かしさと共感に包まれ、二時間の会食があっという間でした。
次にお会いしたのは、不動産会社の社長です。
地銀の系列会社であるため社長は代々、役員を勇退された後に赴任されます。
初めてお会いしたのは、前職の会社の子会社に在籍していた頃です。
当時、最年少で支店長に就任されたエリートでした。
融資の御相談をしても実に歯切れが良く、スピーチをお願いしても饒舌なる論客。
「こういう仕事のできる人間に成りたい」
「こういう仕事のできる人間に成りたい」
ビジネスマン人生駆け出しの自分にとっては、まさしく憧れの存在でした。
その後、大規模支店の支店長を歴任され、取締役、常務、専務、副頭取と、階段を上り詰めます。
役員と成られてからは正直、お電話することも憚られたのが本音です。
この度、馴れ馴れしく同業者として、久々に御連絡したにも関わらず、20年前と変わらず分け隔てない姿勢で歓待頂きました。
御縁と感謝を忘れてはならないと、胸に刻んだ再会のひと時。
改めて、人脈は宝です。
改めて、人脈は宝です。
予算策定プロセス
経営計画書のコンテンツに、無駄なものはありませんが、中でも予算は重要です。
ところが、この重要な予算において、間違った策定プロセスが蔓延しています。
前年実績を100とした時、手を変え品を変え言葉を尽くし、
現場からは、90が限界であるとの見解が出される。
会社からは、さしたる裏付けもなく、
110はできるだろう、と押し戻される。
最終的に、両者の数字の中間である100~105で手が打たれる。
ジャック・ウェルチが言う「交渉による示談アプローチ」です。
このアプローチの問題点は、言うまでもありません。
楽々できる目標では、ポテンシャルが充分に発揮されない。
飛びついても届かない目標では、やる気そのものが失せてしまう。
つま先立ちで、背伸びして、手を伸ばして、届くか届かないか。
その絶妙なラインを見極める、適正目標の設定こそが、最も大切にすべきファクターと言えるでしょう。
防疫と経済の両立
先日の日曜日、新型コロナウィルス、二回目のワクチン接種を終えました。
今回も集団接種で、待ち時間は殆どなく、受付から接種までは僅か3分程です。
さて、心配された副反応は一回目同様、接種個所の痛み以外殆どありません。
ファイザー社(モデルナ社)製ワクチン、二回目接種時の副反応割合は以下の通りです。
とう痛 90%(90%)
倦怠感 70%(80%)
頭痛 50%(70%)
発熱 20%(60%)
※38度以上
アナフィラシキーに至る方は、0.001%と言いますから、十万人に一人です。
僅かに死亡事例の報告もありますが、ワクチン接種との因果関係は明らかにされていません。
僅かに死亡事例の報告もありますが、ワクチン接種との因果関係は明らかにされていません。
専門医によれば、「紛れ込み」いわゆる偶然とみられています。
ちなみに、ファイザー社およびモデルナ社ワクチンによる死亡事例は確認されていないようです。
またワクチンは、異物を体の中に入れて、それに対して反応を起こして抗体をつくるというのが免疫の仕組みです。
年齢が高くなればなるほど、異物が入ってきても反応が鈍くなってきます。
反応が低ければ、副反応もそれほど多くは起こりません。
年齢が高くなればなるほど、異物が入ってきても反応が鈍くなってきます。
反応が低ければ、副反応もそれほど多くは起こりません。
即ち、「副反応が無い」ということ自体は幸いですが、老いを認めざるを得ない、少し残念な結果とも言えます。
さて、とりあえず、二回の接種で成すべきことは済ませました。
一方、自粛続きで疲弊する業界の救済は喫緊の課題でしょう。
世間では、ブレークスルー感染も取り沙汰されていますが、二回接種後のパスポート導入等、防疫と経済の両立が求められます。
手つなぎゴール
8月20日付、日経新聞一面最下段の春秋。
『手つなぎゴールという都市伝説がある。
運動会の徒競走で、ぐんぐん差がついているのに、テープの前でみんなストップ。
いちばん遅い子がやってくるのを待ち、仲良く手をつないでゴールイン。
かつて、戦後教育の悪しき平等主義の象徴としてよく語られた。
こういう学校は、実際には殆ど無かったという。』
いえいえ、実際に在りました。
我が家の長男が幼稚園の時の徒競走です。
ゴールの5m前で手を拡げて待っている先生の胸に、園児達は次々と飛び込んでいきます。
全員が揃うと、皆で手をつないで仲良く笑顔でゴール。
そう、驚くべきことに、この手つなぎゴールは都市伝説では無かったのです。
序列格差による優越感や劣等感を排除し、生徒間の融和を図ることが目的だったのでしょう。
ゆとり教育なる無菌室の中で、平等に扱われた子供達は、やがて大人に成り社会人として巣立ちます。
そこでいきなり、雑菌だらけの冷たい外気に触れ、厳しく過酷な競争に晒されます。
そこでいきなり、雑菌だらけの冷たい外気に触れ、厳しく過酷な競争に晒されます。
暑い夏にジリジリ照り付ける陽射しの中、汗を流しながらせっせと食物を備蓄してきた働きアリと、涼しい木陰でバイオリンを弾いて遊び呆けていたキリギリスとが、笑顔で一緒にゴールテープを切ることなど、現実社会の中ではあり得ません。
仮に、やってもやらなくても扱いが同じだとすれば、一所懸命頑張ろうとする勤労者の意欲は削がれ、生産性は急落し、経済は疲弊し、万人が貧しく不幸に成ります。
仮に、やってもやらなくても扱いが同じだとすれば、一所懸命頑張ろうとする勤労者の意欲は削がれ、生産性は急落し、経済は疲弊し、万人が貧しく不幸に成ります。
平等と公平は同義語ではない。
時に平等は不公平です。
波平さんのリストラ:後編
「仕事も頑張るけれど、プライベートも充実させたい。出世やお金には余りこだわらない。」
これは、今の勤労者の最大公約数的な意見のようだ。
如何にも正論に聞こえる言葉の裏には、「責任が重くなるのは勘弁して欲しい」という本音が透かし見える。
一方で彼らは、やり甲斐ある仕事を欲してもいる。
しかし、やり甲斐と責任とは一体不可分の関係にあり、その成果に比例して与えられるのが報酬だ。
また、お金は豊かな人生を送るための必要条件ではあるが、それさえ有れば事足りる充分条件ではない。
そもそも昇進とは、お客様から、上司から、部下から、社会から、認められた証しだ。
但し、プロセスにおいては、多大な我慢、辛抱、忍耐、努力が求められ、それを砥石として人間性が磨かれる。
徐々に管掌下の人間が増え、慕われ、信頼され、自らの存在を必要とされる。
それが人として歩むべき成長の道であり、まっとうな命の使途でもある。
昇進は必ずしも目的ではない。
自らの成長の結果、お役立ちの結果、与えられるメダルの様なものだ。
ジャック・ウェルチ曰く、「前進するには、前進したいと思わなくてはならない。」
配下の社員に対し、「前進したい」と思わせるだけのモチベーションを与えることが、二社の代表たる自分の役割であることを、改めて痛感している。 以上