人生は選択の連続
人生、思う通りにはなりません。
時に、何故これほどまでに上手くいかないのかと、運命を恨むこともあります。
しかし、冷静になって気付くべきです。
貴方の居る現在地点は、自らの過去の選択によって導かれたポジションであることを。
『人生は選択の連続である』
・ 朝、目覚めて、すぐ飛び起きる or 少しうとうと or もう一寝入り
・ 食前に歯を磨く or 食後に歯を磨く or 歯磨きしない
・ 朝食はパンにする or 和食にする or 一切摂らない・・・
どんな服を着て行くかとか、何時に出発するか、どのルートで出勤するか・・・といった細かい点まで含めれば、人は一日に4万回もの選択をしていると言います。
先日、宿泊先のホテルから会合の会場まで歩いて行った時のことです。
とても暑かったので、かなり遠回りになるのを承知で、アーケード街を選択します。
すると、かつての同僚にばったり出会い、4年振りに旧交を温めることができました。
これも選択の結果。
体重が増えるのも、睡眠不足なのも、遅刻するのも、虫歯になるのも・・・選択の結果です。
どんな友達と遊ぶか、どんな学校に進むか、部活動は何にするか、真面目に勉強するか、どんな職業を選択するか、どんな会社に入るか、意中の異性に告白するか、何を目指すか、どれだけ努力するか・・・。
人は皆、要所要所で岐路に立たされます。
そしてその時々の選択が、そこから先の人生を大きく変えていくのです。
今の環境に不満を持ったとしても、それは決して他人のせいではありません。
自分自身の、過去の選択の集積結果として、今があるだけです。
そして自らが望むならば、未来は自らの選択によって変えられます。
時に、何故これほどまでに上手くいかないのかと、運命を恨むこともあります。
しかし、冷静になって気付くべきです。
貴方の居る現在地点は、自らの過去の選択によって導かれたポジションであることを。
『人生は選択の連続である』
・ 朝、目覚めて、すぐ飛び起きる or 少しうとうと or もう一寝入り
・ 食前に歯を磨く or 食後に歯を磨く or 歯磨きしない
・ 朝食はパンにする or 和食にする or 一切摂らない・・・
どんな服を着て行くかとか、何時に出発するか、どのルートで出勤するか・・・といった細かい点まで含めれば、人は一日に4万回もの選択をしていると言います。
先日、宿泊先のホテルから会合の会場まで歩いて行った時のことです。
とても暑かったので、かなり遠回りになるのを承知で、アーケード街を選択します。
すると、かつての同僚にばったり出会い、4年振りに旧交を温めることができました。
これも選択の結果。
体重が増えるのも、睡眠不足なのも、遅刻するのも、虫歯になるのも・・・選択の結果です。
どんな友達と遊ぶか、どんな学校に進むか、部活動は何にするか、真面目に勉強するか、どんな職業を選択するか、どんな会社に入るか、意中の異性に告白するか、何を目指すか、どれだけ努力するか・・・。
人は皆、要所要所で岐路に立たされます。
そしてその時々の選択が、そこから先の人生を大きく変えていくのです。
今の環境に不満を持ったとしても、それは決して他人のせいではありません。
自分自身の、過去の選択の集積結果として、今があるだけです。
そして自らが望むならば、未来は自らの選択によって変えられます。
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メラビアンの法則
コミュニケーション・パイプは、様々な手法があります。
電話、手紙、メール、面談、朝礼、会議・・・。
多様なコミュニケーションによる、発信者から受信者への「伝わり方」を科学したのが、「メラビアンの法則」です。
◇ 7% 「言語情報=Verbal」
◇ 38% 「聴覚情報=Vocal」
◇ 55% 「視覚情報=Visual」
本法則によれば、手紙やメールを読んだだけでは、僅か7%しか伝わりません。
例えば、「ばか」という言葉は、文字として読めば腹立たしい限りですが、話し言葉のアクセントやニュアンスで、「甘え」や「愛情表現」として使われることもありますし、相手の冗談に対しての軽いツッコミだったりもします。
現代では、「バカ(笑)」といった囲み文字や絵文字を駆使して、言葉足らずを埋めることもあるでしょう。
しかし、電話であっても伝わるのは7%+38%=45%。
やはりフェイストゥフェイスで、相手の目をしっかり見て、時に身振り手振りで伝えあう、面談に勝るものは無いのです。
では、メールや手紙は、面談や電話に劣るコミュニケーションなのかというと、それは違います。
例えば、メールの効用とは何か。
① 遠隔地の方も含めて、沢山の方に、同じ内容を、同時に一斉配信できる
② 記録として残るため、証拠的価値がある
③ 発信者は、時間をかけて内容を精査することができる
④ 受信者は、都合の良い時に読み、後で読み返すこともできる
業務上の重要な報告を、関係者一同に口頭で伝えようとすると、時間も手間も膨大です。
言ったつもりが伝え漏れていたり、聞いたつもりが取り違っていたり、言った言わないのトラブルは枚挙に暇がありません。
公休の社員には人伝(ひとづて)となり、更に伝わり難くなります。
一方、緊急な判断が求められることを、メール送りっ放しではいけません。
緊急性の無いことであれば、わざわざ休日の社員に電話することはないでしょう。
会社の方針を伝えるべく、わざわざ休日を潰してまで全社会議を招集するのも、そうするだけの重要性があるからこそです。
つまり、ケースバイケース&臨機応変に、正しい手段を選ぶ判断力が求められます。
こうして、ブログで書いたとしても、100%伝わるとは過信していません。
だからといってやめてしまえば、7%どころか1%も伝わらない・・・やらないよりはやった方が良いのです。
手法や手段はともかく、方針や価値観が徹底できるまで発信し続けることは、TOPの責務でもあります。
電話、手紙、メール、面談、朝礼、会議・・・。
多様なコミュニケーションによる、発信者から受信者への「伝わり方」を科学したのが、「メラビアンの法則」です。
◇ 7% 「言語情報=Verbal」
◇ 38% 「聴覚情報=Vocal」
◇ 55% 「視覚情報=Visual」
本法則によれば、手紙やメールを読んだだけでは、僅か7%しか伝わりません。
例えば、「ばか」という言葉は、文字として読めば腹立たしい限りですが、話し言葉のアクセントやニュアンスで、「甘え」や「愛情表現」として使われることもありますし、相手の冗談に対しての軽いツッコミだったりもします。
現代では、「バカ(笑)」といった囲み文字や絵文字を駆使して、言葉足らずを埋めることもあるでしょう。
しかし、電話であっても伝わるのは7%+38%=45%。
やはりフェイストゥフェイスで、相手の目をしっかり見て、時に身振り手振りで伝えあう、面談に勝るものは無いのです。
では、メールや手紙は、面談や電話に劣るコミュニケーションなのかというと、それは違います。
例えば、メールの効用とは何か。
① 遠隔地の方も含めて、沢山の方に、同じ内容を、同時に一斉配信できる
② 記録として残るため、証拠的価値がある
③ 発信者は、時間をかけて内容を精査することができる
④ 受信者は、都合の良い時に読み、後で読み返すこともできる
業務上の重要な報告を、関係者一同に口頭で伝えようとすると、時間も手間も膨大です。
言ったつもりが伝え漏れていたり、聞いたつもりが取り違っていたり、言った言わないのトラブルは枚挙に暇がありません。
公休の社員には人伝(ひとづて)となり、更に伝わり難くなります。
一方、緊急な判断が求められることを、メール送りっ放しではいけません。
緊急性の無いことであれば、わざわざ休日の社員に電話することはないでしょう。
会社の方針を伝えるべく、わざわざ休日を潰してまで全社会議を招集するのも、そうするだけの重要性があるからこそです。
つまり、ケースバイケース&臨機応変に、正しい手段を選ぶ判断力が求められます。
こうして、ブログで書いたとしても、100%伝わるとは過信していません。
だからといってやめてしまえば、7%どころか1%も伝わらない・・・やらないよりはやった方が良いのです。
手法や手段はともかく、方針や価値観が徹底できるまで発信し続けることは、TOPの責務でもあります。
ありがとうの意味
某お友達から、某大手企業総務担当の方を御紹介頂きました。
この某お友達は、数年前からの知人ですが、facebookを初めてから急速に親交が深まり、こうした拙文にも「いいね」やコメントをよく下さいます。
先日の日曜日、その某お友達と某大手企業総務担当の方が連れだって御来店されました。
某総務担当の方は社員のお部屋探しのために、某お友達は私と某総務担当の方を引き合わせるために・・・。
時は日曜日の13:30・・・そう貴重なお休みを割いて御来店頂いた訳です。
この某お友達は業界に顔が広く、松山で一番不動産業者を知っていらっしゃると言っても過言ではないでしょう。
そんな方が、星の数ほどある不動産業者の中で、わざわざ弊社を選んでお声掛け頂いたのです。
これは「当たり前」ではありません。
「当たり前」で無いとは、「有難い」こと。
だから「ありがとう」と感謝するのです。
「いただきます」も「ごちそうさま」も、言葉にはそれぞれ意味が有ります。
日常の中で、つい、単に儀礼的な挨拶として、「ありがとう」を発してはいないでしょうか。
某お友達と某総務担当の方とお話しをしている内、何名かの共通の知人の話題が上ります。
皆さん、仕事観や人生観について、波長の合う方ばかりです。
お帰りに成られた後、某総務担当の方に御礼のメッセージと、facebookの友達申請を行いますと、間髪入れずに御承認頂きます。
こうして、また一つの縁がつながりました。
改めて、ありがとうございます。
御縁をつなげる様に、しっかりお役立ちしたいと思います。
この某お友達は、数年前からの知人ですが、facebookを初めてから急速に親交が深まり、こうした拙文にも「いいね」やコメントをよく下さいます。
先日の日曜日、その某お友達と某大手企業総務担当の方が連れだって御来店されました。
某総務担当の方は社員のお部屋探しのために、某お友達は私と某総務担当の方を引き合わせるために・・・。
時は日曜日の13:30・・・そう貴重なお休みを割いて御来店頂いた訳です。
この某お友達は業界に顔が広く、松山で一番不動産業者を知っていらっしゃると言っても過言ではないでしょう。
そんな方が、星の数ほどある不動産業者の中で、わざわざ弊社を選んでお声掛け頂いたのです。
これは「当たり前」ではありません。
「当たり前」で無いとは、「有難い」こと。
だから「ありがとう」と感謝するのです。
「いただきます」も「ごちそうさま」も、言葉にはそれぞれ意味が有ります。
日常の中で、つい、単に儀礼的な挨拶として、「ありがとう」を発してはいないでしょうか。
某お友達と某総務担当の方とお話しをしている内、何名かの共通の知人の話題が上ります。
皆さん、仕事観や人生観について、波長の合う方ばかりです。
お帰りに成られた後、某総務担当の方に御礼のメッセージと、facebookの友達申請を行いますと、間髪入れずに御承認頂きます。
こうして、また一つの縁がつながりました。
改めて、ありがとうございます。
御縁をつなげる様に、しっかりお役立ちしたいと思います。
乗り間違え抑止
「今日の言葉」と題するブログを3年間に渡って綴ってきました。
毎日続けることは、自分の中でのこだわりに過ぎません。
「どういう会社にしたいか」「どう生きたいか」という仕事観、人生観がベースですので、道半ば至らない点については反省ばかりです。
社員の方には、折にふれて感想を求めます。
頂いた感想には、短文ながら必ず返信します。
誤解が生じている時にはすかさず指摘しますし、難しいテーマであれば時間を割いて議論しますし、良い提案と思われる場合には仕組みに取り入れることもあります。
そもそも、会社に集う社員は、生まれも育ちも性別も年齢も経歴も趣味も嗜好も性格も、各人各様皆バラバラ。
そんなバラバラ集団ですから、本来ベクトルなど合致する筈がないのです。
社員が頑張れば会社の利益が上がる → 会社の利益が上がれば給与や賞与や昇給等の待遇が改善される、という経済合理性の元、利害関係が合致し、辛うじて同じ方向を向いています。
しかし、労働の対価として時間を切り売りするという考え方に留まったのでは、個人も会社も成長できません。
はたまた人生で最も長く過ごす仕事の時間が、虚(むな)しい苦役に成り下がってしまいます。
個々人の個性は重視しつつ、会社の目的・目標、求める人材像といった、存在価値に繋がる部分は忽(ゆるが)せにできません。
従って、金太郎飴の様に、共通の価値観を持って頂く必要があります。
何年か前、松山から特急列車に乗って高松に出張しました。
うとうととし、ふと目が覚めると両サイドに海が拡がっています。
何と、瀬戸大橋を渡っているではありませんか。
そう、この列車は高松行きの「いしづち」と、岡山行きの「しおかぜ」が連結されており、多度津で分割されます。
自分は寝ている間にアナウンスを聴き逃し、「しおかぜ」の自由席に乗っていたのです。
「この列車、次の多度津駅で、岡山行「しおかぜ」と、高松行「いしづち」に切り離されます。
お乗り間違えに御注意下さい。」
毎日の発信→返信のキャッチボールは、乗り間違えを抑止するための大事な確認作業なのです。
毎日続けることは、自分の中でのこだわりに過ぎません。
「どういう会社にしたいか」「どう生きたいか」という仕事観、人生観がベースですので、道半ば至らない点については反省ばかりです。
社員の方には、折にふれて感想を求めます。
頂いた感想には、短文ながら必ず返信します。
誤解が生じている時にはすかさず指摘しますし、難しいテーマであれば時間を割いて議論しますし、良い提案と思われる場合には仕組みに取り入れることもあります。
そもそも、会社に集う社員は、生まれも育ちも性別も年齢も経歴も趣味も嗜好も性格も、各人各様皆バラバラ。
そんなバラバラ集団ですから、本来ベクトルなど合致する筈がないのです。
社員が頑張れば会社の利益が上がる → 会社の利益が上がれば給与や賞与や昇給等の待遇が改善される、という経済合理性の元、利害関係が合致し、辛うじて同じ方向を向いています。
しかし、労働の対価として時間を切り売りするという考え方に留まったのでは、個人も会社も成長できません。
はたまた人生で最も長く過ごす仕事の時間が、虚(むな)しい苦役に成り下がってしまいます。
個々人の個性は重視しつつ、会社の目的・目標、求める人材像といった、存在価値に繋がる部分は忽(ゆるが)せにできません。
従って、金太郎飴の様に、共通の価値観を持って頂く必要があります。
何年か前、松山から特急列車に乗って高松に出張しました。
うとうととし、ふと目が覚めると両サイドに海が拡がっています。
何と、瀬戸大橋を渡っているではありませんか。
そう、この列車は高松行きの「いしづち」と、岡山行きの「しおかぜ」が連結されており、多度津で分割されます。
自分は寝ている間にアナウンスを聴き逃し、「しおかぜ」の自由席に乗っていたのです。
「この列車、次の多度津駅で、岡山行「しおかぜ」と、高松行「いしづち」に切り離されます。
お乗り間違えに御注意下さい。」
毎日の発信→返信のキャッチボールは、乗り間違えを抑止するための大事な確認作業なのです。
最大の抵抗勢力
先日参加した中小企業家同友会松山支部例会の締めの挨拶で、本田副支部長が紹介された言葉が印象に残りました。
フランス「ルノー」から、倒産寸前の危機に瀕した日産自動車に単身乗り込み、聖域なき改革でV字回復を果たしたカルロス・ゴーン氏の言葉です。
記者 「日産の改革に当たって、最大の抵抗勢力と感じることは何ですか?」
ゴーン 『最大の抵抗勢力とは、無関心である』
まさに至言です。
ゴーン氏は、リストラや工場閉鎖等、ドラスティックな経費削減策を打ち出し、コストカッターの異名をとりました。
会社を存続させるためとはいえ、時にそれは、血も涙もない非情さを余儀なくされます。
そうした改革を行う中で、反発や抵抗は有って当然でしょう。
軋轢を恐れず、上司や経営者に対して意見具申できるとすれば、それは紛れもなく会社のことを真剣に考えているからこそです。
「上の言うことだからしょうがない」
「取りあえず従っておいた方が得策だ」
こうした、事無かれ主義のyes manばかりでは会社は立ち行きません。
勿論、上司や経営者に対する礼節は弁えた上での話であり、言いたい放題の無責任な批判家とは一線を画します。
部分だけはなく全体を、短期だけでなく長期を踏まえて俯瞰できる視野の広さを養い、会社のためにしっかりと自己主張できる人材を目指して下さい。
フランス「ルノー」から、倒産寸前の危機に瀕した日産自動車に単身乗り込み、聖域なき改革でV字回復を果たしたカルロス・ゴーン氏の言葉です。
記者 「日産の改革に当たって、最大の抵抗勢力と感じることは何ですか?」
ゴーン 『最大の抵抗勢力とは、無関心である』
まさに至言です。
ゴーン氏は、リストラや工場閉鎖等、ドラスティックな経費削減策を打ち出し、コストカッターの異名をとりました。
会社を存続させるためとはいえ、時にそれは、血も涙もない非情さを余儀なくされます。
そうした改革を行う中で、反発や抵抗は有って当然でしょう。
軋轢を恐れず、上司や経営者に対して意見具申できるとすれば、それは紛れもなく会社のことを真剣に考えているからこそです。
「上の言うことだからしょうがない」
「取りあえず従っておいた方が得策だ」
こうした、事無かれ主義のyes manばかりでは会社は立ち行きません。
勿論、上司や経営者に対する礼節は弁えた上での話であり、言いたい放題の無責任な批判家とは一線を画します。
部分だけはなく全体を、短期だけでなく長期を踏まえて俯瞰できる視野の広さを養い、会社のためにしっかりと自己主張できる人材を目指して下さい。
三段階評価のギャップ
休日出勤で、賞与評価を実施しました。
評価は、何度やっても難しいものです。
特に今回から、より複雑な三段階評価を取り入れています。
『自己評価 → 店長評価 → 社長評価』
この三者の評価が、完全一致していれば問題ありません。
また、自己評価よりも店長評価が高く、それよりも社長評価が高いとすれば、更に良い結果に成ります。
受け止める側の印象は、期待値(分母)分の実績(分子)です。
即ち自分が評価したよりも高ければ満足しますし、その逆であれば不満が募ります。
「今回、俺はがんばったぞ。きっと評価してくれるに違いない。」
この様に自信満々であれば、ある程度高い評価でないと落胆します。
「ダメだ、こんな成績じゃあ。ひょっとしたら賞与ゼロか・・・。」
こうして自嘲気味に受け止めている人であれば、支給が僅かでも納得する訳です。
社員個々の期待値も然ることながら、上司評価の甘辛もあるでしょう。
回収した評価書を見ていますと、良い点だけに着目する甘い上司と、良い点と悪い点を冷静に分析する上司に分かれます。
我が社にこそ居ないものの、悪い点だけを列挙する辛口上司もいるかもしれません。
その甘辛を均し、中立的かつ客観的な視点で、最終ジャッジを下すのが社長の役割と言えます。
もっと大事なのは、そのギャップを上司と本人に伝えることです。
特にBigSmile(お客様アンケート)は、過去無かった指標だけに、拠点毎、個人毎の差が顕著に表れました。
選手は一所懸命に、マラソンコースをひた走っています。
自分がトップだと思ってゴールしたにも関わらず、先導車の誘導ミスでコース違いだった・・・これでは悲劇です。
期首の経営計画発表時に戦略的目標として打ち出し、評価に反映することをお伝えし、二ヶ月に一度の全社会議で必ず議題に折り込み、常時ランキングで発表し、ことある毎に拙文を通じて紹介していたのも、そうした悲劇を回避せんためでした。
幾ら悔やんでも、時間は巻き戻せません。
大事なことは、これからどうするか。
既に、次のレースは始まっています。
評価は、何度やっても難しいものです。
特に今回から、より複雑な三段階評価を取り入れています。
『自己評価 → 店長評価 → 社長評価』
この三者の評価が、完全一致していれば問題ありません。
また、自己評価よりも店長評価が高く、それよりも社長評価が高いとすれば、更に良い結果に成ります。
受け止める側の印象は、期待値(分母)分の実績(分子)です。
即ち自分が評価したよりも高ければ満足しますし、その逆であれば不満が募ります。
「今回、俺はがんばったぞ。きっと評価してくれるに違いない。」
この様に自信満々であれば、ある程度高い評価でないと落胆します。
「ダメだ、こんな成績じゃあ。ひょっとしたら賞与ゼロか・・・。」
こうして自嘲気味に受け止めている人であれば、支給が僅かでも納得する訳です。
社員個々の期待値も然ることながら、上司評価の甘辛もあるでしょう。
回収した評価書を見ていますと、良い点だけに着目する甘い上司と、良い点と悪い点を冷静に分析する上司に分かれます。
我が社にこそ居ないものの、悪い点だけを列挙する辛口上司もいるかもしれません。
その甘辛を均し、中立的かつ客観的な視点で、最終ジャッジを下すのが社長の役割と言えます。
もっと大事なのは、そのギャップを上司と本人に伝えることです。
特にBigSmile(お客様アンケート)は、過去無かった指標だけに、拠点毎、個人毎の差が顕著に表れました。
選手は一所懸命に、マラソンコースをひた走っています。
自分がトップだと思ってゴールしたにも関わらず、先導車の誘導ミスでコース違いだった・・・これでは悲劇です。
期首の経営計画発表時に戦略的目標として打ち出し、評価に反映することをお伝えし、二ヶ月に一度の全社会議で必ず議題に折り込み、常時ランキングで発表し、ことある毎に拙文を通じて紹介していたのも、そうした悲劇を回避せんためでした。
幾ら悔やんでも、時間は巻き戻せません。
大事なことは、これからどうするか。
既に、次のレースは始まっています。
目に見えない信頼残高
あるオーナー様の元へ営業に行きました。
亡姉と同級生という御縁もあり、前職の駆け出しの頃から大変お世話になった方です。
男気に溢れ、曲がったことは大嫌い。
迂闊に筋の通らない話をして、出入り禁止になった営業マンも少なくありません。
営業の話もそこそこに、お互い縁のある方の話が中心でした。
「仕事する上で、能力も知識も大事だが、やっぱり信用が一番だ。」
至言です。
確かに、信用を得るまでも大変でしょう。
更に、一旦失った信用を取り戻すには、それ以上の時間とエネルギーを要します。
前職の会社が民事再生法の申請をし、行き掛かり上退職を余儀なくされました。
立場上ポジティヴシンキングを説きながら、裏腹に「総てを失くした」とさえ思い詰めたものです。
それでも、会社を興そうと一念発起した時に、資本を提供してくれた方、共に歩んでくれた同志、仕事の情報を寄せて頂くかつての同僚・・・様々な方々のご協力によって今日の自分があります。
退職金も失業保険も無い上に、恥ずかしながら普通預金の残高もゼロに等しい状況でした。
しかし、口幅ったい言い方をするならば、少しばかり信頼残高は残っていたようです。
金は損したとしても、いつか必ず取り戻せますが、一度失った信用はなかなか元には戻りません。
通帳の残高と違い、信用は目に見えないからこそ厄介です。
心の目をしっかりと見開いて、信頼残高を積み上げていきましょう。
亡姉と同級生という御縁もあり、前職の駆け出しの頃から大変お世話になった方です。
男気に溢れ、曲がったことは大嫌い。
迂闊に筋の通らない話をして、出入り禁止になった営業マンも少なくありません。
営業の話もそこそこに、お互い縁のある方の話が中心でした。
「仕事する上で、能力も知識も大事だが、やっぱり信用が一番だ。」
至言です。
確かに、信用を得るまでも大変でしょう。
更に、一旦失った信用を取り戻すには、それ以上の時間とエネルギーを要します。
前職の会社が民事再生法の申請をし、行き掛かり上退職を余儀なくされました。
立場上ポジティヴシンキングを説きながら、裏腹に「総てを失くした」とさえ思い詰めたものです。
それでも、会社を興そうと一念発起した時に、資本を提供してくれた方、共に歩んでくれた同志、仕事の情報を寄せて頂くかつての同僚・・・様々な方々のご協力によって今日の自分があります。
退職金も失業保険も無い上に、恥ずかしながら普通預金の残高もゼロに等しい状況でした。
しかし、口幅ったい言い方をするならば、少しばかり信頼残高は残っていたようです。
金は損したとしても、いつか必ず取り戻せますが、一度失った信用はなかなか元には戻りません。
通帳の残高と違い、信用は目に見えないからこそ厄介です。
心の目をしっかりと見開いて、信頼残高を積み上げていきましょう。
偶然を装う必然の再会
先日のオーナー様向け「感謝の集い」で、不思議な縁を体感しました。
大洲市で産婦人科医院を開業されているAオーナー様は、御夫婦での参加。
4年前に開業した時、奥様は「我が子に逃げられた様な思い」と滝井店長を訪ねられ、先方からリプレイスを希望して、お任せ頂いた方です。
一方、松山北店でお世話になっている女性のBオーナー様は、お一人での参加でした。
店舗も経緯も年代も違う、何のつながりも無い様に見えるこのお二人が、よもや恩師と教え子の関係だったとは・・・。
しかも愛媛ではなく、熊本県でのエピソードです。
時間を蒔き戻してみましょう。
熊本県で教職に就かれていたAさんと、教え子のBさんは、教室で出会います。
Bさんは、年齢も近く、話し易いその先生のことが大好きでした。
やがてBさんは卒業し、先生の元を離れます。
Aさんはその後、愛媛県大洲市の産婦人科の先生の元に嫁ぎました。
別々の道を歩みながら、その跡を追う様にBさんも、愛媛県松山市に嫁ぎます。
結婚、出産、子育て・・・ライフイベントを経て、別々のエリアで二人はマンション経営に携わりました。
星の数程ある管理会社の中で、二人がたまたま選んだのはNYホームという無名・後発の会社です。
訪れた運命の日。
「感謝の集い」というイベントで、二人は距離も時空も超え、偶然にも同じテーブルの席に着きます。
何十年振りかの再開は、運命の糸に引き寄せられたかの如く劇的なものでした。
更に、このBさんの娘さんが住まわれている御自宅は、前職時代にプロデュースした分譲マンションで、松岡が営業担当だったというオマケ付きです。
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』 森信三
縁の大切さと素晴らしさを再認識させられる、偶然を装った必然の再会に、畏敬の念を抱かずにはいられません。
大洲市で産婦人科医院を開業されているAオーナー様は、御夫婦での参加。
4年前に開業した時、奥様は「我が子に逃げられた様な思い」と滝井店長を訪ねられ、先方からリプレイスを希望して、お任せ頂いた方です。
一方、松山北店でお世話になっている女性のBオーナー様は、お一人での参加でした。
店舗も経緯も年代も違う、何のつながりも無い様に見えるこのお二人が、よもや恩師と教え子の関係だったとは・・・。
しかも愛媛ではなく、熊本県でのエピソードです。
時間を蒔き戻してみましょう。
熊本県で教職に就かれていたAさんと、教え子のBさんは、教室で出会います。
Bさんは、年齢も近く、話し易いその先生のことが大好きでした。
やがてBさんは卒業し、先生の元を離れます。
Aさんはその後、愛媛県大洲市の産婦人科の先生の元に嫁ぎました。
別々の道を歩みながら、その跡を追う様にBさんも、愛媛県松山市に嫁ぎます。
結婚、出産、子育て・・・ライフイベントを経て、別々のエリアで二人はマンション経営に携わりました。
星の数程ある管理会社の中で、二人がたまたま選んだのはNYホームという無名・後発の会社です。
訪れた運命の日。
「感謝の集い」というイベントで、二人は距離も時空も超え、偶然にも同じテーブルの席に着きます。
何十年振りかの再開は、運命の糸に引き寄せられたかの如く劇的なものでした。
更に、このBさんの娘さんが住まわれている御自宅は、前職時代にプロデュースした分譲マンションで、松岡が営業担当だったというオマケ付きです。
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』 森信三
縁の大切さと素晴らしさを再認識させられる、偶然を装った必然の再会に、畏敬の念を抱かずにはいられません。
是々非々の心
先日の参院選は、下馬評通り与党・自民の圧勝でした。
選挙当日、松山での仕事を早めに切り上げ、20:00ギリギリで投票を済ませ、自宅に帰ってTVをつけると、既に当確の文字が・・・。
ただの一枚も開票されていない状況ですが、出口調査だけで大勢が判明するほど大差がついていたようです。
景気回復の実感は伴わなくとも、アベノミクスによる未来への期待感が票に結びついたのでしょう。
民主党、みんなの党、維新の会・・・といった野党共闘が整わなかった点も、自民有利に働いたポイントと言われています。
さて、選挙関連の報道番組を見ていると、あるコメンテーターが、なるほどと思う意見を述べられていました。
『維新の会という政党は、他の政党とは一線を画す。
与党の政策や方針について、認めるべきは認め、批判すべきは批判できる。
一般的な野党は、重箱の隅を楊枝で突き、与党のやることなすこと、箸の上げ下げまで全否定。』
「維新の会」が、政局ではなく政策を重視している証左でしょう。
これは、良好な人間関係を構築する上でも大切な視点です。
人間は感情の動物と言われるように、ついつい感情的になったり、攻撃的な口調になることもあります。
北風と太陽ではありませんが、受け止める側も、攻撃的な言葉には身構えてしまいます。
心落ち着け冷静になり、太陽の如き大きな心で、相手の良い点を認めれば、聞く耳を持ってもくれる筈です。
『一定の立場に捉われず、良いことは良いとして賛成し、悪いことは悪いとして反対すること。』
何事も是々非々の心で、臨みたいものです。
選挙当日、松山での仕事を早めに切り上げ、20:00ギリギリで投票を済ませ、自宅に帰ってTVをつけると、既に当確の文字が・・・。
ただの一枚も開票されていない状況ですが、出口調査だけで大勢が判明するほど大差がついていたようです。
景気回復の実感は伴わなくとも、アベノミクスによる未来への期待感が票に結びついたのでしょう。
民主党、みんなの党、維新の会・・・といった野党共闘が整わなかった点も、自民有利に働いたポイントと言われています。
さて、選挙関連の報道番組を見ていると、あるコメンテーターが、なるほどと思う意見を述べられていました。
『維新の会という政党は、他の政党とは一線を画す。
与党の政策や方針について、認めるべきは認め、批判すべきは批判できる。
一般的な野党は、重箱の隅を楊枝で突き、与党のやることなすこと、箸の上げ下げまで全否定。』
「維新の会」が、政局ではなく政策を重視している証左でしょう。
これは、良好な人間関係を構築する上でも大切な視点です。
人間は感情の動物と言われるように、ついつい感情的になったり、攻撃的な口調になることもあります。
北風と太陽ではありませんが、受け止める側も、攻撃的な言葉には身構えてしまいます。
心落ち着け冷静になり、太陽の如き大きな心で、相手の良い点を認めれば、聞く耳を持ってもくれる筈です。
『一定の立場に捉われず、良いことは良いとして賛成し、悪いことは悪いとして反対すること。』
何事も是々非々の心で、臨みたいものです。
感謝の集い
株式会社NYホームを立ち上げて早4年になります。
参院選投票日の昨日、管理物件のオーナー様を「東京第一ホテル松山」にお招きして、第一回「感謝の集い」を開催しました。
恥ずかしながら、初めてお会いするオーナー様も何名かいらっしゃいます。
また、「御無沙汰しております」という挨拶も頻繁に交わす体たらくです。
但し、ある意味それは、店長が主体的に店舗運営を取り仕切っていることの証左でしょう。
仲介業に携わって20年、市況は大きく変わっています。
かつては、建築会社で企画・設計・建築した物件のバトンを、流れ作業的に仲介会社が受け取り、入居募集するスタイルが一般的でした。
今は、入居者の声を聴き、ニーズを掴んでいる仲介会社が、間取・設備・意匠に至るまで関与しなければ、満室経営はおぼつきません。
仲介会社としても、自ら企画に加わった以上、埋まらなかった場合の言い訳がし難くなります。
『埋められない物件は一つもない。』
入居付の御相談に来られる方には、必ず申し上げる常套句です。
決して、不遜な台詞ではありません。
『仮に家賃7万円の物件を、7千円で募集すれば必ず決まる。
或いは、リノベーションに1000万円/一室かけて下されば必ず決まる。
しかし、それでは経営ではない。
優先順位と費用対効果から導く、投資とリターンの最善の交点を射抜くのが我々プロの提案。』
口幅ったくも勉強会でお話しした言葉は、自らへの戒めとしての宣言でもありました。
ランダムに集まった筈のオーナー様ですが、子供さん同志が同級生であったり、教え子と恩師であったり、我が子を取り上げて貰った産婦人科の先生であったり、共通の知人がいらっしゃったり・・・不思議な縁で結ばれていることに、世間の狭さを痛感した次第です。
「また来年も開催して下さい」
「セミナーは大変勉強になりました」
「満室にして頂き、心から感謝申し上げます」
お客様から頂いた有難いお声の数々に、感謝とやる気が増幅する、中身の濃い宴でした。
参院選投票日の昨日、管理物件のオーナー様を「東京第一ホテル松山」にお招きして、第一回「感謝の集い」を開催しました。
恥ずかしながら、初めてお会いするオーナー様も何名かいらっしゃいます。
また、「御無沙汰しております」という挨拶も頻繁に交わす体たらくです。
但し、ある意味それは、店長が主体的に店舗運営を取り仕切っていることの証左でしょう。
仲介業に携わって20年、市況は大きく変わっています。
かつては、建築会社で企画・設計・建築した物件のバトンを、流れ作業的に仲介会社が受け取り、入居募集するスタイルが一般的でした。
今は、入居者の声を聴き、ニーズを掴んでいる仲介会社が、間取・設備・意匠に至るまで関与しなければ、満室経営はおぼつきません。
仲介会社としても、自ら企画に加わった以上、埋まらなかった場合の言い訳がし難くなります。
『埋められない物件は一つもない。』
入居付の御相談に来られる方には、必ず申し上げる常套句です。
決して、不遜な台詞ではありません。
『仮に家賃7万円の物件を、7千円で募集すれば必ず決まる。
或いは、リノベーションに1000万円/一室かけて下されば必ず決まる。
しかし、それでは経営ではない。
優先順位と費用対効果から導く、投資とリターンの最善の交点を射抜くのが我々プロの提案。』
口幅ったくも勉強会でお話しした言葉は、自らへの戒めとしての宣言でもありました。
ランダムに集まった筈のオーナー様ですが、子供さん同志が同級生であったり、教え子と恩師であったり、我が子を取り上げて貰った産婦人科の先生であったり、共通の知人がいらっしゃったり・・・不思議な縁で結ばれていることに、世間の狭さを痛感した次第です。
「また来年も開催して下さい」
「セミナーは大変勉強になりました」
「満室にして頂き、心から感謝申し上げます」
お客様から頂いた有難いお声の数々に、感謝とやる気が増幅する、中身の濃い宴でした。