行けばわかるさ

 一人の社員が卒業していきました。
 この卒業という表現を抵抗なく、奇麗事でなく受け入れられる様になったのは、最近かもしれません。
 
 かつての自分は、辞め行く社員に「裏切り者」や「逃亡者」のレッテルを貼り、内部の引き締めに躍起でした。
 社内的に、そういう役割を担う立場にあったのも事実です。
 そして、自らが会社を去った時にも、同様の謗(そし)りを受けます。
 
 企業にとって最大の財産は、紛れもなく人材です。
 余裕の無い状況で運営する中小企業にとって、その思いはより切実。
 一人欠けただけで、その代替に苦慮し、その影響は会社全体に及びます。

 会社目線や、経営者目線で考えれば、社員の退職は辛いものです。
 しかし、社員個々には、各々の考えがあり、各々の人生があり、各々の道があります。
 
 自分は27歳の時、11年間に及ぶ職人生活にピリオドを打ち、ビジネスの道に足を踏み込みました。
 生半可な気持ちでは無いものの、不安と希望の入り混じる転職だったと記憶しています。
 その時の決断が自分の人生を大きく変えました。

 若さ故の稚拙な判断や、浅はかな考えや、誤解や曲解があるとすれば、それを解く努力は惜しまないつもりです。
 それでも、進むべき道が明確なら、その道での成功を精一杯応援します。

 何かがきっかけで三差路に立ち止まり、右に行くべきか、左に行きべきか迷う。
 どちらに進んでも、道は平坦ではないでしょう。
 必ず、山や谷があります。
 
 『 この道を行けばどうなるものか
 危ぶむなかれ
 危ぶめば道はなし
 踏み出せばその一足が道となり
 その一足が道となる
 迷わずゆけよ
 行けばわかるさ 』

 正しかったか、間違っていたかは、その三差路での判断だけで決まる訳ではありません。
 退路を断って迷わず、脇目も振らず一心不乱に一所懸命、ただただ歩き続ける・・・。
 道を選んだ後の、後天的な頑張りが、大勢を決します。
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青春

 53歳に成りました。
 20代の頃には、50代の自分を想像できなかったように思います。
 50歳を超えた今、さしたる自覚もありません。

 若かりし頃に見た50代は、初老のイメージです。
 確かに体力は確実に衰え、頭には白いものが増えてきました。
 肉体的な老いには抗えません。

 しかし、半世紀以上生きてきたのであれば、精神的にはもっと達観しても良いでしょう。
 未だ未熟で、徳の薄い人間であります。

 もっとも、自分自身の現状に満足し、自慢話を語り始めたら成長は止まり、未来への希望・展望より昔話が楽しいと感じ始めたら心も老います。

 『 青春 』
 青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
 年を重ねただけで人は老いない。
 理想を失う時に初めて老いがくる。
 歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
 苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
 年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

 曰く
 驚異への愛慕心、
 空にひらめく星晨、
 その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、
 事に處する剛毅な挑戦、
 小児の如く求めて止まぬ探求心、
 人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く
 人は自信と共に若く
 希望ある限り若く
 疑惑と共に老ゆる
 恐怖と共に老ゆる
 失望と共に老い朽ちる

 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
 これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。     サミュエル・ウルマン

 青春を謳歌したいと思います。

たこ焼き屋の言い分

 ショートショートのフィクションです。 

 風光明媚な南沙公園はとても穏やかで、地域住民の憩いの場所。
 また、学校や繁華街への近道として、頻繁に利用されていました。

 ある日突然、公園横の路側帯に、一台の車が無許可で車を停め、「たこ焼き屋」を始めます。
 店構えも、主人の風体も胡散臭く、気軽には近寄り難い雰囲気です。

 遠巻きに眺めていた周辺住人は、地域の安全と平和を守る警察に訴えます。
 警察も、「ややこしいことには首を突っ込みたくない」と思ったのか、最初は静観の構えでした。

 無抵抗な状況に乗じ、たこ焼き屋は一気呵成に出店を加速します。
 気がつけば東西南北、公園内の到る所に、そのたこ焼き屋は展開してしまいました。
 
 流石に看過できないと判断した警察は、遂に重い腰を上げ、
 「ここは公共の場所ですから、速やかに退去して下さい。」と退去を促します。

 ところが、たこ焼き屋は立ち退くどころか、地面に穴を掘ってのぼりを立てたり、テント内に椅子やテーブルを置き、イートインのコーナーまで設ける始末。

 慌てた警察は、パトカーや白バイで、たこ焼き屋の周辺を巡回し、警告をするのですが、たこ焼き屋は開き直ります。
 「いやいやこの公園は私のものです。 応仁の乱によって強引に奪われましたが、そもそもその前までは私の祖先が納めていたのですから。」
 
 ・・・ですって。

一つ拾えば一つ奇麗

 十年程前、イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏が来松されました。
 鍵山氏と言えば、「日本を美しくする会」の創設者です。
 愛媛では、鍵山氏の薫陶を受けた有志により、学校等公共施設のトイレ掃除を素手で行う「掃除に学ぶ会」が根付いています。

 講演の最後に、質問コーナーがありました。
 すると、待ってましたとばかりに一人の女性が手を挙げます。
 
 「私は、鍵山先生の活動に感化され、毎朝地域のゴミ拾いを行っています。
 ところが、拾っても拾っても、また同じところにゴミが落ちていて、憤りと虚しさを覚えるのです。」

 正直、講演の内容をしっかり聞いていれば、質問の答えは語られていました。
 それでも鍵山さんは、いつもと変わらぬ仏の様な温和な表情で、丁寧に答えられるのです。

 「毎日、毎日、ゴミ拾いされている御努力に敬意を表します。
 私も同じ様な経験をしてきました。
 拾っても拾っても、次の朝にはまた落ちている。
 虚しさを感じる御気持ちは良く判ります。
 但し、一つ拾えば一つ奇麗になる・・・これは紛れもない事実なのです。」

 会社経営も同じ。
 あるべき姿を思い描いた時に、現状とのギャップはあります。
 そのギャップを埋めるために、様々な手を尽くす。
 しかし、研修をしても、ロープレをしても、面談をしても、なかなか追いつかない。
 
 時には、後退したかのように錯覚することもある。
 社員教育も研修も、やってもやらなくても同じゃないかと、虚しさを覚える。
 
 一たび行えば瞬時の内に効果が出て、スキルや知識が身につく・・・そんな特効薬はありません。
 研修もロープレも社内改善も、途中で止めればそこまでです。
 
 遅々とした歩みで効果は見え難いけれど、一つ行えば一歩前進。
 そう信じて継続するところから道は拓けるのだと思います。

心からのありがとう

 昨夜の深夜のTVに、アパレル業界の風雲児と言われる株式会社ピーアイの奥ノ谷圭佑・・・通称「短パン社長」が出演されていました。
 個人的にはお会いしたことはありませんが、友達の友達(アルカイダじゃなく・・・)で、SNSでは良くお目にかかっています。
 その風貌や、365日中365日を短パンで過ごすポリシーから、インパクトは強烈です。

 毎朝、出勤前にスタバに立ち寄り、SNSチェックやブログupを行う
 とにかくカレー好きで、カレーばかり食べている
 スーツを購入した上で、わざわざ短パンにしてしまう
 打ち合わせ中に、要点をメモしようとするけれど、取り出すペンが尽くインク切れ・・・

 チャラチャラしていて、豪放磊落で、破天荒で、異端児なキャラが立っています。
 しかし、そのインキ切れの理由は・・・。
 お客様一人ひとりに、手書きで感謝状を書いているから・・・。

 「手書きだからこそ伝わる。
 ショップ店員のありがとうございますぅ♪・・・これは本当に感謝してはいない。
 大事なのは心から、ありがとうございます・・・って言えるかどうかです。」

 年商10億円はダテじゃありません。
 番組の作り方もありますが、その心根の繊細さと、誠実さにギャップ萌えです。
 以前は筆まめを自負していましたが、昨今メールやSNSに頼り過ぎている自分自身を反省させられました。

 心から、ありがとうございます。

一瞬早過ぎず遅過ぎず

 森信三氏の至言です。

 「人間は一生の内、逢うべき人には必ず逢える。
 しかも、一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に。」

 実は企業経営においても、この至言は当て嵌まります。
 必要な時に、必要な人材と逢えるのです。

 例えば、現在松山久米店で店長を務めている大野取締役。
 彼とは、それまで、業界団体の集まりで数回お会いした程度の仲でした。
 その後、SNSでつながります。

 前職の会社を離れられたとの報を受けた段階で、すかさずメッセージを送りました。
 「一度、お会いしましょう。」
 
 彼に声をかけたのは、弊社だけではなかったと思います。
 それでも結果的に、選択して貰った訳です。
 同じタイミングで前店長が退職することになたため、後任としてスムーズな移行と成りました。
 まさに、一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎず・・・。
 
 但し、この言葉には前提条件があります。
 それは、心に強く願っているかどうかです。

 桃太郎の御婆さんは、川に洗濯に行った際、川上から流れてきた大きな桃を見つけました。
 かぐや姫の御爺さんは、山に竹を取りに行った際、金色に光る竹を見つけました。

 山や川には、他にも多くの御爺さんや御婆さんが居た筈です。
 単に見逃しただけかもしれませんし、気味悪がってやり過ごしたのかもしれません。
 桃や竹をパッコーンと割ったのは、好奇心や欲も含めた、思いが強かったからです。

 チャンスの神様は前髪しか無い。

 人との出逢いも、縁を活かすのも、実は有意注意です。

行動のみが真実

 今も未熟ですが、もっともっと未熟な頃に教えられた言葉です。

 「言葉に真実は無い。 真実は行動にのみある。」

 ・ 宅建を取ります・・・と言いながら、さっぱり勉強しない
 ・ 感謝してます・・・と言いながら、ありがとうが言えない
 ・ 営業力を上げたい・・・と思いながら、ロープレをしない
 ・ 物調します・・・と言いながら、オーナー訪問していない
 ・ 健康に留意します・・・と言いながら、喫煙&暴飲暴食・・・

 まさしく、言葉に真実はありません。
 誤解を恐れずに言えば、行動しない心根の美しい人よりも、計算高く浅ましくとも行動する人の方が立派です。

 もっと具体的に比較します。
 Aさん 笑顔が爽やかで、物腰柔らかくて、常に世のため人のためを考えながら、煙草の吸殻を平気で車窓から投げ捨てる
 Bさん いつも仏頂面で、言動が粗野で、頭の中は身勝手で利己的だけれど、煙草の吸殻を毎朝、黙々と拾っている

 見てくれや、心情はともかくとして、例えその行動が偽善であっても、断然Bさんの方が立派な人でしょう。
 というより、人の心と行動は矛盾だらけです。

 贈収賄事件で摘発された犯人を見て、「とんでもない奴」と思いながら、自分が当事者になれば心が揺らぐ
 痴漢で捕まった犯人を見て、「愚かな奴」と蔑(さげす)みながらも、空想の中では自分が犯人に成ってしまう
 飲酒運転で事故を起こした犯人を見て、「何やってんだ」と憤りながら、「ちょっと位良いか」と誘惑に負ける・・・

 日常ではそんなことばかりです。
 だからこそ、想いは当てに成りません。

 「努力する」とは、行動すること。
 正しい行動を重ねて行く内、少しずつ誠実な人間性や、徳が身についてくるものだと信じています。
 行動のみが真実です。

自主・自立・自燃

 サッカー界の重鎮、三浦知良選手が、口語体で判り易く人生訓を語りかける、日経新聞のコラム「サッカー人として」。
 これまで拙文で、何度も取り上げてきました。

 【 選手を自由にさせて勝てば「のびのびが良かった」とされ、
  負ければ「のびのびさせて」規律が足らなかったと批判される。
  何が正解なんだか分からず、僕らの世界は結果がすべて。 】

 そう、まさに勝負の世界は勝てば官軍です。
 ビジネスも例外ではありません。

 前職の会社は、規律に厳しく、業務の標準化を強力に推進する会社でした。
 成功事例をベンチマークとして、徹底的に模倣します。
 営業ツールも営業トークも総て規格化し、全営業マンが版で押した様に、一字一句違わない共通の応酬話法を体得していました。

 自分の入社時19名だった社員が、僅か十数年で680名。
 こうした規格化・標準化によってでなければ、その急成長を支えることができなかった訳です。
 
 会社は紛れもなく、「規律の文化」によって成長しました。
 型枠に入れ、どこを切っても同じ、一定レベルの均一な人材を、短期間で大量に輩出できるのは一つの成功パターン。
 我々は、敷かれたレールの上を忠実にトレースして、順調に歩んで行ったのです。 

 ところが、一旦会社が傾き出すと、敷かれたレールがうね曲がり、列車は迷走し始めます。
 信じていた成功パターンが通用しなくなると最早、車体を立て直すことも、新たなレールを敷設することもできません。

 規律の文化の洗礼を受け、規格化・標準化の枠の中で育てられた人材は、素直で従順である反面、思考停止の指示待ち族に成り下がります。
 残念ながら、A級戦犯の自分も含めてです。
 危機回避の方法も、事態打開の智恵も浮かびません。

 社会人として求められる最低限必要な規律と、経営理念・経営方針の元、自らが目標に向かって創意工夫を重ねられる、自主・自立・自燃の人を目指したいものです。

NYホームNY支店

 先日のブログで、「高い山を目指そう!」というお話しをしました。
 会社はTOPが描いた範囲でしか伸びない、と言われます。
 裏を返せば、思い描いただけは、伸びる可能性があります。
 目標が天井を決めるのであれば、世間様から大言壮語と揶揄される位、分不相応な目標を掲げるのも良いでしょう。
 
 日本電産という会社は、1973年の創業です。
 創業メンバーは永守社長以下、僅か4名。
 社長の自宅横の納屋を改装した工場からのスタートでした。

 スケール大きく、社名を日本電産とした理由は、やはり志です。
 創業当初は、どこをどう見ても名前負けの企業規模に、世間から失笑を買います。
 
 しかし、創業から半世紀後の今、売上高は1兆円超。
 ニューヨーク証券取引所にも上場し、日本どころか世界の日本電産と成り得ています。

 我々の会社名は、創業当時「NYホーム大洲」でした。
 先述の日本電産とは真逆の超ローカル志向(笑)。
 
 その僅か数ヶ月後、松山に出店することになった際、「NYホーム大洲・松山支店」はさえないね、という話になります。
 確かに、「ラフォーレ原宿・松山」とか、「東京第一ホテル松山」といった事例もありますが・・・。 

 とにもかくにも、社名から大洲を削除し、「NYホーム」に改称しました。
 何と計画性の無い愚行。
 看板と登記は変更しましたが、未だ会社の実印・銀行印には、「NYホーム大洲」と刻まれています。

 社名だけの問題ではありませんが、目標が高ければ、遠く険しい道程を覚悟します。
 従って、少々の躓きにも挫けない強さを、味方につけることができます。

 バルセロナ五輪、男子マラソン代表の谷口浩美選手は、20㎞地点でシューズを踏まれ、よろけた所を後続選手から押され、5m近く吹っ飛ばされて転倒。
 気力を振り絞って立ち上がったものの、先頭集団は遥か遠くで、大きく引き離されてしまいます。
 普通の精神力なら、レースを諦め、リタイヤしたに違いありません。
 
 ところが、谷口選手はそこから驚異の追い上げを見せ、見事8位入賞を果たすのです。
 レース後、靴を踏んだ選手や、突き飛ばした選手への恨み事を口にするでもなく、「こけちゃいました」と語り、メダルよりも輝かしい笑顔を見せてくれました。
 五輪の舞台に照準を合わせ、毎日毎日苦しい練習をこなし、日の丸の期待を背負っていたからこそ、彼は不屈の闘志で立ち上がることができたのでしょう。
 
 思い返すにつけ、「NYホーム大洲・松山支店」は、実に滑稽です。
 しかし、将来仮に、海外出店することになり、ニューヨークに店を出したとすれば・・・。
 「NYホームNY支店」
 実現の可能性はともかくとして、そんな夢物語を語っても、笑われない会社にしたいとだけは思っています。

頂に続く険しい道程

 人生も、経営も、登山に似ています。
 まず、「頂上を制する」という目標を持つからこそ頑張れるのでしょう。
 目指すべき山の高さによって、難易度は様々です。

 松山城の城山なら、今日の会議を終えてから、「皆で登ろう」と声掛けしても登れます。
 スーツ姿でも、ハイヒールでも、大丈夫です。
 登頂後の達成感はありません。
 
 石鎚山なら、日を改めて・・・と成ります。
 富士山なら、スケジュールを組んで、それなりの服装・装備で臨む必要があります。
 エベレストになりますと、もはや命賭けです。

 事前の体力作りやトレーニングを踏まえ、現地のガイドを雇い、天候を見極め、遭難の危機と対峙しながらの、緊張感あるチャレンジになります。
 極めて困難な道程ですが、頂きを極めた時の感動・達成感は、想像に難くないでしょう。

 NYホームも、城山とか石鎚山を目指すのであれば、もっと楽でした。
 具体的に言えば、1店舗だけで満足するようなもの。
 僅か1年2ヶ月で4店舗のインフラを整えた足跡は、業界的にも、地域的にも、かなり異例です。

 それが故、創業から3~4年は、資金繰りに苦慮したり、人材が定着しなかったり、険しい道程が続きました。
 当時に比べれば今は、管理戸数も増え、収益性も改善され、経営的にも安定しています。
 勿論、細部に目をやると、問題のある店舗があったり、慢性的な人手不足にも悩まされたり・・・。

 正直、時には、登るべき山を変更すべきではないか?という思いに駆られることもあります。
 ターゲットを低い山にすれば、沢山の問題は瞬時に解決し、多くの困難から解放されます。
 しかし、「楽」になることは、「楽しい」ことではありません。

 我が社は登山の途中ですから、あるべき姿(頂)からすれば、まだまだ未熟です。
 道は険しく、悩みは尽きず、トラブルの連続。
 それでも、少し歩みを止め、後ろを振り返ると、今まで歩んできた道程や町並みを見渡すことができます。

 それは紛れもなく、我々が6年間かけ一歩一歩、足元の山道を踏みしめ歩んできた結果です。
 一足跳びに頂上は目指せません。
 これからも、一歩一歩歩んで行きます。
 その歩みは、必ず頂上につながっていると信じて・・・。

少しお待ち下さい

 接客業に従事して四半世紀。
 お客様の立場に成っても、ついつい厳しい目で見てしまうのは職業病かもしれません。

 先日、某公共交通機関の某駅で、チケットを買い求めた時の話です。
 誰も並んでいなかったので、窓口の女性に用件を話しました。

松岡 「明日、内子から高松までの往復をお願いします。」
窓口 「あ、はい、少しお待ち下さい。」

 大人の私は、すぐさま、先客の発券手続き中であることを理解します。
 それは団体扱いの複雑なものらしく、本部かどこかに問い合わせの電話をしています。
 その電話が終わっても、また別の所へ問い合わせと、なかなか電話が終わりません。
 
 5分経過。
 大人の私は、いらだつ気持ちを抑え、「まあ、窓口一人だから。」と自らに言い聞かせます。
 そうこうする内に、列車がホームに入ってきて、案内・改札と大忙しの様子です。
 改札から自席に戻り、またまた確認の電話。
 
 8分経過。
 窓口に別のお客様が来て、「時刻表無いですか?」
 「はい、ございますよ。」と笑顔で手渡し。
 大人の私は、そうしたやり取りも、広い心と暖かい眼差しで見守ります。
 
 10分経過。
 流石に長過ぎるので、ちょっと大きな声を出そうとしたのですが、電話中に遮るのも如何なものかと思い、大人の私はお行儀よく待つことにします。 
 
 御客様を待たせるとは思えないほど緊張感の無い、まったりとした長い電話が終わるのを見計らい、精一杯感情を抑え、少しだけ大きな声で・・・それでもそれなりに紳士的な態度で、「これ、あと何分待てば良いんですか?」と訊ねたところ、窓口の女性の口からは、耳を疑う様な、想像を絶する、まるでコントのオチの様な答えが・・・。

窓口 : 「そうですね、あと20分くらい。」
松岡 : 「!!!!!!!!」
 
 「申し訳ありません」とか謝罪の言葉は一言もなく、まったく悪びれない態度で半笑い。
 もう、ここから先の私は、大人じゃありません。

 気をつけろ!(懐かしい長井秀和調で)
 時間に正確なことで世界に名高いJR(言っちゃった)にとって、20~30分は「少しお待ち下さい」の感覚なんだ。
 たまたま、この担当者が特別なのかもしれないが、まだまだ親方日の丸の意識は残っているんです。
 間違いない!

私墳と公憤の違い

 「叱る」と、「怒る」は、似て非なるものです。
 
 「叱る」は、相手のためを思う愛情がベースにある、ポジティヴな公憤。
 「怒る」は、身勝手・自己中心・独りよがりの、ネガティヴな私墳。
 
 管理職が、「怒り」のエネルギーを爆発させるのは厳禁。
 心の私墳を抑え、公憤に変換し、「叱り」ます。
 
 それも、言っただけで御役御免ではありません。
 何回でも何十回でも、改まるまで言い続ける。
 考え様によっては、極めて面倒臭い仕事です。

 しかし、この面倒臭さを、丸抱えできない限り、管理職は務まりません。
 管理職は、ビジネススキルだけでなく、包容力、愛情、根気、情熱、熱意、執念・・・。
 こうした一連の、人間的な能力を磨く必要があります。

 そしてそれは、取りも直さず、管理職自身の成長を促進するための学びです。

落ちるべくして落ちた人へ

 宅地建物取引主任者から宅地建物取引士に称号変更されて、初の資格試験が行われました。
 毎年、金木犀香るこの時期は、万感の思いが込み上げます。
 今から20年前、自分も同じように一人の受験生です。
 しかし、今年受験された6名とは、抱えるものが違います。

 1. 結婚して子供も生まれ、家族を食わしていくための切迫感
 2. 中卒であるが故、実務登録から二年間受験できなかった焦燥感
   ※ 今は学歴は問われません
 3. 不動産事業部の取締役部長として、絶対に落とせない悲壮感

 大袈裟では無くこの年合格していなければ、今の自分はいません。
 勉強も、毎日最低でも4時間と決めて、試験直前には5~6時間。
 一日も休むことなく継続しました。

 朝目が醒めれば勉強、昼休みも弁当を5分で食べて勉強、夜仕事から帰って風呂と飯を済ませて勉強、深夜睡魔が襲ってくると、眠気覚ましにお菓子を頬張り、そこから50問テストを1時間で説き、答え合わせと見直しをしてから就寝。
 車を運転している時にも、講義のカセットを流し、助手席にノートを置いて、信号待ちの間にも目を通します。
 寝ても醒めてもとは、このことでしょう。

 どれだけ勉強しても・・・いや勉強すればするほど不安が増します。
 この思いは、落ちた方には共感できない筈です。
 試験開始の振鈴が鳴っても、一問も説くことができず、ただただ時間だけが過ぎる・・・そんな夢にうなされて何度も寝汗をかきました。
 
 自分としては、これ以上できない位勉強したという自負がありました。
 帰りの車中、「今夜から勉強しないで良いんだ。」という、空虚な思いに包まれたことを思い出します。

 勿論、不動産業にゴールは無い訳で、一生勉強の姿勢は当然ですが、こと受験勉強という意味においては、たった一年だけ、がむしゃらに頑張って合格を手にすれば解放されます。
 昨年は3名の合格者を輩出しました。
 今年落ちた方に対しても、同じ様な声掛けと、同じ様な模試を実施した筈です。
 しかし、結果は大きく異なります。
 
 これは不運でも、偶然でもなく、貴方の努力不足によって、落ちるべくして落ちたのです。
 一切の言い訳も、泣きごとも、聞く耳を持ちません。
 天は決して、その人に越えられない壁を設けることは無いのですから。
 
 悔しさを感じているとすれば、それを今からの勉強にぶつけて下さい。
 戦いは既に始まっています。

管理会社のスタンス

 この話は管理会社特有の、尚且つ社内向けの話であることをお断りしておきます。

 管理物件がリプレイス(他社変更)される際の、最大の理由は売買(オーナーチェンジ)です。
 我が社の場合も、売買に伴うリプレイスは6年間で数件あります。

 勿論、これまでの取り組みが評価され、今後の頑張りに期待して頂き、継続する場合もあります。
 改めて、継続は、決して当たり前では無いのです。

 まず基本的なこととして、オーナーチェンジすると、その時点で管理業務委託契約は終了します。
 3ヶ月前予告も、月末月初も関係ありません。
 
 旧オーナーから新オーナーに移行する際、事務手続きは煩雑です。
 家賃の日割り清算、預かり敷金の清算、退去者の敷金精算、リフォームの発注、電気・水道等ライフラインの名義変更、滞納家賃の扱い等々・・・。

 売買仲介業者からは、問い合わせや資料の提出依頼が相次ぎます。
 業者によっては、時に高圧的な場合もあるでしょう。
 余分な仕事を押し付けられると曲解し、「売買仲介に絡んでいる(仲介料を貰う)訳でもないのに」と不満が爆発してしまうことも・・。

 しかし、よく考えてみて下さい。
 売買が決まった時点で、その管理は風前の灯火、首の皮一枚でつながった状態。
 リプレイスにまつわる一連の煩雑な業務を気持ち良く、正確にこなすことができれば、新オーナーの信用を勝ち得て、管理契約して頂けるかもしれない・・・そういう立場です。
 だから、例え県外遠隔地であっても、こちらから出向き、管理契約を頂くための営業をすることなど当然と言えます。
 
 先述した仲介業者の方も、高圧的かもしれませんが、新オーナーからの信頼は厚い。
 従って、我が社を推薦するも、足を引っ張るも、匙(さじ)加減ひとつです。

 最近の取引事例の中で、この原理原則が理解できてないと思われる言動が散見されました。
 本文を元に、もう一度自分達のスタンスを確認してみて下さい。

お洒落な失敗作

 築浅デザイナーズマンションの物確に行ってきました。
 これが松山でも珍しい三層メゾネット。
 つまり1~3階までが一世帯という、ファミリー賃貸に成ります。

 外壁も内壁も、基本コンクリート打ちっ放し。
 壁をつくる木材もボードもクロスも不要なので安上がり・・・というのは間違い。

 型枠パネルを外した際、コンクリートの地肌を鏡面の様に美しく仕上げるには、相当な手間と技術が必要です。
 建築家「安藤忠雄」さんの作品例を持ち出すまでもなく、奇麗な打ちっ放し仕上げには、何とも言えない品格があります。

 さて、確かに御洒落で目を引く、面白い物件ではありました。
 家賃も8万円超と、松山にしては高額物件の部類。
 但し、何とも入居率が悪く、半分以下の低水準です。

・ 駐車場が不足している
・ 日当たりが悪い
・ 1~3Fを内階段で上がる動線がNG
 
 つまり、デザインを重視する余り、生活する上で最も大切な部分を犠牲にしています。
 設計士主導か施主主導か判りませんが、入居者に支持されていない以上、失敗作と言われても仕方ないでしょう。

 我々は、経済合理性を前提として、より良い生活空間を提供することが第一義です。
 著名な先生の作品の中には、意匠は優れているものの、雨漏りが酷いとか、メンテがし難いといった物件も少なくありません。
 自らのこだわりで、「芸術作品」にしてしまうのは論外。

 どれだけ経験を積もうとも、実際に住む側の目線だけは、見失わないように心掛けたいものです。

殺傷兵器としての建物

 三井の分譲マンションといえば、一つのステイタスシンボル。
 その三井のマンションで、施工不良が発覚しました。

 11階建てマンションの地質データの一部が使い回され、結果的に杭が支持層に到達していないとのこと。
 2007年完成と言いますから、住民が生活して8年が経過しています。
 既に、建物の一部に傾きが出ているそうですから、何れにしても解体を余儀なくされるでしょう。

 こうした事件の度に思い出されるのが、今から十年前に起きた、姉歯一級建築士による構造偽装問題です。
 構造計算データ改ざんにより、著しく耐震性能の劣るマンションが次々発覚し、世の中を震撼させます。
 前職の会社も風評被害に晒され、3年後の民事再生法申請に至る序曲となってしまいました。
 
 建物を建築する際の確認申請は許認可制で、行政や委託機関が審査します。
 その大前提は性善説。
 即ち、「資格を持ったプロフェッショナルは責任ある確かな仕事をする」という考え方の元でチェックする訳です。

 仮に、性悪説に基づいて一からチェックするならば、確認申請が下りるまでに数ヶ月かかるかもしれません。
 実際、構造偽装問題直後はチェックが重くなり、着工の目処が立たない状況が続きました。

 ここで問題なのは、一級建築士も人間であるということです。
 資格を取得した段階で、一定の知識と技術の検証はできます。
 しかし、心身ともに健康であるか否かは判りません。

 多くの乗客を道づれにした機長の先例から、副機長による牽制や、心の健康のチェックといった仕組みが取り入れられてきた様に、具体的な再発防止策が求められるでしょう。
 万が一、巨大地震に見舞われた際、その建物は殺傷兵器と化すのですから。
 我々は、商売に先んじて「命を守る器」を提供しています。

井戸を雪で埋める

 部下は上司の鏡です。
 部下は上司よりも未熟なのですから、間違ったり、失敗したり、嘘をついたり、ごまかしたり・・・当然にあります。
 
 そしてそれは、指導不足、教育不足、管理不行き届き・・・上司の責任。
 更に、同じ過ちを繰り返さないために、叱ること、教えること・・・これも上司の役割です。

 「何度も言っていたのに。」
 これは部下の過ちに際しての、上司の常套句です。
 しかし、「何度言ったのか?」と聞くと、せいぜい4~5回。
 下手すると2~3回。
 上司の仕事は、耳にタコができようとも、何十回でも、何百回でも、何千回でも、「できるまで言う。」ことです。

 例えば、子供が万引きした、暴力沙汰を起こした。
 その時、「ああ、あいつはそんな奴ですよ。いつかやると思ってました。」
 そんな客観的なコメントをする、冷めた親は居ません。
 居たとしたら、親の資格はありません。
 
 「申し訳ありません。
 すべては教育の至らなさ。
 親として責任を感じています。」
 こうして、自責で受け止めるのが普通の人間です。

 部下を悪く言う上司、上司を悪く言う社長、それは天に唾する様に、自らの指導力不足を口外しているのも同然です。
 つい先日も、同じ思いに駆られました。

 部下は上司の鏡。
 そして、社員教育は井戸を雪で埋めるが如し。

 雪を入れても入れても、端から溶けていくその度に、虚しさとやるせなさを覚えてきました。
 それでも、いつかは必ずその井戸を、雪で埋めてみたいと思っています。

敵は社外にあり

 人は感情の動物・・・だからこそ人間関係は複雑です。
 友達なら、気の合う仲間とだけ群れていれば良いでしょう。
 しかし、ビジネスはそうはいきません。
 気の合わない人も当然います。

 新人時代のイチローと、土井監督との相性が悪かったという話は有名です。
 「振り子打法はプロでは通用しないと判断し、止めさせようとしたものの、イチローがその指導に従わなかったため二軍に落とした。」
 これは通説。

 イチロー自身は、この話を否定しています。
 「一度は監督の云われる通り実践してみたけれど、結果が出ないし、感覚的にも違うと気付いたため、元に戻した。」
 その後の彼の活躍ぶりは、今更語るまでもありません。

 一方、土井氏も、彼の活躍を見届けた後、こう語っています。
 「俺のやり方は間違っていたのか、と考えさせられた。
 イチローには結局、自分の方が教えられた。」

 ことの正誤はともかくとして、互いに真剣であったことが、二人のコメントから読み取れます。
 自らの経験や知識を前提に更なるレベルアップを目指し、プライドを賭け真剣にぶつかり合った結果です。
 馬が合うとか、合わないとか、子供の喧嘩の様なレベルで周囲に受け止められたとすれば、二人とも心外でしょう。
 勝負に賭ける思いは、もっと崇高なものです。

 監督と選手の関係に限らず、上司と部下も同じ。
 上司たるもの、部下を成長させるため、時には大声を張り上げてでも、時には机を叩いてでも、愛情を持った厳しさで接する気概が必要です。
 部下も、自らの人生を賭け、真剣に対峙しなければなりません。

 全てが未熟な中小企業であっても、好き嫌いの稚拙な執着からは、そろそろ卒業して貰いたいもの。 
 何より、本来戦うべき敵は、社内ではなく社外に居るのです。
 我々は、ビジネスという名の戦争を戦っています。
 些細なことで内輪揉めしている様では、早晩全員討ち死にしてしまうでしょう。

弱肉強食のブランド戦争

 コンビニ再編の流れが加速しています。

 地元四国で展開していた「スリーエフ」は、すべて「ローソン」に看板を付け替えました。
 「サークルK&サンクス」は、その名の通り二つのブランドが合併してできたものです。
 
 一つの会社が二つのブランドを擁することは、珍しくありません。
 しかし、今年に入って、四国の「サンクス」は、全て「サークルK」に替わりました。
 統一効果でブランド力が上がり、PB商品等の戦略も組み易くなるからでしょう。
 それでも、古くから愛着と誇りを持って「サンクス」を運営してきたフランチャイジーのオーナーからは、少なからず抵抗があったと聞いています。

 「サークルK四国」を展開しているM社長は、とても敏腕です。
 一例として、コンビニ併設の「K’sカフェ」を独自に開発し、エリアフランチャイジーからフランチャイザーへ、逆転の流れで地方発を全国に広めています。
 
 ところが今般、「サークルK&サンクス」と、業界三位の「ファミリーマート」とのM&Aがまとまりました。
 時期は来年9月。
 そして、全ての看板が、「ファミリーマート」に統一されることが発表されています。

 「サンクス」を運営していたオーナーは、不本意ながら「サークルK」に看板を掛け替えられ、立て続けに「ファミリーマート」への転身です。
 統合によって、狭小マーケット内に同一ブランドがひしめき、撤退を余儀なくされるかもしれません。

 「ファミリーマート」はかつて、「エーエム・ピーエム」も呑み込んでいます。
 まさに弱肉強食の侵略戦争。
 不動産賃貸仲介業にとっても、他人事ではないでしょう。

実り多き新居浜遠征:後編

 ホテルから芋炊き会場までは、2㎞以上離れていますが、散歩がてら徒歩移動。
 かつての会社の営業所跡を懐かしく横目に見ながら、ほどなく到着します。

 太鼓祭りを数日後に控えた、晩節の芋炊き会場は、家族連れを中心に賑わいを見せていました。
 ステージでは、生バンドによるジャズ演奏も展開されています。
 
 松山からはマイクロバスをチャーターして、遠く宇和島からはJRで、総勢40名弱の集いです。 
 先日、フィリピン「ダバオ」に出店された新居浜エイブルのS社長を始めとして、普段はあまりお話しできない方とも懇親を深めます。
 聞けばダバオでは、エイブルの看板を上げていないとか。
 フィリピンでは、ブランド力も知名度も弱く、ロイヤリティを払うだけのメリットを見出せないのでしょう。

 また、昨今の会議・会合で、丁々発止と舌戦を繰り広げている古参の方とも、お酒の力を借りてお近づきになることができました。
 今回、休日をおして参加した、一つの目的を達成できた訳です。

 西条はこの日から、続いて新居浜も祭りのシーズン。
 新居浜太鼓祭りの太鼓台は、7000~8000万円もするそうです。
 それを400~500世帯で支えるので、新調するとなれば一世帯20万円。
 西条祭りのだんじりは、2000~3000万円ですが、40~50世帯で抱えているところもあり、負担はより重いと言います。
  
 閉会後も歩いて帰るところを、地元のKさんとSさんが、車で送ってくれました。
 ありがとうございます。
 車中でも、新居浜の市民性を学習。

 「新居浜は、排他的だし、他人のことを余り良く言わない。
 その理由は、住友の企業城下街という位置付け。
 市民の6~7割は、何らかの形で住友関連の仕事に従事している。
 住友の仕事のパイは決まっていて、それを奪い合う以外に成長も生き残りもできない。
 つまり、よそからの参入を排除し、他を蹴落とすことが、自らの利につながる。」

 なるほど、大いに頷ける理屈です。
 今回は、ちょっとした小旅行気分の、気付きも実りも大きな新居浜遠征でした。   完

実り多き新居浜遠征:前編

 昨日の公休は、なかなか波瀾万丈な一日でした。

 朝はゆっくりさせて頂き、休日出社前の11:00、松山のジョイフルでブランチ中、携帯を忘れたことに気づきます。
 他の何を忘れても、携帯だけはまずい。
 
 しかも夜は、協会有志による芋炊きで泊まり。
 二日間携帯を携帯していないと、気が気ではありません。

 元々、JRを考えていたのですが、往復料金が8,000円超。
 ホテルに宿泊したら、朝食付4,000円だったため車にしたものです。
 JR乗車で忘れていたとすれば、取りに帰ることもできませんから、そういう意味ではラッキーでした。

 一旦出社した後、内子へとんぼ返り。
 40㎞往復を2セットですから、この時点で160㎞確定です。

 松山に舞い戻り、一時間ほど仕事した後、一路新居浜へ。
 免許を取得して35年、初めてカーナビ付きの車に乗っています。
 そこで、目的地を設定して走り始めました。

 設定が高速道路前提に成っているようで、案内は高速道路に乗せよう乗せようとしてきます。
 インター口を通り過ぎても、むきになって戻そう戻そうとします。

 すべてのインターで、こうした攻防が繰り広げられるのかと思いきや、その案内を振り切り、頑なに一般道を走っていると、やがて諦めて、一般道案内に切り替わるのです。
 その瞬間私は、「勝った」と心の中でほくそ笑むのでした。            つづく

声帯を奪う悪魔の呪文

 喉頭癌で声帯を失った、つんくさんが語っています。

  「もちろん、家族でカラオケにも行きたいし、レコーディングするなら、てっとり早く歌って指導できればそれに越したことはない。
 元気で完璧な喉ならステージで歌いたいって思います。
 でも、じゃあ、死ぬほど未練たらたらかって思ったら、そうでもないかもしれません。
 2000曲近い作品もあるし、まだまだこれからも作るし、声がなくってもやれることはあるしって。

 悪魔に『お前の寿命の代わりに大切な声をいただく』みたいな呪文にでもかけられたのかな。
 そんなふうに思ったりすることもあります。
 だったら歌声くらい持っていってね。
 その代わり楽しく長生きさせてもらうでって。」

 失くしたものを嘆くより、残されたものに感謝する。
 成功哲学の考えを、体現したかの様な台詞です。
 
 勿論、宣告から手術に至る過程では、絶望的な思いもあったでしょう。
 どこかで吹っ切って、前向きに生きなければならないと、頭では理解していたとしても、それはとても難しいことです。
 自分が同じ立場になったとして、笑顔でいられるかというと、まったく自信はありません。

 しかし、少なくとも五体満足、健康な身体で、仕事に勤しむことができることが、いかに恵まれていることかは判ります。
 逆境は、更なる成長のために、天が与えた最大のチャンス。
 越えられない逆境はありません。

一人前になる修行

 自分が不動産業に足を踏み入れたのは、30歳を目前にした辺りからです。
 
 高校を二週間で中退した後、ニートを半年経て、木や石を相手にした職人を11年間。
 前職の会社で、某菓子店の店長として勤務したのが3年間。
 そこから、全く畑違いの不動産部への異動です。

 転勤とか異動に抵抗を示されることも少なくありませんが、お菓子屋の店長から不動産営業というドラスティックさに比べれば穏やかでしょう。
 配属当初は、業界の慣習や、同業者との人間関係に戸惑いました。

・ 売買の話を進めている途中で、「自分も最初から話しをしていた」として差し込まれる。
・ お客様と直接話をしているにも関わらず、理由をつけて他社が抜いてくる。
・ 土壇場になって、理不尽な契約条件を突きつけられる。
・ 間尺に合わないクレームで、損害金を請求される。
・ 対法人で話を進めているにも関わらず、営業担当から個人バックを求められる・・・。 

 お会いする業者は有象無象の玉石混交。
 日々直面するのは、それまでに経験したことのない、胡散臭いことばかり。
 配属先には上司も居ないため、その時々で相談することもできません。
 
 正直、資格も持たない自分は、「この業界でやっていけるだろうか?」と不安だらけ。
 しかも、学歴も資格も無いため、辞めたとして行く所は限られます。
 後々考えますと、それによって、「辞める」という逃げ道のドアをFIXできたことは幸いでした。

 やがて、宅建試験に合格できた時初めて、「この仕事で食べて行こう」という自覚が芽生えます。
 場数を踏むほどに、力も自信もついてきました。
 あれだけ抵抗を感じていた業界の中で、いつの間にか四半世紀を生き、気がつけば業界団体の理事まで務めています。

 自分の拙い人生を振り返るまでもなく、未熟な間は日々修行です。
 修行が辛いのは当たり前。
 いかなる道を選択するにしても、目の前の仕事にのめり込んで一人前になるというプロセスだけは避けられません。
 逃げれば、また一からやり直しです。

何かあるのが人生

 お客様のお陰様、社員の頑張りによって、今期の業績は至って堅調に推移しています。
 ここ2~3年、期末の逆転サヨナラホームランが風物詩でした。
 期首からのロケットスタートは、創業来初めてです。

 一方で、社長の至らなさを象徴し、社内的には少し混乱がありました。
 それも、徐々に終息しつつあります。

 良く耳にする、経営する上での「三つの坂」。
 1. のぼり坂
 2. くだり坂
 3. まさか

 三番目の「まさか」は、時と場合を弁えることなく、突然に、何度でも、尚且つ波状的に訪れます。
 正直、心中では、「もう勘弁して」と思うこともあります。
 しかし、そんな時こそ、リーダーとしての資質が試されます。

 まさかの事態に接した時、TOPが「大変だ!」「どうしよう?」と慌てふためいていたらどうでしょう。
 その姿を見た社員(部下)には不安が拡がり、心がざわつくに違いありません。
 だからこそ、心の乱れを悟られることなく、冷静沈着に問題を整理し、優先順位に従い、打つべき手を打っていきます。
 もちろん、笑顔を忘れることなく・・・。

 いつも申し上げる通り、何かあるのが人生です。
 そして、何かがあるからこそ面白い。

 投げれば、百発百中でストライクのボーリング。
 打てば、必ずホールインワンできるゴルフ。
 そんなゲーム、誰が望むでしょう。

 時にはガターする、スピリットを残す。
 時にはラフに捕まる、バンカーにはまる、OBになる。
 嘆きと失望と悔しさを胸に秘め、挽回するために努力する・・・そのプロセスこそが面白いのです。

営業マンの第一義

 先日の朝、通常通り6:00前に出社して暫くすると、森社員が私服で登場。
 彼はその日、定休日でした。
 聞けば、「契約書作成のため」と言います。

 自分は決して、夜遅くまで残業することや、休日に出社することを美徳とは思いません。
 しかし、御客様や契約の都合に合わせ、帳尻を合わせなければならない時はあります。
 
 言わばそれが、ビジネスマンとしての責任。
 彼は、目的をしっかりと見据え、自らの責任を果たそうとしたのでしょう。
 流石、先月のトップセールスです。

 更に言えば、お客様のアポや緊急な業務の無い時、3人の営業マンが閉店時間まで残る必要もありません。
 交代での早帰りや遅出も奨励しています。

 製造業のライン業務であれば、労働時間と生産性が、ほぼイコールです。
 しかし、営業の場合は違います。
 休みもなく、朝早くから、夜遅くまで働いたとしても、生産性が伴わなければ意味がありません。

 勿論、「未熟な人間が質と効率と高めるためには時間をかけるしかない」、「即効性は無くても長期軸において必ず努力は報われる」といいった原理原則を踏まえた上での話です。

 とにかく、営業マンは成果を上げることが第一義。
 成果を上げるために、メリハリをつけ、自分で時間をコントロールする・・・。
 これが裁量労働制の本意です。

 国会では、残業ゼロ法案と揶揄される、「ホワイトカラーエグゼンプション」。
 体の良い企業の人件費削減策、という見方は明らかな間違いです。
 
 一方で一部、労働時間の長さに依存・安心してしまう働き手がいらっしゃるのも事実です。
 時間は、成果を上げるための手段・・・手段を目的化してはいけません。

あちらこちらはどんな国

 以前、この拙文で御紹介したお話しです。

【 国と国とを隔てる国境で、入国を管理する役人がいた。
 一人の男がやってきて、その役人に訊ねる。

男A : 「こちらは、どんな国だね?」
役人 : 「それより、あちらの国はどうでしたか?」
男A : 「皆、気さくな人ばかりで、優しくしてくれます。とても良い国でした。」
役人 : 「そうでしたか、こちらもそんな国ですよ。」

 その後、もう一人の男がやってきて、同じ役人に訊ねます。

男B : 「こちらは、どんな国だね?」
役人 : 「それより、あちらの国はどうでしたか?」
男B : 「皆、無愛想で、冷たくて、意地悪。とても酷い国でした。」
役人 : 「そうでしたか、こちらもそんな国ですよ。」 】 

 会社も、業界も、職業も、国も、そんなものだと思います。
 その良し悪しは、自分の心が決めると言っても過言ではないでしょう。
 隣の庭の芝生は、自分の庭の芝生よりも、概ね青く奇麗に映るものです。

 「向かいの山の紅葉が奇麗だったので行ってみた。
 その山から眺めてみると、元居た山はもっと奇麗だった。」

 引き返せたとしても、引き返せなかったとしても、そこに気付けたならば充分に成長の軌跡です。

お役立ちを阻む壁

 先般、県外のお客様が飛び込みで来店されました。
 自分の名刺をお持ちです。
 「一年前に何件か回った際、一番良くして貰ったので・・・。」
 と御世辞でも有難いお言葉を頂いたのですが、悲しいことに自分は覚えていません。

 県内に所有している土地建物の、売却の御相談。
 早速、調査してみますと、市街化調整区域の物件でした。

 土地は、市街化を進める「市街化区域」と、市街化を抑制(農業を奨励)する「市街化調整区域」とに、大きく分かれます。
 市街化調整区域において原則、家は建ちません。
 
 本物件は、農地法4条の許可を受け、農家に従事する人のための農家用住宅として現存しているものです。
 従って、本物件を購入した方は原則、家を建て替えすることができません。
 
 建物がまだ新しければ、朽ちるまで住み続けることができるため、限られた需要もあります。 
 しかし、本物件は既に朽ち始めています。

 例外としては、農家の方に売るか、土地収用にかかる方のための代替地(特例で建築が認められる)として売るか。
 収用代替地の需要は限定的であり、選べる土地は幅広く、余程の好立地でないと選ばれません。
 農家の方は、わざわざ買い求めずとも、一般的に広い土地をお持ちです。
 
 こうした事例に限らず、農地や山林をお持ちの方からも御相談を受けることがあります。
 しかし、どれだけ広い土地であっても、家の建たない土地はそうそう売れません。
 法律や都市計画の壁に阻まれ、お役立ちできないことは、実に残念です。

問題児のサクセスストーリー

 元代議士(現タレント)杉村太蔵氏の、当選経緯をバラエティー番組で知りました。

 筑波大学中退後、総理大臣官邸の隣りにある「山王パークタワー」でビル清掃員のアルバイト。
 ビル清掃に真面目に取り組む内、テナント入居しているドイツ証券「グレン・ウッド」氏の目に止まり、「君は将来必ず出世する」として、以降「社長」「会長」と呼び合う仲になった。
 
 ある日、太蔵はグレンから「キミは若いし、そんなに頭も悪そうじゃない。1週間後、うち(ドイツ証券)の入社試験をぜひ受けなさい。」と声をかけられる。
 勧めに応じ、試験を受けて契約社員として働くようになった。

 ある時、グレンから郵政民営化の動向を調査するように依頼をされ、調査を行っている2005年(平成17年)の自由民主党の公式サイトをみて候補者公募を知り、その一次審査の論文課題が自分がまさに調査していた『郵政民営化と構造改革について』であったため、数名の有識者の発言を引用した上で、「自分もそう思う。」と締め括った論文で応募。

 翌日、自民党本部から『すぐ来られますか?』と電話があり、近所で働いていたが故に「5分で駆けつけます」と言ったことから「やる気」を認められ、見事に合格。
 本来は当選圏ではない、南関東ブロック35位から出馬し、小泉ブームに乗じて次々と順位を繰り上げ、初当選を果たす。

 「黒塗りのハイヤーに乗って料亭通いしたい」
 「議員宿舎への入居が楽しみでしょうがない」
 「(選挙後)真っ先に国会議員の給料を調べました」
 「議員報酬でBMWを買いたい」
 「無料パスでグリーン車に乗り放題」

 数々の自由奔放な発言で、当時の幹事長から叱責を受け、謝罪会見まで行った問題議員でしたが、そのサクセスストーリーから只者では無いことが判ります。
 確かに運も味方しましたが、何よりも彼は成功するためのセオリーに忠実です。

 「チャンスの神様に後ろ髪は無い」

 まさに彼は、チャンスの前髪を捕らえました。
 タレントへの転身も、成功も、偶然ではなく必然なのです。

いろはす とまと

 前もってお断りしておきますが、本日の拙文は、一際くだらない内容です。
 昨日、大洲駅前店での契約前に、飲み物を買おうと思い、近くのスーパーに行きました。

 「いろはす 熊本県産とまと」84円が目に留まります。
 空いていたレジの若い女性に差し出し、「袋は結構です。」と遠慮する寸前に、「おしるしでよろしいですか?」と出鼻をくじかれ、「あ、は、はい。」
 続けざまにPOSを通し、「102円です。」と一言。

松岡 「あれ? 84円じゃないですか?」
店員 「いえ、102円です。」
 
 自信たっぷりに言い切られてしまい、小心者の私は、渋々財布から102円を出します。
 84円なら、もっと小銭が減らせたのに・・・。

 泣き寝入りしようかと思ったものの、どうしても納得できなくて会計後、なりふり構わずもう一度商品棚に戻って確認すると・・・。
 84円!

 再びレジに戻り、「やっぱり値段違ってますね。」
 すると、レジの女性は商品棚へ一直線。
 名札を見れば、表示は「研修生」です。

 戻ってきて、先輩に「値段が違ってます。どうしましょうか?」と相談。
 先輩が責任者を呼び、三人でああでもないこうでもない。
 私はずっと、立って待ってます。

 すったもんだの末、レジをマイナスして18円返金。
 しかし、「すみません。」も「申し訳ありません。」も無し。
 何とも後味の悪い結末です。

 たった18円でクレームつけたこまかい奴・・・みたいになってしまったことが実に心外。
 そして、財布の小銭は一層増えましたとさ。

高峰を目指して

 過ぎ去った事象について、後悔の念を深め、自からを責めるのは無意味です。
 過去を幾ら悔やんでも、一㎜たりとも動かすことはできないのですから。
 
 但し、ポジティヴシンキングは、必ずしも、後ろを振り返らないことではありません。
 「後悔」を「反省」に置き換えれば、充分に前向きな思考に成ります。
 今後二度と、同じ過ちを繰り返さないために、急遽店長会を開催し、分析・検証しました。

 社長の至らなさを反映して、会社はまだまだ未熟です。
 問題も山ほどあります。

 そんな中、足掻きながら、立派な会社を目指して、一歩一歩、足を進めています。
 理想を見上げながらの歩みは、カメの如く愚鈍。
 道は険しく大変です。
 
 それでも、一寸立ち止って後ろを振り返ると、小高いところからの景色を望むことができます。
 何年か前に比べ、歩み続けてきた分だけの高さ。
 
 いつか、見上げる山の頂に上り切り、今の位置を見下ろしたいものです。
 そのために、振り返ることなく、更なる高峰を目指し、今日も足を進めます。
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・尊敬する人 
稲盛和夫 西川広一 松下幸之助

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン
・趣味
 劇団AUGAHANCE初代代表
 主に脚本・演出を担当

・経歴 
 中卒後、大工・石工と職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業

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