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行けばわかるさ

 一人の社員が卒業していきました。
 この卒業という表現を抵抗なく、奇麗事でなく受け入れられる様になったのは、最近かもしれません。
 
 かつての自分は、辞め行く社員に「裏切り者」や「逃亡者」のレッテルを貼り、内部の引き締めに躍起でした。
 社内的に、そういう役割を担う立場にあったのも事実です。
 そして、自らが会社を去った時にも、同様の謗(そし)りを受けます。
 
 企業にとって最大の財産は、紛れもなく人材です。
 余裕の無い状況で運営する中小企業にとって、その思いはより切実。
 一人欠けただけで、その代替に苦慮し、その影響は会社全体に及びます。

 会社目線や、経営者目線で考えれば、社員の退職は辛いものです。
 しかし、社員個々には、各々の考えがあり、各々の人生があり、各々の道があります。
 
 自分は27歳の時、11年間に及ぶ職人生活にピリオドを打ち、ビジネスの道に足を踏み込みました。
 生半可な気持ちでは無いものの、不安と希望の入り混じる転職だったと記憶しています。
 その時の決断が自分の人生を大きく変えました。

 若さ故の稚拙な判断や、浅はかな考えや、誤解や曲解があるとすれば、それを解く努力は惜しまないつもりです。
 それでも、進むべき道が明確なら、その道での成功を精一杯応援します。

 何かがきっかけで三差路に立ち止まり、右に行くべきか、左に行きべきか迷う。
 どちらに進んでも、道は平坦ではないでしょう。
 必ず、山や谷があります。
 
 『 この道を行けばどうなるものか
 危ぶむなかれ
 危ぶめば道はなし
 踏み出せばその一足が道となり
 その一足が道となる
 迷わずゆけよ
 行けばわかるさ 』

 正しかったか、間違っていたかは、その三差路での判断だけで決まる訳ではありません。
 退路を断って迷わず、脇目も振らず一心不乱に一所懸命、ただただ歩き続ける・・・。
 道を選んだ後の、後天的な頑張りが、大勢を決します。
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青春

 53歳に成りました。
 20代の頃には、50代の自分を想像できなかったように思います。
 50歳を超えた今、さしたる自覚もありません。

 若かりし頃に見た50代は、初老のイメージです。
 確かに体力は確実に衰え、頭には白いものが増えてきました。
 肉体的な老いには抗えません。

 しかし、半世紀以上生きてきたのであれば、精神的にはもっと達観しても良いでしょう。
 未だ未熟で、徳の薄い人間であります。

 もっとも、自分自身の現状に満足し、自慢話を語り始めたら成長は止まり、未来への希望・展望より昔話が楽しいと感じ始めたら心も老います。

 『 青春 』
 青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。
 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。
 年を重ねただけで人は老いない。
 理想を失う時に初めて老いがくる。
 歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。
 苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。
 年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

 曰く
 驚異への愛慕心、
 空にひらめく星晨、
 その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、
 事に處する剛毅な挑戦、
 小児の如く求めて止まぬ探求心、
 人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く
 人は自信と共に若く
 希望ある限り若く
 疑惑と共に老ゆる
 恐怖と共に老ゆる
 失望と共に老い朽ちる

 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。
 これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。     サミュエル・ウルマン

 青春を謳歌したいと思います。

たこ焼き屋の言い分

 ショートショートのフィクションです。 

 風光明媚な南沙公園はとても穏やかで、地域住民の憩いの場所。
 また、学校や繁華街への近道として、頻繁に利用されていました。

 ある日突然、公園横の路側帯に、一台の車が無許可で車を停め、「たこ焼き屋」を始めます。
 店構えも、主人の風体も胡散臭く、気軽には近寄り難い雰囲気です。

 遠巻きに眺めていた周辺住人は、地域の安全と平和を守る警察に訴えます。
 警察も、「ややこしいことには首を突っ込みたくない」と思ったのか、最初は静観の構えでした。

 無抵抗な状況に乗じ、たこ焼き屋は一気呵成に出店を加速します。
 気がつけば東西南北、公園内の到る所に、そのたこ焼き屋は展開してしまいました。
 
 流石に看過できないと判断した警察は、遂に重い腰を上げ、
 「ここは公共の場所ですから、速やかに退去して下さい。」と退去を促します。

 ところが、たこ焼き屋は立ち退くどころか、地面に穴を掘ってのぼりを立てたり、テント内に椅子やテーブルを置き、イートインのコーナーまで設ける始末。

 慌てた警察は、パトカーや白バイで、たこ焼き屋の周辺を巡回し、警告をするのですが、たこ焼き屋は開き直ります。
 「いやいやこの公園は私のものです。 応仁の乱によって強引に奪われましたが、そもそもその前までは私の祖先が納めていたのですから。」
 
 ・・・ですって。

一つ拾えば一つ奇麗

 十年程前、イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏が来松されました。
 鍵山氏と言えば、「日本を美しくする会」の創設者です。
 愛媛では、鍵山氏の薫陶を受けた有志により、学校等公共施設のトイレ掃除を素手で行う「掃除に学ぶ会」が根付いています。

 講演の最後に、質問コーナーがありました。
 すると、待ってましたとばかりに一人の女性が手を挙げます。
 
 「私は、鍵山先生の活動に感化され、毎朝地域のゴミ拾いを行っています。
 ところが、拾っても拾っても、また同じところにゴミが落ちていて、憤りと虚しさを覚えるのです。」

 正直、講演の内容をしっかり聞いていれば、質問の答えは語られていました。
 それでも鍵山さんは、いつもと変わらぬ仏の様な温和な表情で、丁寧に答えられるのです。

 「毎日、毎日、ゴミ拾いされている御努力に敬意を表します。
 私も同じ様な経験をしてきました。
 拾っても拾っても、次の朝にはまた落ちている。
 虚しさを感じる御気持ちは良く判ります。
 但し、一つ拾えば一つ奇麗になる・・・これは紛れもない事実なのです。」

 会社経営も同じ。
 あるべき姿を思い描いた時に、現状とのギャップはあります。
 そのギャップを埋めるために、様々な手を尽くす。
 しかし、研修をしても、ロープレをしても、面談をしても、なかなか追いつかない。
 
 時には、後退したかのように錯覚することもある。
 社員教育も研修も、やってもやらなくても同じゃないかと、虚しさを覚える。
 
 一たび行えば瞬時の内に効果が出て、スキルや知識が身につく・・・そんな特効薬はありません。
 研修もロープレも社内改善も、途中で止めればそこまでです。
 
 遅々とした歩みで効果は見え難いけれど、一つ行えば一歩前進。
 そう信じて継続するところから道は拓けるのだと思います。

心からのありがとう

 昨夜の深夜のTVに、アパレル業界の風雲児と言われる株式会社ピーアイの奥ノ谷圭佑・・・通称「短パン社長」が出演されていました。
 個人的にはお会いしたことはありませんが、友達の友達(アルカイダじゃなく・・・)で、SNSでは良くお目にかかっています。
 その風貌や、365日中365日を短パンで過ごすポリシーから、インパクトは強烈です。

 毎朝、出勤前にスタバに立ち寄り、SNSチェックやブログupを行う
 とにかくカレー好きで、カレーばかり食べている
 スーツを購入した上で、わざわざ短パンにしてしまう
 打ち合わせ中に、要点をメモしようとするけれど、取り出すペンが尽くインク切れ・・・

 チャラチャラしていて、豪放磊落で、破天荒で、異端児なキャラが立っています。
 しかし、そのインキ切れの理由は・・・。
 お客様一人ひとりに、手書きで感謝状を書いているから・・・。

 「手書きだからこそ伝わる。
 ショップ店員のありがとうございますぅ♪・・・これは本当に感謝してはいない。
 大事なのは心から、ありがとうございます・・・って言えるかどうかです。」

 年商10億円はダテじゃありません。
 番組の作り方もありますが、その心根の繊細さと、誠実さにギャップ萌えです。
 以前は筆まめを自負していましたが、昨今メールやSNSに頼り過ぎている自分自身を反省させられました。

 心から、ありがとうございます。

一瞬早過ぎず遅過ぎず

 森信三氏の至言です。

 「人間は一生の内、逢うべき人には必ず逢える。
 しかも、一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎない時に。」

 実は企業経営においても、この至言は当て嵌まります。
 必要な時に、必要な人材と逢えるのです。

 例えば、現在松山久米店で店長を務めている大野取締役。
 彼とは、それまで、業界団体の集まりで数回お会いした程度の仲でした。
 その後、SNSでつながります。

 前職の会社を離れられたとの報を受けた段階で、すかさずメッセージを送りました。
 「一度、お会いしましょう。」
 
 彼に声をかけたのは、弊社だけではなかったと思います。
 それでも結果的に、選択して貰った訳です。
 同じタイミングで前店長が退職することになたため、後任としてスムーズな移行と成りました。
 まさに、一瞬早過ぎず、一瞬遅過ぎず・・・。
 
 但し、この言葉には前提条件があります。
 それは、心に強く願っているかどうかです。

 桃太郎の御婆さんは、川に洗濯に行った際、川上から流れてきた大きな桃を見つけました。
 かぐや姫の御爺さんは、山に竹を取りに行った際、金色に光る竹を見つけました。

 山や川には、他にも多くの御爺さんや御婆さんが居た筈です。
 単に見逃しただけかもしれませんし、気味悪がってやり過ごしたのかもしれません。
 桃や竹をパッコーンと割ったのは、好奇心や欲も含めた、思いが強かったからです。

 チャンスの神様は前髪しか無い。

 人との出逢いも、縁を活かすのも、実は有意注意です。

行動のみが真実

 今も未熟ですが、もっともっと未熟な頃に教えられた言葉です。

 「言葉に真実は無い。 真実は行動にのみある。」

 ・ 宅建を取ります・・・と言いながら、さっぱり勉強しない
 ・ 感謝してます・・・と言いながら、ありがとうが言えない
 ・ 営業力を上げたい・・・と思いながら、ロープレをしない
 ・ 物調します・・・と言いながら、オーナー訪問していない
 ・ 健康に留意します・・・と言いながら、喫煙&暴飲暴食・・・

 まさしく、言葉に真実はありません。
 誤解を恐れずに言えば、行動しない心根の美しい人よりも、計算高く浅ましくとも行動する人の方が立派です。

 もっと具体的に比較します。
 Aさん 笑顔が爽やかで、物腰柔らかくて、常に世のため人のためを考えながら、煙草の吸殻を平気で車窓から投げ捨てる
 Bさん いつも仏頂面で、言動が粗野で、頭の中は身勝手で利己的だけれど、煙草の吸殻を毎朝、黙々と拾っている

 見てくれや、心情はともかくとして、例えその行動が偽善であっても、断然Bさんの方が立派な人でしょう。
 というより、人の心と行動は矛盾だらけです。

 贈収賄事件で摘発された犯人を見て、「とんでもない奴」と思いながら、自分が当事者になれば心が揺らぐ
 痴漢で捕まった犯人を見て、「愚かな奴」と蔑(さげす)みながらも、空想の中では自分が犯人に成ってしまう
 飲酒運転で事故を起こした犯人を見て、「何やってんだ」と憤りながら、「ちょっと位良いか」と誘惑に負ける・・・

 日常ではそんなことばかりです。
 だからこそ、想いは当てに成りません。

 「努力する」とは、行動すること。
 正しい行動を重ねて行く内、少しずつ誠実な人間性や、徳が身についてくるものだと信じています。
 行動のみが真実です。

自主・自立・自燃

 サッカー界の重鎮、三浦知良選手が、口語体で判り易く人生訓を語りかける、日経新聞のコラム「サッカー人として」。
 これまで拙文で、何度も取り上げてきました。

 【 選手を自由にさせて勝てば「のびのびが良かった」とされ、
  負ければ「のびのびさせて」規律が足らなかったと批判される。
  何が正解なんだか分からず、僕らの世界は結果がすべて。 】

 そう、まさに勝負の世界は勝てば官軍です。
 ビジネスも例外ではありません。

 前職の会社は、規律に厳しく、業務の標準化を強力に推進する会社でした。
 成功事例をベンチマークとして、徹底的に模倣します。
 営業ツールも営業トークも総て規格化し、全営業マンが版で押した様に、一字一句違わない共通の応酬話法を体得していました。

 自分の入社時19名だった社員が、僅か十数年で680名。
 こうした規格化・標準化によってでなければ、その急成長を支えることができなかった訳です。
 
 会社は紛れもなく、「規律の文化」によって成長しました。
 型枠に入れ、どこを切っても同じ、一定レベルの均一な人材を、短期間で大量に輩出できるのは一つの成功パターン。
 我々は、敷かれたレールの上を忠実にトレースして、順調に歩んで行ったのです。 

 ところが、一旦会社が傾き出すと、敷かれたレールがうね曲がり、列車は迷走し始めます。
 信じていた成功パターンが通用しなくなると最早、車体を立て直すことも、新たなレールを敷設することもできません。

 規律の文化の洗礼を受け、規格化・標準化の枠の中で育てられた人材は、素直で従順である反面、思考停止の指示待ち族に成り下がります。
 残念ながら、A級戦犯の自分も含めてです。
 危機回避の方法も、事態打開の智恵も浮かびません。

 社会人として求められる最低限必要な規律と、経営理念・経営方針の元、自らが目標に向かって創意工夫を重ねられる、自主・自立・自燃の人を目指したいものです。

NYホームNY支店

 先日のブログで、「高い山を目指そう!」というお話しをしました。
 会社はTOPが描いた範囲でしか伸びない、と言われます。
 裏を返せば、思い描いただけは、伸びる可能性があります。
 目標が天井を決めるのであれば、世間様から大言壮語と揶揄される位、分不相応な目標を掲げるのも良いでしょう。
 
 日本電産という会社は、1973年の創業です。
 創業メンバーは永守社長以下、僅か4名。
 社長の自宅横の納屋を改装した工場からのスタートでした。

 スケール大きく、社名を日本電産とした理由は、やはり志です。
 創業当初は、どこをどう見ても名前負けの企業規模に、世間から失笑を買います。
 
 しかし、創業から半世紀後の今、売上高は1兆円超。
 ニューヨーク証券取引所にも上場し、日本どころか世界の日本電産と成り得ています。

 我々の会社名は、創業当時「NYホーム大洲」でした。
 先述の日本電産とは真逆の超ローカル志向(笑)。
 
 その僅か数ヶ月後、松山に出店することになった際、「NYホーム大洲・松山支店」はさえないね、という話になります。
 確かに、「ラフォーレ原宿・松山」とか、「東京第一ホテル松山」といった事例もありますが・・・。 

 とにもかくにも、社名から大洲を削除し、「NYホーム」に改称しました。
 何と計画性の無い愚行。
 看板と登記は変更しましたが、未だ会社の実印・銀行印には、「NYホーム大洲」と刻まれています。

 社名だけの問題ではありませんが、目標が高ければ、遠く険しい道程を覚悟します。
 従って、少々の躓きにも挫けない強さを、味方につけることができます。

 バルセロナ五輪、男子マラソン代表の谷口浩美選手は、20㎞地点でシューズを踏まれ、よろけた所を後続選手から押され、5m近く吹っ飛ばされて転倒。
 気力を振り絞って立ち上がったものの、先頭集団は遥か遠くで、大きく引き離されてしまいます。
 普通の精神力なら、レースを諦め、リタイヤしたに違いありません。
 
 ところが、谷口選手はそこから驚異の追い上げを見せ、見事8位入賞を果たすのです。
 レース後、靴を踏んだ選手や、突き飛ばした選手への恨み事を口にするでもなく、「こけちゃいました」と語り、メダルよりも輝かしい笑顔を見せてくれました。
 五輪の舞台に照準を合わせ、毎日毎日苦しい練習をこなし、日の丸の期待を背負っていたからこそ、彼は不屈の闘志で立ち上がることができたのでしょう。
 
 思い返すにつけ、「NYホーム大洲・松山支店」は、実に滑稽です。
 しかし、将来仮に、海外出店することになり、ニューヨークに店を出したとすれば・・・。
 「NYホームNY支店」
 実現の可能性はともかくとして、そんな夢物語を語っても、笑われない会社にしたいとだけは思っています。

頂に続く険しい道程

 人生も、経営も、登山に似ています。
 まず、「頂上を制する」という目標を持つからこそ頑張れるのでしょう。
 目指すべき山の高さによって、難易度は様々です。

 松山城の城山なら、今日の会議を終えてから、「皆で登ろう」と声掛けしても登れます。
 スーツ姿でも、ハイヒールでも、大丈夫です。
 登頂後の達成感はありません。
 
 石鎚山なら、日を改めて・・・と成ります。
 富士山なら、スケジュールを組んで、それなりの服装・装備で臨む必要があります。
 エベレストになりますと、もはや命賭けです。

 事前の体力作りやトレーニングを踏まえ、現地のガイドを雇い、天候を見極め、遭難の危機と対峙しながらの、緊張感あるチャレンジになります。
 極めて困難な道程ですが、頂きを極めた時の感動・達成感は、想像に難くないでしょう。

 NYホームも、城山とか石鎚山を目指すのであれば、もっと楽でした。
 具体的に言えば、1店舗だけで満足するようなもの。
 僅か1年2ヶ月で4店舗のインフラを整えた足跡は、業界的にも、地域的にも、かなり異例です。

 それが故、創業から3~4年は、資金繰りに苦慮したり、人材が定着しなかったり、険しい道程が続きました。
 当時に比べれば今は、管理戸数も増え、収益性も改善され、経営的にも安定しています。
 勿論、細部に目をやると、問題のある店舗があったり、慢性的な人手不足にも悩まされたり・・・。

 正直、時には、登るべき山を変更すべきではないか?という思いに駆られることもあります。
 ターゲットを低い山にすれば、沢山の問題は瞬時に解決し、多くの困難から解放されます。
 しかし、「楽」になることは、「楽しい」ことではありません。

 我が社は登山の途中ですから、あるべき姿(頂)からすれば、まだまだ未熟です。
 道は険しく、悩みは尽きず、トラブルの連続。
 それでも、少し歩みを止め、後ろを振り返ると、今まで歩んできた道程や町並みを見渡すことができます。

 それは紛れもなく、我々が6年間かけ一歩一歩、足元の山道を踏みしめ歩んできた結果です。
 一足跳びに頂上は目指せません。
 これからも、一歩一歩歩んで行きます。
 その歩みは、必ず頂上につながっていると信じて・・・。
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン

・経歴 
 雄新中卒業 → 新田高校中退
 大工・石工と約十年職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業
 令和2年 ㈱南洋建設 代表兼任
 令和4年 ㈱たんぽぽ不動産起業

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