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カタイ人間とユルイ人間

 コンプライアンスの優先順位を、改めて振り返ります。

1. 法律
2. 就業規則
3. 倫理

 言わずもがな、法律を違えれば罪に問われます。
 また、その会社の社員で居る限り、就業規則は遵守すべきです。
 最後に、法律や就業規則に触れなかったとしても、人として如何なものかという倫理的価値観は、蔑(ないがし)ろにできません。

 世の中には、法律の網の目を掻い潜って富を得ようとする輩も散見されます。
 企業では、そうした行為に倫理としての警鐘を鳴らすために、経営理念を定めている訳です。

 さて、就業規則は完全無欠ではなく、ところどころ漏れがあります。
 その漏れの部分については、各人の判断に委ねられます。
 すると、カタイ人間とユルイ人間とで、倫理観のバラつきにより運用に幅が生じます。
 時としてそれが、不平等感を招き、不信感につながることもあります。

 それらの問題を解決する上で、ルール作りは大事です。
 企業は、罪作りを作らないために、ルールを周知します。
 働く社員は、定められたルールを守らなければなりません。 
 それが組織人の務めです。 
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管理を制する者

 弊社は創業十年目です。
 自分がこの業界に関わり始めてからは、約30年が経過しています。
 その間、市場環境は大きく変貌を遂げました。
 
 電話とファックスと情報誌の時代は終わりを告げ、今やインターネット無しに反響を取ることはできません。
 FCも増えました。

 アパマンショップ、ミニミニ、ピタットハウス、エイブル・・・。

 御承知の通り、弊社もエイブルの看板を掲げています。
 地元のミニスーパーや雑貨屋が、短期間の内に次々とコンビニに取って代わられたことを思えば、ブランド力の偉大さは無視できません。
 一方で、FC離脱の動きも散見されます。
 そうした中、30年前からの古典的な教えを、今更ながら確信しています。 

 「管理を制する者は賃貸仲介を制す」

 逆説的に言えば、一定の管理数を持たずして安定経営は望めません。
 管理が増えれば自然と繁盛し、管理が取れなければ撤退を余儀なくされます。
 
 シンプルな法則ながら、日常業務において、管理増大のためのアクションがファーストプライオリティに成っているかというと、煩雑な業務に日々追われ、必ずしもそうなっていないのも賃貸管理業の実態です。
 もう一度繰り返しましょう。

 管理を制する者は賃貸仲介を制します。

感謝に感謝の倍返し

 先日開催した研修レポートを読ませて頂き、とても感動しました。
 レポートの内容そのものとは、違う観点です。

 「テーマをつくり、場をつくる作業は、そんなに簡単なことではない。
 今回のコンプライアンス研修は、研修としての組み立ても流れも素晴らしいと思う。」

 「今回、研修の資料作成や準備、調整された講師お二人にエールを送りたい。」

 これ以外にも、多くの受講者の文末に、「今回は有意義な研修の機会を与えて頂きありがとうございました。」といった趣旨の、感謝の言葉が並んでいます。

 自分が受講者の立場で、主催者側への感謝の意を伝えられるかというと、正直自信がありません。
 受講できるのは当たり前。
 寧ろ、受講させられるという被害者感覚。
 レポートには、どちらが講師か判らない様なダメだしの連続。

 そんな不遜で、愚かな受講者を何度演じてきたことでしょう。
 自分が講師になって、初めて判ることもあります。
 
 相手の立場に成って考えることの尊さ。
 給料を貰いながら学ばせて貰うことの有難さ。
 
 皆さんのお気遣いに、心より感謝申し上げます。

暗黒の日々に感謝

 自分の人生の殆どは内子町ですが、松山で4年、大三島で3年を過ごしています。
 この13~18歳の多感な時期は、自分にとって文字通り黒歴史です。

 中学時代の家庭は、父一人子一人。
 当時父は、肺結核を患い、生活保護を受けていました。
 車はおろか自転車も買えない、昼食のパンも買えない、極貧家計です。

 公立に進むほど出来も良くなかった自分は、身の程も弁えず、私立新田高校に進学しました。
 義務教育が終われば、学業に対する民生の保護もありません。

 進学して二週間目、突然姉が高校にやって来て、「生き別れた母が危篤」と先生に告げ、自分は制服姿のままで大三島へと連れて行かれました。
 島へ着いてみると、危篤である筈の母は元気に笑っています。
 どうたら自分が困窮していることを、風の便りに聞きつけた母姉が、強制的に父元から略奪しに来たという顛末です。
 父は父で、突然自分が姿を消したものですから、警察に捜索願を出し、高校も巻き込んでちょっとした事件に成りました。

 島に渡ってから半年間は、母が営むスナックの裏に住まい、学校にも行かず、働きもせずプー太郎の生活です。
 暫くして、義兄の営む小さな工務店へ、手伝いに行くことに成りました。
 しかし、不器用で気の利かない自分は、四六時中短気な棟梁に叱られてばかり。
 仕事が嫌で嫌でたまらず、外仕事の際は、ずっと雨乞いをしていました。

 そんな姿勢で仕事が身に付く筈はありません。
 三年目のある日、棟梁から「今のままではものにならないから職を変えた方が良い」と諭されます。
 学歴も、資格も、何もないからこそ大工に弟子入りしたにも関わらず、リストラされてしまう訳です。

 その言葉に、「なにくそ!」と悔しさを感じたならば、まだ見込みがあります。
 残念ながら自分は、「これで棟梁から叱られなくなる」と安堵の気持ちの方が強い愚者でした。

 人には生来、認めて貰いたいと思う、承認の欲求が備わっている筈です。
 ところが、島で生活した3年間、自分にはその気概すらなかったと、感慨深く思い返します。

 あれから40年。
 色々なことがありました。
 今は心底、「あの時期があったから今がある」と暗黒の日々にも感謝することができます。

十三回忌の法要

 私は、6つ離れた姉がいました。
 7歳の時に両親が離婚して以降、事実上母親の役割を果たしてくれていたのも彼女です。

 その姉が胃癌を患い、7時間に及ぶ手術に臨んだのは三十年程前。
 かなり進行していたため、胃の三分の二を切除し、余命三年を告げられました。
 
 ところが結果的に彼女は、術後19年間生き続けることになります。
 姉にとっての生き甲斐は、ピアノの才能に優れた愛娘を一人前にすることでした。
 
 小さな工務店の棟梁が、娘をロシアへの留学をさせるのは至難の業です。
 経済的な労苦も、想像に難くありません。

 しかし、念ずれば花開く。
 遂に念願叶い、ブルガリア音楽コンクールで優勝。
 凱旋コンサートが、地元で行われると聞き、自分も出張の合間に駆けつけました。

 楽屋を訪ねると姉は、自分を見て「顔色が悪いけど体調は大丈夫か?」と声をかけてきたのです。
 その15分後、本番開演直前に彼女は倒れ、救急車で病院に運ばれ、翌日帰らぬ人となりました。
 享年49歳。
 楽しみにしていた娘の晴れ姿を見ることもなく・・・。

 運び込まれた今治の病院は、19年前に胃癌の手術を受けた同じ病院でした。
 ところが、驚くべきことに、カルテがありません。
 何と彼女は、術後、抗癌剤治療を受けることなく、19年間生き永らえていたのです。
 娘をピアニストにするという気力だけで・・・。

 先日、13回忌の法要に、二人の子供や孫達が集まり、思い出話に花が咲きました。
 甥の下の娘は、葬儀の時に、まだ一歳。
 自分が抱いて歩き回っていた彼女は、もう中学生です。

 法事は、滅多に会えない親戚を、故人が引き合わせてくれる日だと言います。
 改めて、姉の偉大さと、血の絆の深さを痛感する一日でした。 
 合掌・・・。

働かせ方改革:後編

 麻雀好きな人が徹夜で麻雀をするとか、パチンコ好きな人が9時の開店から23時の閉店まで14時間ぶっ通しで打ち続けるといった話を聞きます。
 しかし、その人達が、遊戯中に過労死したというニュースを目にしたことはありません。

 人間とは、自らの意思に基づいて主体的に行動することであれば、疲労感さえ心地良く感じられる生き物です。
 一方、自分の意思とは裏腹に、指示命令によってやらされるジョブは、ストレスが溜まり、とても疲れます。

 記事の中で、一橋大学の小野浩教授は、次の様に語っています。
 「米国と比べ、日本は非自発的な『だらだら残業』が多い。
 米国は日本より労働時間が長くても、自発的だから生産性が高い。
 残業時間を規制しても、働き方が変わらなければ問題は解決しないだろう。
 
 -中略-
 
 例えばメルカリは、性善説にたち、働く時間や経費の細かい管理をしないという。
 下のレベルで意思決定できる仕組みをつくると、社員の満足感が高まる良い循環が生まれる。
 逆に過剰管理になると、信頼感を得られず、モチベーションが低くなり、事務作業も増えて効率が落ちる。」

 まさに、その通りです。
 性善説か、性悪説か。
 働き方改革は、働させ方改革でもあります。       以上

働かせ方改革:前編

 日経新聞に連載中の特集記事「働き方進化論」。
 2月22日は、「働き方改革」の矛盾を的確に示しています。

 「シンガポールは、労働時間などの規制が日本に比べれば緩い。
 大多数の社員は定時退社するが、幹部候補生はがむしゃらに働く。
 成果は給与や昇進に返ってくるからだ。
 残業時間の上限規制を決めた際、厚生労働相だった塩崎恭久も当初、
 「働きたい人まで制限していいのか」と悩んだ。
 効率化にも限界がある。
 日本の厳しい時間規制では業績が上がりづらいと、主要業務をアジアに移す外資系金融も出てきている。
 だが、2016年に電通の新入社員の過労自殺が発覚し、労働基準監督署の監視は、より厳しくなった。
 過重労働は、もう許されない。」

 社員が、仕事上のストレスを抱えて心の病に悩む。
 自ら命を絶つ。
 これは大変悲しいことですし、根絶すべき事象です。

 個人的に、その原因が、労働時間の長さだけにあるとは思えません。 
 逆説的に、労働時間さえ短縮すれば再発しないと言い切れるでしょうか。     つづく

大いなる勘違い

 職場内で、「今日のクイズ」がプチブームに成っています。
 元をただすと、保険の営業の方が配られる手書きチラシがきっかけです。
 昨日は、私がクイズを出題しました。

 「何月生まれのJリーガーが最も多いか?」

 ちなみに一番少ないのは2月。
 それは、単純明快に、28日しかないためです。

 実は、一番多くプロサッカー選手を輩出している月は4月。
 その理由はというと、幼少期の身体的な優位性に起因しています。

 4~6歳の頃を思い出してみて下さい。
 保育園や幼稚園で同じクラスであったとしても、4月生まれと3月生まれでは、丸一年違います。
 一年違えば、身体が大きく、運動神経に優れ、走れば早く、喧嘩が強いのは当然です。

 そして、自他共に認められた、そのラベリングのままで進学していきます。
 自信に満ちた4月生まれは、運動部に所属し、更にレベルを高めます。
 つまり、身体的優位が、やがて精神的優位につながり、自分の人生を拓くのです。

 京都から、京セラ、堀場製作所、ローム、日本電産と、世界的な企業が多く輩出される理由も、「あの親父にできて、自分にできない筈が無い」という、思い込みからだといわれます。
 恐るべき、大いなる勘違い。
 
 ポジティブシンキングの重要性は、そうした身近な事象からも知ることができます。

トルコと日本の絆:後編

 時は流れ、1985年の中東。
 半島は、「イラン・イラク戦争」の真っ只中でした。
 両国の都市爆撃の応酬が続く最中の3月17日、イラクのサダム・フセイン氏は、突如としてこう宣言します。

 「48時間の猶予期限以降、イラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃する!」

 各国は、直ちにイラン在住の国民を軍用機や旅客機で救出しました。
 ところが、日本は、自衛隊の海外派遣不可の原則のために、航空自衛隊機による救援ができません。
 加えて、当時日本で唯一国際線を運航していた日本航空も、安全上の配慮から臨時便の運航を拒絶。
 215名に及ぶ在イラン邦人は、イランから脱出できない危機的状況に陥ったのです。

 まさに土壇場に追い込まれたイラン駐在特命全権大使は、トルコ駐在特命全権大使に窮状を訴え、一縷の望みを託します。
 すると・・・。

 「判りました。
 直ちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。
 トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。
 今こそ、ご恩返しをさせて頂きましょう。」

 トルコ航空は、自国民救援のための旅客機を2機に増やし、215名の日本人はこれに分乗し、全員無事に脱出できたのです。
 最期の一人が搭乗したのは、無差別攻撃の期限時刻の僅か一時間前でした。

 トルコ人なら誰もが知る、日本人との深い絆。
 それを知らない日本人のために、我々は語り継ぐ必要があります。    以上 

トルコと日本の絆:前編

 最近、その国で知名度の高い日本人をランキングするTV番組が放映されています。
 黒澤明、村上春樹、イチロー、本田圭佑・・・。
 世界的に活躍する日本人の名前を、外国の方が口にするのは誇らしいものです。

 さて、トルコで一番有名な日本人は誰か。
 答えは、「山田寅次郎」です。
 「えっ、それって誰?」と思う方は少なくないでしょう。

 逆に、知っているトルコ人と聞かれても、なかなか名前は出て来ません。
 せいぜい、トルコ風アイスかトルコ風ライスくらい。
 しかも後者は、トルコ本国には無い料理だそうです。
 
 閑話休題。
 1890年(明治23年)9月16日夜半、和歌山の会場でトルコの「エルトゥールル号」が、折からの台風で遭難。
 乗員600名以上が海に投げ出されます。
 実に、587名が死亡または行方不明。
 山田寅次郎等、地元民による懸命の活動によって、69名が救出されました。
 
 寅次郎は、多くの犠牲者の遺族のことを慮り、義援金集めに奔走。
 今の貨幣価値にして一億円以上を集め、一ヶ月かけてトルコに渡り、皇帝に献上します。
 
 皇帝 「何故日本人は、見ず知らずの異国人に対してここまで優しく接するのか?」
 寅次郎 「それは武士道の精神です。」

 皇帝は感激し、「どうかこのまま留まって、我が国民に武士道の精神を広めて貰いたい。」と懇願。
 寅次郎は、その申し出を受け入れトルコに留まり、十数年に渡って教育に当たったという実話です。

 しかし、130年も前の出来事を、トルコの人々が何故覚えているのか。
 それは、この史実が教科書に載り、累々と語り継がれてきているからです。
 そして、遭難事故から95年後、二国間の深い絆を示す感動的な結末が待っていました。      つづく
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン

・経歴 
 雄新中卒業 → 新田高校中退
 大工・石工と約十年職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業
 令和2年 ㈱南洋建設 代表兼任
 令和4年 ㈱たんぽぽ不動産起業

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