CSという錦の御旗の陰

 今更語るまでもなく、我が社は中小企業です。
 中小企業を存続させ、未来の成長発展につなげるために、理念や目標や戦略が重要です。
 そして、生き残るためには利益が必要です。
 もっと判り易く言うならば、今日のメシを食えずして、明日のメシは語れません。

 オーナー様に対するコストダウン提案も、我々の仕事の一つです。
 例えば、マンション一棟の火災・地震保険。
 他社で加入されている保険を、弊社指定の会社に変更することで、オーナー様のコストが削減され、我々にも利益がもたらされるwin-winは目指すべき方向でしょう。

 マンション経営には、それ以外にも様々な維持管理費があります。
 複数社見積を取って、同じ条件・同じサービスであれば、価格の安い方が良いのは当然です。
 更に価格も同条件であれば、自社の利益が最大化する方法を追求すべきでしょう。
 そうでないとすれば、それは背信行為です。 

 先日、入居者様が鍵を紛失したため部屋に入れない、というトラブルが立て続けに起こったものの、担当者は深夜にも関わらずすぐさま駆けつけ、事なきを得ました。
 そのお客様思いの姿勢には頭が下がります。

 さて、この時担当者は、自宅で飲酒していたため、タクシーで駆けつけました。
 そのタクシー代は誰が負担すべきでしょう。
 
 このトラブルは、弊社に非はありませんから、タクシー代まで負担するのはやり過ぎです。
 「それはさぞかしお困りでしょう。 
 10分程お時間を頂ければ駆けつけることは可能です。 
 但し、あいにく飲酒しておりまして、タクシーで向かうことに成ります。
 そのタクシー代に関しては実費ということになりますが、宜しいですか?」
 了解が取れれば出動、これでも立派なサービス提供です。
 
 勿論、その方が会社にとって大きな利益をもたらす、ロイヤルカスタマーであるとか、入居者様に非の無い事件であるとか、ブランド構築のための戦略的サービスの意図があれば話は変わります。
 そうした場合にでも、そのサービスがしっかりと相手に認識されていることと、中長期的に見返りが期待できることは大前提です。
 たかが何千円と思うかもしれませんが、そうした何千円、何百円、何十円を積み上げて、我々のビジネスは成り立っています。

 ☆ 売上を最大化し、経費を最小化すれば、利益が最大化する
 ☆ 経費から経費を差し引けば、純利益になる(経費削減)

 利益が先か、サービスが先か、と問われれば、その答えは間違いなく後者です。
 しかし、我々はボランティア団体ではありません。
 CS(お客様満足)という錦の御旗の陰で、利益追求の本質を見失ってはいけないのです。
スポンサーサイト

Win-Win-Win

 1日から入社する社員と、挨拶回りで同行しました。
 以前育てて貰った会社に、「新しい会社が決まりました」と礼を尽くすのは筋です。
 偶然街で会った際、「元気にしてるか」と声掛けして貰える関係を維持することは、世間を広く生きるコツでもあります。

 移動の車中、社名の由来を聞かれました。
 以前にも、この拙文で紹介したかと思います。

・「N」=neutral ニュートラル(中立・不偏)
・「Y」=yeoman ヨーマン(忠実・忠勤・従者)

【 管理会社は、二人のお客様に支えられています。
 一人は入居者様、もうひとりはオーナー様です。
 ともすれば、管理を頂く立場である、オーナー様寄りの偏った采配に陥りがちですが、入居者様に選ばれるサービスや商品を提供しない限り、最終的にはオーナー様の経営が成り立たなくなってしまいます。
 これからの管理会社は、オーナー様と入居者様との間で、偏りのない中立・公正なスタンスを貫く姿勢が求められるでしょう。
 忠義・忠誠の精神と、技量・知識を併せ持った社員が、「すべてはお客様のために」という理念に基づいて考動する・・・それが「NY」なのです。】

 自分がこの仕事を始めた20年前は、需要に対する物件数が圧倒的に不足していました。
 来店された入居希望者は、ウェイティングリストに名前を連ね、順番待ちも当たり前です。
 家賃は言い値、敷金は3~4ヶ月、審査は高飛車、ペットは論外・・・。
 
 オーナー様優位の賃貸経営は面白い・・・ということで、メーカーを中心に賃貸住宅が乱立し、需給バランスと共に、オーナー様と入居者様の立場も逆転しました。 
 今日では、空室が目立ち、入居者が物件を選ぶ時代です。
 
 藁をもすがる思いで委ねるオーナー様に対し、入居斡旋を担う仲介会社の立場が強くなり、どちらがお客様か判らない場面すら散見されます。

 世の中の状況がどう変わろうとも、入居者様とオーナー様と仲介会社が、三者繁栄できるWin-Win-Winの関係こそが、NYの目指すべき道であることは間違いありません。

リーダーに必要な四耐

 中国のみならず、台湾の船までもが尖閣諸島に押し寄せています。
 教育指針に倣い、幼少時から半日をインプリントされる中韓両国と違い、本来台湾は世界一の親日国です。

 第二次世界大戦終戦時、台湾の蒋介石(しょうかいせき)氏は、侵略への恨み辛みだけでなく、日本統治時代の功績も認め、日本に対する補償を一切求めていません。
 その徳に満ちた蒋介石氏が、最も尊敬する政治家として名を挙げるのが、清の時代に生きた曾国藩(そうこくはん)氏でした。
 「四耐(したい)」は、その曾国藩氏の残した言葉です。

 「人生、
 冷に耐え、(冷遇に耐える)
 苦に耐え、(苦労に耐える)
 煩に耐え、(煩わしさに耐える)
 閑に堪え、(閑静かに耐える) 
 以て大事成すべし。」
 
 以上の四つに耐えることができる人物は、優れた指導者になるという教えであります。

 政治家個々を、マスコミの如く誹謗中傷することはいとも簡単です。
 私自身は、特定の政治家を推挙するつもりはありませんが、それぞれに素晴らしい資質をお持ちだと思います。
 こう書くと、何かしら嫌味に聞こえますが、決してそうではありません。

 三年間で与党を二度までも落城させ、総理の椅子を目前にして退かざるを得なかった谷垣禎一氏。
 体調不良で挫折し、この度の自民党総裁選挙で、5年振りに総裁の座に返り咲いた安倍晋三氏。
 野党のみならず、与党内部からも揺さぶりを受けながら、使命を全うしようとする野田佳彦氏。
 
 何れの方も、四耐を備えた方であると確信する次第です。
 というよりも、そうでない方は、政治家を志すべきではないのでしょう。

ゴルフに夢中になる理由

 最近つくづく痛感するのは、「世の中上手くいかないものだなあ」ということ。
 ありとあらゆる局面で、壁が立ちはだかり、障害にぶつかり、想定外のことが起こります。
 まあ、「世の中の90%は思い通りにならないこと」だそうですから、そう割り切れば至極当然なことかもしれません。

 また、「上手くいかない」と感じられるのは、ありたい姿が明確で、そこへの到達イメージを具体的に描いているからこそです。
 目標も、計画も、戦略も、戦術も無い、行き当たりばったりで、その日暮らしの人生に、「上手くいかない」という感覚は無縁でしょう。
 先日、中小企業家同友会で発表された林田社長が、一倉定さんの言葉を引用してこう話されていました。

 「計画は、その通りにならないから不要なのではなく、その通りにならないから必要。
 計画があるからこそ、計画と実績とのズレに気付き、原因が追求され、対策が講じられる。
 すべてが計画通りに行くことなど有りえない。
 仮にすべてが計画通りだとすれば、それは計画ではなく予定だ。」

 前職の社外取締役であった、西尾レントオールの元常務「東川鷹年」氏は、「人は何故ゴルフをするのか?」という話をセミナーで説きます。

 「青空の元ラウンドすることで、爽やかな気分にもなり、健康にも良い・・・ただそれだけではない。
 ロング・ミドル・ショートと分けられたコース。
 距離や難易度やアップダウンも様々。
 フェアウェイを中心に、池や林やラフやバンカーが立ちはだかる。
 ドライバー・アイアン・パター、残された距離や状況や技量に合わせて使い分ける道具。
 簡単ではないけれど、さりとて不可能ではない、説妙な設定のパー。
 最初は上手くいかなくとも、経験と練習を積むほどに縮められるスコア。
 百発百中でホールインワンできるホールがあったとして、誰がゴルフしたいと思うでしょう?」
 
 様々な障害を乗り越えながら、自らの努力と創意工夫によって目標に近付ける・・・まさに、人生の縮図。
 ゴルフも人生も、上手くいかないからこそ面白く、上手くいった時に達成感が生まれるのです。

有言実行のビッグマウス

 先日upした、「頑張らなくて良い」というブログは、思いのほか反響がありました。
 facebookには、次のコメントを頂いています。

『「頑張ります」という当たり前のことを言うのを禁止にして、「やりきります」と統一している会社があります。
 北海道のTグループで「頑張ります」と言ったり書いたりするとひどく叱られます。』

 「頑張ります」という言葉を心の声に翻訳しますと、「やるだけはやってみますけど、なかなか難しいので、上手くいくかどうか保証の限りではありませんが、そう言ってしまうと身も蓋も無いので、まあ何はともあれ、とりあえず、前向きに頑張ってみます・・・」と成ります。

 金額の多寡はともかくとして、その仕事で報酬を貰う限り我々はプロです。
 プロにとって、練習量やプロセスなどどうでも良いこと。
 頑張るのは当然であって、求められるのは結果です。
 
 但し、「頑張り」という言葉そのものが禁句ということではありません。
 結果が出た時に「良くがんばった」とか、あと少しで成果に結びつきそうな局面で「もうひとがんばり」といった声掛けは大切でしょう。

 時に、自らを奮い立たせるため、「頑張れオレ」と、客観的に声掛けすることもありますが、頑張ったか否かは基準が曖昧なので、本来は他人からの評価が筋です。
 ましてそれがプロフェッショナルであれば、勉強して当然、練習して当然、努力して当然、頑張って当然。

 『選手は試合の姿を見てもらうものであり、努力し練習している姿を見せるものではない』 大下 弘

 いずれにしても、目標や試練を目前に控えた際に、必要な言葉は「頑張ります」ではなく、「合格します」「契約とってきます」「勝ちます」「必ず達成します」・・・。
 有言実行のビッグマウスを目指しましょう!

頑張らなくて良い

 退職社員の穴埋めと、新規出店準備のため、キャリア社員の採用面接真っ只中です。
 新卒学生をターゲットとした、来春採用面接も並行してこなしています。

 当初応募が少なかったのですが、総務のT市さんからの提案で、「宅地建物取引主任者優遇」の一文を消したところ、連日履歴書が届くようになりました。
 必須とはしていないものの、その資格名を見ただけで、敷居が高くなってしまうようです。

 さて我が社は、賃貸仲介業としては主任者率が高く、7割弱が資格を持っています。
 まだまだ先と思っていた宅建試験も、気が付けば一か月足らず。
 無免許の方は、来月の試験に向け、文字通りラストスパートです。
 社員を鼓舞すべく、「宅建どう?」と声掛けすると、決まって「がんばります!」という答えが返ってきます。

 「いやいや、がんばらなくても良いから。」

 そう、頑張らなくてもいい。
 休みの日にファミレスや図書館にこもる必要も、眠い目を擦りながら徹夜することもないのです。
 
 かつての私を知る部下は、耳を疑うかもしれません。
 そう、昔は受験者にこう言っていました。

 「不動産を生業とする限り、あなた方はプロの一員である。
 タクシーの運転手が二種免許を、医者が医師免許を有している様に、プロである以上資格は必須でしょう。
 無免許運転は、お客様に対する背信だ。
 仕事を終えて、帰宅して、風呂に入って、食事をして、友達とメールをして、時間が余ったら、コーヒーでも入れて、徐(おもむろ)に勉強開始・・・こんな考え方では、十年かけても合格できない。
 一日4時間と決めたなら、最優先すべきは勉強である。
 その自分との約束を果たした上で、時間が余っていれば、風呂に入り、飯を食べ、眠れば良い。」

 自分で言うのも何ですが、正論です。
 確かに、こうした厳しい声掛けによって、怠惰な人間が目覚めることもありました。
 ただ、幾ら正しいことであったとしても、本人がその気にならなければ始まりません。

 馬の首に縄をつけて、水飲み場まで引っ張っていくことはできても、水を飲むか飲まないかは、あくまでも馬が決めることでしょう。
 
 自己完結できない。お客様の信用が得られない、会社からの評価が低くなる、無知が故に迷惑をかける可能性がある、重要事項説明の度に資格者の力を借りないといけない・・・等々、そうした無資格が故のデメリットが全て解消される、明日への扉は用意されている訳ですが、そのドアを開けるか否かは、自分が決めることです。 

 そもそも「がんばります」という言葉は、結果が出なかった際、「がんばったけれどダメでした」という言い訳をほざくために用意された、自己防衛の鎧兜(よろいかぶと)に過ぎません。
 
 だから、がんばらなくても良い。
 合格して下さい。

ソクラテスの説く読書の効能

 世の人が読書する理由は、幾つかあります。

・ 好奇心と知識欲を満たすため
・ 単純に楽しむため
・ 自分を成長させるため
・ 多様な価値観を取り入れるため・・・

 人は、勉強によって知れば知るほど、知らないことが増えていきます。
 一方、勉強しない無知な人間は、未知の領域の存在にすら気付きません。
  
 さて、読書は有益ではありますけれど、所詮他人事です。
 自らが歩を進め、汗をかき、壁に当たり、もがき苦しみ、乗り越えて掴んだ実体験に比べれば、学びも気付きも限られます。 
 それでも読書に頼らざるを得ない理由は、人生一度きり、尚且つ有限だからです。

 例えば、ユニクロの柳井さん、ソフトバンクの孫さん、元ライブドアの堀江さん、という三人の経営者が居ます。
 人生が三回あるならば、一度目はアパレルで、二度目は情報通信で・・・という選択も可能です。
 また、人生が200年、300年と続くなら、チャレンジ→失敗→チャレンジ・・・を繰り返しながら、最適な道を模索できます。
 繰り返しますが、人生は一度きり、尚且つ有限です。 

 ここに先述の三人の自叙伝があるとしましょう。
 本ならば、その経営者の哲学や思想や戦略もひっくるめ、数時間で知ることができます。
 コストも僅か千円前後です。

 これがライブなセミナーとなると、少なくとも数倍のコストを必要とします。
 開催日に合わせて、遠くまで出かける必要もあるでしょう。
 訳あって今は、話を聞けない方もいらっしゃいます。

 本ならば、自分の好きな時間に、好きな場所で、好きなだけ、巻き戻し繰り返し、教えを乞うことができるのです。
 その本には、先人が命を削って導き出した、成功と失敗のエッセンスや真理が散りばめられています。 
  
 『読書は、他人が辛苦して成し遂げたことを容易に取り入れ、自己を改善する最良の方法である。』 ソクラテス

 船に海図が、授業に教科書が、国家に憲法が有るのと同じく、より良き人生を切り拓くための指南書は必須。
 しつこいようですが、人生は一度きり、尚且つ有限です。

生き残りのための取捨選択

 先日の同友会のセミナーで、林田社長が「ABC分析」を紹介されていました。
 「パレートの法則」は、皆さんご存じでしょう。

 『経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出している』

 俗に「80:20の法則」とも呼ばれる分析です。
 会社の取り扱っている商品について例示すれば次の様になります。 

 「会社の売上(利益)の80%は、20%の商品によって生み出される」

 例えば富士フィルムという会社は、社名の示す通り、かつてはフィルムが主流の会社でした。
 デジカメが台頭してきた2001年でも、20%の売上シェアを占めています。
 ところが2009年には、僅か1%しかありません。
 デジカメ・コピー機・医薬品といった商品へと、大きく舵を切りました。
 「我が社はフィルムの会社だ」と、こだわりを捨てなかったとすれば、今頃会社は存続していないでしょう。

 対照的なのが、コダックです。
 コダックは、1976年には米国で販売されるフィルムの90%、カメラの85%を占めています。
 ’90年代迄、同社は世界で最も価値のあるブランド、上位5社の1つに数えられていました。
 しかし、今年の年初、遂に連邦破産法11条を申請しています。

 「強いものが生き残るのではない。
  賢いものが生き延びるのでもない。
  唯一、変化に対応できるものだけが生き残る。」 ダーウィン:進化論  

 大会社・恐竜・ガラパゴスだけの話ではありません。
 我が社の利益は、どの顧客によってもたらされているか?
 我が社の利益を生む商品は何か?(管理・賃貸仲介・売買仲介・自社物件収益・附帯・保険・・・)
 我が社の利益は、どの店舗が稼ぎ出しているのか?
  
 変化・進化とは、新しく始める、或いはやめることを意味します。
 効率の悪い(儲からない)所を切り捨て、効率の良い(儲かる)所へ、経営資源(ヒト・モノ・カネ)を集中する。
 取捨選択は、企業の生き残りに必須の考え方です。

中小にこそ必要な経営分析

 昨夜は、五支部合同9月例会で、愛媛県中小企業家同友会に三年振りの復活を果たしました。
 開会前ロビーで、懐かしい顔触れの方々と再会の名刺交換。
 中には、「三年前の発表が今も甦ります。」と、有り難いお言葉を頂戴する方もいらっしゃいます。
 今回の発表者は、遠く福岡の同友会より、若竹屋酒造場14代目社長「林田浩暢」社長(47歳)です。

【 講師紹介 】
 東京の広告代理店で働いていた林田さんが、家業を継ぐ決意をして若竹屋に戻ったのは18年前。
 ところがその時、売上は右肩下がり、決算は10期連続赤字、8億の総資産に対して借入12億の債務超過と、瀕死の状態。
 覚悟を決めて取り組む中で、経営計画・利益計画および、経営指針・理念経営の浸透が、再生に不可欠の要素であると気付く。
 会社の存在意義、将来像、ターゲット等々、社員を巻き込んで分析・明文化することで、納得性のある改革を行い、黒字化と債務超過解消を実現させた。
  
 「SWOT分析」「ABC分析」「移動年計」「ポートフォリオ分析」・・・
 前職の会社は、それなりに大きな会社でしたから、全て取り組んだことのある内容です。
 実は三年前、松山に店をOPENさせる際、当時の全社員で集まり、「SWOT分析」を行っています。

 ところが、新規のスタッフが殆どで、実務が分からない、競合が分からない、ターゲットが分からないのないないづくしだったため、レベルの低いアウトプットに終わってしまったのです。

 その時、「中小零細企業に、こうした分析は分不相応」と自分の中で決めつけてしまった節があります。
 しかし、今日の林田社長の話を拝聴し、「中小企業だからこそ、未熟だからこそ、分析が必要」であることを思い知らされました。
 林田社長のお言葉を借りるなら、理由は二つ。

① 社員が会社を辞めるのは、見通しが立たない(会社の進もうとする方向が見えない)から
② 社員を巻き込んで行う各種分析の、大きな目的はベクトル合わせ

 トップダウンで落とし込む強制目標ではなく、一つ一つの数字の意味を判った上で構築する、ボトムアップの納得目標なのです。

 散会後の懇親会に参加し、林田社長の教えを頂きたい気持ちは山々でしたが、「鉄は熱い内に打て」の鉄則に倣い、三店長と居酒屋に席を移し、実務的な落とし込みを行いました。
 林田社長、素晴らしい気付きをありがとうございます。

僅差微差の積み重ね

 ナイツというコンビの漫才に、次のネタがあります。

はなわ:ロンドン五輪と言えばウサイン・ボルト
はなわじゃない方:何と言っても、9秒69の五輪レコードですからねぇ
はなわ:そう、100mを約10秒で走っちゃうんですから・・・
はなわじゃない方:そこ約にしちゃダメだろぅ。端数大事なとこなんだからぁ。皆、約10秒になっちゃうよぉ。

 約10秒で走るアスリートは、世界中に星の数程居るでしょう。
 10秒台前半でも、それなりに早い訳ですが、それでは食っていけません。
 一方、ボルトの年収は20億円超と言われます。
 陸上や水泳の短距離界において、0.何秒の差は、大きな大きな差なのです。

 今期不振と言われながら、先日のダブルヘッダーで8打数7安打の大当たりを見せたイチローの生涯打率は、3割3分5厘。
 日本だけの成績であれば、3割5分を超えています。
 日本球界の生涯打率TOPは3割2分、3割超は僅かに22名。  
 イチローがいかに優れたバッターであるか、この数字が示している訳です。

 ただ、そのイチローも、打席に10回立てば約7回は失敗しています。
 それでも、年棒は20億円です。
 そして、10回中8回失敗する並みのバッターは、試合にすら出られません。
 十回に一回の成否が、天と地程の差を生みます。

 極限で競い合うスポーツ界では、1cmが0.1秒が、なかなか詰められないものでしょう。
 しかし、我々ビジネスの世界では、行動しただけの成果が期待できます。
 宅建合格へ、眠りに堕ちる前にもう一時間の勉強。
 成約へ向け、退社する前にもう一枚のお礼状。
 管理取得へ、もう一回のオーナー訪問…。

 レギュラーと控え、一軍と二軍、大リーグと草野球、金メダルと予選落ち、オリンピックと町内運動会、トップセールスと受注ゼロ・・・。
 結果としての栄光と挫折は大差ですが、そのプロセスは実は、僅差微差の積み重ねです。

人生の目覚まし時計:後篇

 以前に何度か、5年前に他界した姉のことをご紹介しています。
 
 彼女は29歳の時に癌を患い、胃を三分の二切除しました。
 数時間に及ぶ手術の後、医師から告げられた言葉は次の通りです。
 
 「出来る限りのことは行いましたが、かなり進行している癌なので、命の保証はできません。」
 
 当時のことですから、本人への告知はせず、胃潰瘍ということで通します。
 それから1年、3年、5年が経過し、本人だけでなく、周囲の人間も癌患者であることを忘れる程でした。

 姉の娘は田舎育ちですが、ピアノの才能に恵まれています。
 当時の姉は、命を賭してでも、彼女を一人前にしたいと考えていました。

 その甲斐あって、地元のコンクールでは連戦連勝。
 ロシアに留学し、遂にはブルガリア国際音楽コンクールで金賞に輝きます。

 運命の日、地元でのお披露目公演が、しまなみ海道にある瀬戸田のホールで行われました。
 開演前の楽屋を訪ねたとき、姉は自分を見て、「顔色悪いが大丈夫か?」と声を掛けます。

 いよいよ開演の時刻を迎え、娘をステージに送り出した直後、姉は倒れました。
 演奏を続ける娘に気づかれない様、救急車で病院に搬送されます。
 何の因果か、運ばれたのは、20年前に手術した病院です。
 
 「赤血球、白血球、ヘモグロビン、血圧・・・、全てが異常値。
 通常の人間ならばショック死する状態。」
 医師の言葉に耳を疑いました。
 
 更に、驚きの事実が判明します。
 姉のカルテがありません。
 20年前に手術した後、定期的に病院に通い、放射線等の治療を施されていた筈の病院にです。

 前篇との共通点が見えます。
 病気だからといって、易々と養生してはいけないのかもしれません。
 癌であることを忘れる程、使命感を持って何かに没頭する時、癌は影を潜め、場合によっては消滅することすらあるということなのです。

 先述の男性は今、心から癌に感謝していると言います。
 「人生が有限であると気付いた瞬間から、先送りすることなく、今日与えられた命をまっとうしようと考える様になった。」
 ベストセラー「七つの習慣」ではこれを、「人生の目覚まし時計」と呼んでいます。
 
 健康を当たり前と思い、今日を漫然と生きるあなたへ。
 人生は有限です。   完

人生の目覚まし時計:前篇

 三年振りの再会は衝撃的でした。
 以前は80㎏超の、良い恰幅であったのに、今は50㎏台と言います。
 見間違う程の変貌振りに、しばし本論を忘れて聞き入りました。

 何でも、一年前に癌を宣告されたのだそうです。
 しかも、全身転移のステージ4。
 現代の医学においては、「進行を遅らせる」「痛みを和らげる」といった対処療法はできても、根本的な治癒は望めません。

 まさに青天の霹靂。
 ドラマや小説の様な宣告を受けた時、人は何を思い、残りの人生をいかに生きようとするのでしょう。

 その方は、死を覚悟した段階で、まず家族の将来、そして同じ職場で働く社員のことを考えたと言います。
 それが責任であり、まさしく使命です。
 
 次に、逃れようの無い癌と、いかに向き合うか。
 一般的な手術、抗癌剤、放射線治療のほか、未承認のワクチンや漢方治療、眉唾ものの薬剤や祈祷師に至るまで、末期癌患者には、様々な選択肢と誘惑があります。
 選んだ道は、次の通りです。

① 現代医学の治療は施さない
② 玄米食・半断食等の食事療法によって、内なる治癒力を高める
③ 仕事を続ける

 にわかには信じ難い話ながら、少なくともこのやり方によって、余命幾許も無い筈の命は、1年超長らえました。
 痩せているのは病魔のせいではなく、その食事療法によるものです。
 確かにお見受けする限り、病的な痩せ方ではありません。 
 肌つやも良く、寧ろ若返った様な気すらします。
 
 その方曰く、「手術・放射線治療・抗癌剤投与等の現代医学に頼っていたとすれば、副作用によって体はボロボロになり、仕事も続けられず、生き甲斐も見い出せず、とっくにあの世だったでしょう。
 何より大事なのは、癌であることを意識しないこと、癌であることを忘れることです。」  つづく

儚い縁をつなぐツール

 三連休の中日、同級生の披露宴に招かれました。
 地元ですが、小学校も中学校も違います。
 同級生として一緒に活動したのは、20代のソフトボールチームでのことです。
 
 前職の会社で土地をお世話し、住宅を建てて頂いたクライアントであり、現在は頼母子講のメンバーとして、月一回顔を合わせています。
 
 今年50歳を迎える新郎に対して、新婦29歳のカップルです。
 まかり間違うと、親子でもおかしくありません。

 21もの歳の差は、とかく障壁となります。
 それなりに山も谷も有ったようです。
 6年越しという、長い交際期間でも推察できるでしょう。

 今日、晩婚化が問題視されていますが、50歳男性の生涯未婚率は、実に20%を超えます。
 5人に一人は結婚したことが無い・・・これは驚きです。

 さて、この披露宴は総勢60名程。
 最近は、本当に親しい人のみ集う、この程度のお披露目がトレンドのようです。

 20年前の南予では、200名規模の婚礼は珍しくありません。
 私達は120名で、少ない方でした。

 その程度であっても、来賓頂きながら、今や殆ど交流の無い方も散見されます。
 人の縁は儚く、かくも切れやすいものです。
 facebookは、こうした縁をつなぐ上で最適のツールと言えるでしょう。
 披露宴中も、地元選出のO議員が、ウォールに写真をupされていました。 

 50歳で結婚ということは、最短でサイクルしても子供が成人する時、父親は70歳過ぎです。
 孫の誕生を心待ちにするご両親のためにも、ゆっくり、急いで、お幸せに。

崇高な日本人の精神

 尖閣諸島国有化を巡って、中国の反日デモが激化してきました。
 是非はともかくとして、日本には日本の言い分があり、中国には中国の言い分があります。

 互いの主張が相容れない以上、こちらが一歩踏み込めば、抵抗するのは当然です。
 「港を整備しろ」とか「灯台を作れ」といった、無責任な言動も後を絶ちません。
 しかし、現段階で、これ以上実効支配を強めるとすれば、尖閣沖の中国の巡視船は、確実に軍艦に取って代わります。
 対抗して日本も軍艦を送りこめば、文字通り一触即発の睨み合いでしょう。

 「平和」を声高に叫ぶ国民が自覚すべきなのは、戦争とはこうやって起こるのだということ。
 「有事の際はアメリカが守ってくれる」と考えるのは、滑稽な程に浅はかです。

 かといって、漫然と放置しておけば良いのかと言えばそうでもありません。
 手をこまねいて見ているだけだと、次第に浸食されて、竹島の様に成ってしまいます。
 これらを総合的に判断して、交渉・提案・実行・譲歩するのが外交です。

 さて、今日本人として何をすべきなのでしょう。
 中国に倣ってデモを呼び掛け、罪の無い中国の人々や企業に石を投げますか?
 勿論、答えはNOです。

 中国4千年の歴史は、戦争・侵略によって形成されてきました。
 幾多の民族が、血で血を洗う争いを繰り返し、領土を奪いあってきたのです。

 一方日本にも、戦国時代や、琉球・アイヌの問題も在りました。
 ただ総論として言えば、島国であったことで移民の流入が無く、単一民族による思想が脈々と受け継がれてきた訳です。
 近代国家の中で、侵略されたことの無い国は日本だけとも言われています。

 これにより、以心伝心・阿吽の呼吸といった「言わずとも判り合える」国民性が構築されました。
 相手の言い分を攻撃・排除するだけでなく、できるだけ受け入れようとする考え方も日本人の特質です。
 それは、他国に比べて「自己主張が弱い」「表現が曖昧」と揶揄される原因でもあります。
 
 肌の色や宗教や価値観のそれぞれ違う異民間では、はっきりとした意思表示が求められて当然です。
 また、侵略の歴史は、自己防衛本能や攻撃的な言動を遺伝子に組み込みます。
 欧米人のディベート力の高さは、そうした様々な民族を説得するための努力によって磨かれました。

 阪神淡路大震災・東北東日本大震災といった未曾有の天災に見舞われた際の、暴動も略奪も無い、秩序正しい互助の行動が驚異であると、世界各国から高い評価を受けた理由は、先述の歴史的背景によって培われた国民性の違いでしょう。

 日本だ中国だアメリカだという次元ではなく、地球としての未来を描くべき今日であるならば、日本人の持つ崇高な精神を世界規模で伝えていくべきでしょう。
 ヒートアップする中国を看過する意味ではなく、今こそ一層秩序ある冷静な言動が必要です。

楽観主義と悲観主義

 一度くらいは、次の話を聞いたことがあるでしょう。 

 『一人の男はべーグル(ドーナツ)を見た。もう一人の男はその穴をみた。』
 
 『一人の囚人は鉄格子から空を見た。もう一人の囚人は泥を見た。』
 
 『二人は、コップに半分注がれたジュースを手にした。
  一人は「まだ半分ある」と言って嬉々とし、
  一人は「もう半分しかない」と言ってうな垂れた。』

 楽観主義と悲観主義の対比です。
 私は今年、50歳を迎えます。
 
 『人生の三分の二が終わってしまった。』と夜眠る前に悲観する人がいます。
 一方で『今日一日、新たな命を与えられた。悔いなく生きよう。』と爽やかに目覚める人もいます。

 熊本の大野勝彦さんは農作業中、トラクターに左手を巻き込まれ、その左手を抜こうとした右手をも巻き込まれてしまいました。
 このままでは身体ごと吸い込まれ命が絶たれます。
 生か、死か、瞬時の判断を迫られる中、両腕を捨てて生きる道を選択するのです。

 一瞬にして両手を失うことを想像してみて下さい。
 焦燥・悲哀・絶望・・・様々な思いが去来し、未来への希望など描きようもありません。

 大野さんは、今まで自分のために尽くしてくれた両手を、自ら切り落としてしまったことを心から詫び、『お前の分まで生きていくから見ていてくれ』と誓ったのだそうです。

 失った腕に代わる、様々なアタッチメントの義手を駆使して描かれた見事な絵手紙は、全国三か所の美術館で公開されており、見る人々に勇気と生きる力を与えてくれます。 

 『悲観は感情のものであり、楽観は意志のものである』 アラン「幸福論」
 
 過去を嘆くよりも未来を切り拓き、無くしたものを嘆くよりも残されたものに感謝する、そんな強い意志と人格を身に付けたいものです。 

自分の顔に責任を持つ

 頭の中で新規出店計画が具体化していますが、何せ人材が追いつきません。
 新卒・キャリアの履歴書だけは、続々と届きます。

 人は入れてみないと分からないのが実態ですから、採用したい人材を、会わずして、履歴書だけで判断するのは至難の業です。
 敢えて前置きした通り、採用したい人材を見極めるのは難しい・・・しかし、採用すべきではない人材は書類でも、ある程度判断できます。
 ポイントは三つ。

1.履歴書の書き方
 ◎ 字は下手だが、丁寧に書いている
 × 枠から食み出し、乱暴に書き殴った文字
 × 間違った箇所を、修正せずに塗りつぶしている

2.転職回数の多さ
 ◎ 解散・撤退等の、やむを得ない会社都合
 ◎ 疾病・出産等の、やむを得ない自己都合
 × 短期間で何度も転職を繰り返している
 × 転職理由の中に会社や上司批判が書かれている

3.顔

 勿論、美人だとか男前だとかいう意味ではありません。
 人は、生まれ育った環境や性格や言動によって、顔が作られます。
 
 反社会勢力に属している構成員は、眉は吊り上り、眉間に皺があり、眼光鋭く、威圧的です。
 CAやホテルマンの様に、接客を常とする方は、平生でも口角が上がり、柔和な表情をしています。
 
 目が澄んでいるか、澱んでいるかは、まさに心の鏡です。
 批判的なことばかり口にしていると、満たされない思いが、口元に現れます。
 自信の無い人は、目線に力が無く、訴えてきません。
 責任感溢れる方は、全体に引き締まって凛々しく見えます。
 
 改めて一度、じっくり鏡を覗いて見て下さい。
 貴方が面接官なら、その鏡の中の人を採用しますか?

 自分の顔に責任を持つ。
 40歳に成れば当然ですが、そこまでの過程(プロセス)はもっと大切です。

中小企業家同友会

 この度、愛媛県中小企業家同友会に入会する運びと成りました。
 
【 『 同友会理念 』
 同友会の3つの目的である
『よい会社をつくる。よい経営者になる。よい経営環境をつくる。』
 の実現に向けて、地域社会と共に歩む中小企業の自覚を持ち
 自主・民主・連帯の精神で企業経営・同友会運営を行うことです。】

 ビジネスマンとしてのスタートラインに立った平成2年当時、前職の会社は社員19名の中小企業でした。
 そこから急成長を遂げ、最盛期には680名と、押しも押されもしない大企業へと変貌を遂げた訳です。
 社員50名のグループ会社を任されたのが、晩節の一年。

 大企業の役員から中小企業の社長と成ったこの年、中小企業家同友会に入会しています。
 周囲の方々のお薦めもあり、月例会ので発表の場も与えて頂きました。

 当時、社内は大変厳しく、人前で話せる状況ではありません。
 ただ、バッシングによる逆風も激烈で、信用回復および風評対策の一環として、お引き受けした次第です。

 こうした不純な動機の発表にも関わらず、参加された企業の皆様は、真摯に耳を傾けて下さいました。
 後日、民事再生申請後に事務局をお訪ねした際には、「内情を知らなかったとはいえ、大変厳しい時期にご依頼して申し訳ありません」と、過分なお言葉を頂戴したほどです。

 かつては、急成長企業の幹部として依頼を受け、各所でお話しをさせて頂きました。
 分不相応ということで、できる限りお断りしたにも関わらず、断りきれなかったものだけでも幾多に上ります。
 
 今にして思えば、経営を判っていたつもりでいた、不遜な人間です。
 大組織の歯車の一つとして、持ち場を担うだけの人間に、営業も社員教育も資金繰りも、総てを丸抱えする中小企業の経営はできません。
 
 起業から丸三年を経過し、再び学ぶ上での資格だけは手にしたと考えます。 
 各店長にとっても、机上の空論ではない、生々しい経営者の言葉に学ぶことは有益でしょう。
 改めて、宜しくお願い致します。

徳川家康の遺訓

 混乱の戦国時代を経て、300年に渡る安泰の世を築き上げた徳川家康の遺訓です。

『人の一生は重荷を負って遠き道を行くが如し

 急ぐべからず

 不自由を常と思えば 不足なし

 心に望み起こらば 困窮したるときを思い出すべし

 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え

 勝つことばかり知りて負くるることを知らざれば 害その身に至たる

 己を責めて人を責めるな

 及ばざるは過たるより 勝れり』
  

<解説>
 人の一生は、重い荷物を背負って、遠い道を行くようなものだから、無理に生き急いではならない。
 何かが欲しいと願う前に、困った時のことを思い出せ。
 不自由を当たり前だと思えば、不足と感じることもない。
 むやみに怒ってはならない。
 我慢・辛抱は、長続きの秘訣である。
 勝つことばかりで、負けることを知らないでいると、本人にとって寧ろ害になる。
 自分を責めても、人は責めるな。
 何事もやり過ぎることは、やり足りないよりも良くない。 

 世界中の皆が、この遺訓の通りに生きるならば、政局は慎ましく、ナショナリズムは影を潜めることでしょう。
 

プログラムの書き換え

 日本の名立たる成功者達が、その生き様と哲学を挙って学んだ「中村天風」。
 とはいえ、天風と言えども、生まれついての巨人だった訳ではありません。

 若かりし頃、不治の病と言われた粟粒肺結核に冒され、アメリカ・ヨーロッパ・インドと、世界の三分の二を遍歴します。
 各国の知識人に助けを請うも、病状は悪化の一途を辿るばかり。
 絶望の果て、ヨガの大哲人「カリアッパ」聖者と出会い、導かれるままヒマラヤの奥地に入り、最後の瞑想にふけります。
 
 天風は、「もう駄目だ」「どうにもならない」と、しきりに身体の不調を訴えたそうです。
 苦痛に叫び悶える天風に、カリアッパ聖者は諭します。

聖者「そんな言葉ばかり使っていると、生活機能が乱れて取り返しのつかないことになる。」
天風「痛いから痛いと言うのです。辛いから辛いというのです。それを言ってはいけないのですか?」
聖者「痛いと言えば痛みが治まるのか? 辛いと言えば辛さが軽く成るのか?」
天風「・・・」
聖者「治らないのであれば、そんな言葉を口にするな。」
天風「でも、痛いものは痛いのです。」
聖者「痛いのは仕方ない。 しかし、その後で駄目だとか、死にそうだとか言うな。
  その言葉によって自分が不幸になることは勿論、聞いた人までも駄目にしてしまうのだぞ。」 

 言葉は言霊(ことだま)。
 聖者の言う通り、マイナスの言葉は、自分自身を洗脳するだけに留まらず、周囲の人々にも伝染するのです。

 試合の前、商談の前、「負けるかもしれない」「負けたらどうしよう」と口にする人間は、戦わずして自分に負けています。
 
 店舗の売上が厳しい時に、店長が「厳しい」「大変だ」と連呼すれば、当然に社員は動揺するでしょう。
 いえ、決して「危機感を口にするな」とか、「現実から目を反らせ!」と言っているのではありません。
 
 「現状は厳しい、このままだと大変だ。・・・だからこそ、こうして行こう! そうすれば必ず道は拓ける!」

 このように、マイナスの現状を受け止めた上で、最後にプラスの言葉を塗り被せるのです。
 脳(潜在意識)は、その最後の言葉を認識して、プログラムの書き換えを行います。

 どう足掻いたところで、過去は1mmも動かせません。
 しかし、自らの言葉と行動で、未来だけは変えられます。

旅行と放浪の違い

 先週末、次男と共にレイトショーを観に行ってきました。
 封切り直後の「踊る大捜査線」最新作という家内の予想を大きく外し、高倉健主演の話題作「あなたへ」。

【 あらすじ 】
 富山の刑務所で指導技官として勤務する倉島英二(高倉健)の元に、亡くなった妻・洋子(田中裕子)が生前にしたためた一通の手紙が届く。
 そこには、遺骨を故郷の海に散骨して欲しいと書かれていた。
 英二は、洋子が生前には語らなかった真意を求め、彼女の故郷長崎へと向かう。
 その道中で出会う様々な人々と交流するうちに、妻との思い出が頭をよぎり・・・。
 
 大滝秀治、長塚京三、佐藤浩一等の名優陣が、美しい日本の情景をバックに、人と人との関わり、家族への想いといったテーマを、重厚に奏でます。
 
 田中裕子が劇中であわあわと歌う、宮沢賢治作詞・作曲「星めぐりのうた」は秀逸。
 そしてやはり、高倉健の81歳とは思えない圧倒的な存在感。

 注目すべきは、故郷の局留めで投函された妻からのもう一通の手紙の内容が、小説と映画とでまるっきり違っている点です。
 
 長崎へ向かう途中で知り合ったビートたけしが、種田山頭火の句を引用して尋ねます。
 Q:「旅行」に有って、「放浪」に無いものは何か?
 A:「目的」そして「帰る場所」

 その昔、「人生」と書いて「たび」と読ませる松山千春の曲がありました。
 「人生」=「旅」
 そう、人生には、目的と帰る場所が必要なのです。
 人生を放浪(さすら)っては、いけません。

 エンディング、山頭火の句がスクリーンに映し出されます。
 「このみちや いくたりゆきし われはけふゆく」

 ゲーム世代の次男には退屈だったかと思いきや、「今まで観た中で一番」と絶賛。
 家族とは、人生とは、そしてそれぞれの「あなたへ」を考えさせられる、奥行きの深い作品でした。

管理職に相応しい人材:後篇

 しかし、管理職としての営みを繰り返す内に、謙虚さや感謝や思いやりといったファクターで人間性が磨かれ、相応しい人徳が備わってくるのも事実です。 

『 相手を悪く言ったり、思ったりしてはならない。
 それは相手のためにでなく、自分自身をいやしいものにしてしまうからだ。
 
それより相手の良さを見つけ出すことだ。
 それは相手に御世辞をいうことではなく、相手の人格を尊重することだ。
 そうしてそれが自分の人格を高めるのだ。
 
 相手を悪く言って解決ができることはほとんどない。
 なんとなれば相手にも理屈があるからだ。
 
 そんなことより自分が反省することだ。
 くやしいけれども自分のこれからの道を自分で見つけ出すことだ。
 できれば「私が悪かったのです」とおわびのできる大きな人間になることだ。』 ダスキン創業者 鈴木清一氏

 今現在、我が社には、4人の店長と1人の副店長が居ます。
 正直、管理職に指名した段階では、その5人の人間性が傑出しているから指名した訳ではありません。
 いえ、それは社長である私も同じです。

 未熟が故に、失敗もする、問題も起こる。
 ある意味それは当然でしょう。

 最初から完璧な人間が居ない様に、最初から完璧な管理職も居ません。
 自分自身の至らなさを謙虚に認め、昨日よりも今日、今日よりも明日と、少しずつでも成長しようと前向きに精進する人材こそが、会社にとって必要な、管理職に相応しい人材だと確信します。  完

管理職に相応しい人材:前篇

 社員の皆様に、「管理職を目指しなさい」とお薦めすることがあります。
 それは決して、「出世しなさい」という意味ではありません。

 勿論、一般社員よりは店長、店長よりは役員、役員よりは社長の方が待遇は良くなります。
 経済的には豊かになり、社会的なステイタスも高まります。
 それも大事でしょう。
 
 しかし、もっと大事なのは、立場が変わることで景色が変わることです。
 管理職になると、今まで見えていなかったものが見えてきます。
 
 成果を上げれば褒められ、失敗すれば叱られる・・・これが一般社員の姿です。
 成果を上げたにも関わらず褒められなかったり、自分が悪いと思っていないことを叱責されれば腐ります。
 気の置けない友達や同僚に、愚痴をこぼして発散すれば、多少気は紛れます。
 
 管理職であれば、当然に部下の仕事をしっかりと見るべきです。
 成果が上がれば称賛し、モチベーションアップを図ります。
 上司としてフォローしたとしても、引き立て役となって部下の手柄をアピールするのは当然です。

 失敗は、二度と繰り返さない様に叱責する必要があります。
 失敗後の結果管理ではなく、プロセスを注視した上で、道を逸れそうになれば諭すべきです。
 頭ごなしに叱りつけるだけでなく、本人の腹に落ちるまで、なぜ駄目なのかを説明します。
 その上で、社内外に向けては、「自分の教育と指示が甘かった」と自己責任で受け止めるのです。

 会社の方針や、TOPからの指示を徹底させる際は、「上が言うから」ではなく、その狙いや意味を咀嚼し、自分の言葉で伝える必要があります。
 「前にも説明した」「何度も言った」「そんな言い方はしていない」と憤慨したとしても、コミュニケーションの原則は、「何を言ったかではなくて、どう伝わったか」なのですから・・・。

 人が回らない時には、自らの休日を返上してでも出勤する。
 夜間のクレームには、率先して出動して解決に当たる。

 そうした自己犠牲の必要性も鑑みますと、管理職というのは割に合わないポジションかもしれません。 つづく

代替の効かない存在感

 以前ご紹介した、「Big Smile(ビッグスマイル)」運動の進捗報告です。
 一ヵ月足らずの運用ですが、続々と寄せられているお喜びの声を一部ご紹介します。

①「どこにどのような物件があるか、かなり把握されているため、希望地域での情報提供も多く助かりました。」
②「夕方からにも関わらず、色々とわがままを聞いて頂き、ありがとうございました。」
③「部屋の説明を丁寧にしてもらい、とても判り易くて良かったと思います。」
④「言葉遣いもキレイで、親切で、丁寧な心のこもった対応が伝わってきました。」
⑤「物件周辺の治安や日照が気に成っていましたが、率直に安心できるように話して下さいました。」
⑥「非常に礼儀正しく、かた苦しくなく、優しい笑顔が印象的でした。」

 お客様からの声は、営業マンの通知表です。
 こうしたお褒めの言葉を頂ければ、単純に嬉しいものですし、遣り甲斐も感じられますし、前向きにも成るでしょう。
 仮に、お叱りの声があったとしても、真摯に受け止め、お詫びし、反省し、改善し、次につなげることができます。 

 更に、営業冥利につきるのは次の声です。

⑦「今回の物件に決めたのは、”◇◇さんだったから”というのが大きいです。」

 代替の効かない存在感を表す「あなただからこそ」の一言は、人間の根源的な「認められたい」という本能に訴え、自己重要感を高めてくれます。
 
 また、こうした活動が個人や店舗や会社やブランドのファンを増やし、将来的な売上の種蒔きと成り得ることを示すのが次の声です。

⑧「家をお探しの方がいたら、是非××さんに頼みたいと思います。」

 反響増、集客増を図るのは容易ではありません。
 営業マンを増員するとなれば、多大な人件費がかかります。

 しかし、お役立ちにご満足頂ければ、お客様自身が営業マンと成り、広告塔と成って、口コミでファンを増やして下さいます。
 我々の給料は、社長から貰っているのでも、株主から貰っているのでもなく、お客様から頂くことを示す好例です。

評論家不要論

 『正論を口にするのは難しくない。
 それを実行に移すことは難しい。
 やり遂げることは更に困難である。』

 例えば次の二つの問題は、現在大きな論争に発展しています。

 ・ 尖閣諸島や竹島問題に対する、「弱腰になるな!」「毅然たる態度を示せ!」との声
 ・ 福島原発事故を受け、リスクを排除するために、「原発を全廃させよ」との声

 私自身も、その声には大いに賛同しますし、先述の通り、口にするのは簡単です。 
 しかし、実行に移すとどうなるかというリスクの先読みをすれば、一歩を踏み出すことに躊躇せざるを得ないのも事実でしょう。

 例えば、石原都知事の言う通り、尖閣に灯台や港を構築すれば、日中関係は更に悪化します。
 国交断絶の危機再燃どころか、戦争にも発展しかねません。
 原発ゼロを強行突破すれば、経済効果に依存する地方都市の破綻は免れないでしょう。
 
 それらのリスクを踏まえ、包括的にソフトランディングするのが、責任政党の役割と言えます。
 評論家、野党・・・、責任無き批判は楽です。

 そもそも、民主党も野党時代に、自民党政権を批判する評論家の立場にありました。
 マニフェストに掲げた政策の殆どは正論でしょう。
 ところが、第一党となり、責任政党として着手してみると、その困難さに初めて気付くのです。

 会社の中にも、同様の問題が山積しています。
 「あれが駄目」「これが駄目」、問題の列挙だけならいとも簡単です。

 それを、いつまでに、誰が、どうやって解決するのか。
 それに伴うリスクは何か?
 
 そうした思考も責任もなく、「民主党が悪い」「野田総理が悪い」と総論で断罪するのは甚だ危険です。
 国家にも会社にも、評論家は要りません。

歩歩是道場

 キリストシリーズが続きましたので、少し目先を変えて禅の言葉から。
 タイトルは、「維摩経(ゆいまぎょう)」の一説。
 意味合いとしては、次の通りです。

 「学校や道場のみならず、日々の生活の総てが、人間性を高めるための修行の場である」

 例えば仕事は、上司から部下に教えるだけではありません。
 部下から教わることも沢山あります。

 先日会食した同業者の社長は年下ですが、毎回学ばせて頂くことばかりです。
 午後から来店された同業者は、かつての部下ながら、ここでも多くの気付きがあります。

 結婚して家庭を持った時、独身時には判り得ない人生の機微を、家内から教わりました。
 子供が生まれ、初めて、命の大切さや健康への感謝を知ります。
 お客様から学ぶことは、枚挙に暇がありません。

 学校の教室や机を前にすることが学習で、装いを整えて道場に立つことが修行とは限らないでしょう。

 素直な心で、何かしら吸収し、成長しようと前向きに取り組んでいる人にしてみれば、人との触れ合いは勿論のこと、新聞記事からでも、TVのニュースからでも、土手沿いに健気に咲く彼岸花や路傍に転がる石ころからでも学ぶことができます。

 一方で、社員の方々に毎日送られる拙文も、斜に構え、冷やかに読み流した人には、露ほどの気付きももたらしません。
 
 素直の原点は謙虚であること。
 謙虚を阻害するのは不遜です。
 
 不遜な邪心を洗い流し、まっさらで素直な心の目を開いてみましょう。
 今までとは、違った景色が拡がっているかもしれません。

第二本能を呼び覚ませ

 先日の日経新聞生活面に、「生活保護 審査現場の苦悩」なる記事が掲載されていました。
 公的負担は、この10年で7割増と言いますから、ただでさえ危機的状況に喘ぐ国家財政的にも大問題でしょう。
 記事の書き出しは衝撃的です。
 
 「あの夫婦は生活保護を受けるために離婚した」
 
 つまり、偽装結婚ならぬ偽装離婚ということになります。
 実は、この業界では珍しい話ではありません。

 今日、新婚さん以上に、お部屋探しの大きな市場(マーケット)に成っているのが離婚。
 「離婚するので奥様が家を出る」というパターンが一般的で、生活保護受給が前提です。

 男女二人で来店されるので、新たなパートナーかと思うと、さに非ず。
 「保証人は?」というと、「元の旦那が・・・」と答えます。 
 二人の仲も、随分と良さそうです。
 離婚する必然性が、まったく感じられません。
 
 偽装離婚して生活保護費を不正受給し、実質は元通りの生活を営みながら、御主人の収入と併せて贅沢三昧・・・。
 妄想や疑念を持ちながらも、我々は市役所の職員では無いので、それ以上突っ込んで聞くことはできない訳です。
 
 受給者の受給理由は4種類。
1. 高齢者
2. 障害者
3. 疾病者
4. その他

 この「働けるのに働いていない」その他の受給者が、リーマン・ショック以降急増しているそうです。
 また、「汗水流して働いて得る収入よりも、生活保護費の方が高い」逆転現象が問題視されています。
 働かざるして食べられる環境に安住し、自立しようという意欲が起こり難いのも事実です。

 しかしながら、受給者は決して、勤労意欲や自立心が欠落している訳ではありません。
 家庭の親、学校の教師、ハローワークの職員、ケースワーカーは、仕事のやり甲斐や生き甲斐を繰り返し訴え、埋もれてしまっている感性を呼び覚ますことが肝要でしょう。
 元来人間には、「人の役にたちたい」「人から認められたい」という第二本能が備わっている筈です。
 

艱難は希望を生ず

 私は、キリシタンではございませんが、今日も新約聖書ローマ書第五章より。

 『艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず』

 艱難とは、困難に出会って悩み苦しむ様
 忍耐とは、苦しみや悲しみを耐え忍ぶ様
 練達とは、熟練しその道に深く通ずる様

 これを、我々が取り組む賃貸仲介業・賃貸管理業に準(なぞら)えてみます。
 総てが思いのままに運べば理想ですが、仕事はそう簡単なものではありません。
 
 一生懸命お役立ちしようとしたお客様が、他決することもあります。
 激烈なクレームを受け、精神的に追い詰められることもあるでしょう。
 目に余る滞納者に対し、厳しい督促を余儀なくされたりもします。

 そうした艱難から逃れたい気持ちは理解できますが、逃げ果(おお)せるものではありません。
 克服する方法は唯一、真正面から対峙すること。
 自身を振り返っても、感謝すべき過去は逆境ばかりです。

・ 総会で管理組合員の方々から責任追及の声を受け蜂の巣になったこと
・ 営業マンのオーバートークの尻拭いのために何度も土下座したこと
・ マンション建築の近隣説明会で人でなしとの罵声を浴びせられたこと
・ 背任行為によって信頼する部下を失ってしまったこと
・ 長らく勤めた会社の破綻により愛すべき同志と道を異にしたこと・・・   
 
 艱難や逆境は、自分を成長させてくれるための試練。
 耐え忍ぶことで、忍耐力が身に付き人間性が向上する。
 そうしたプロセスを通じて、仕事への造詣(ぞうけい)が深まり、一段とスキル・自信が身につく。
 艱難を乗り越えることで結果、未来への希望を見出だすことができる。

 「最近の若者にそれを求めるのはナンセンス」と笑われるかもしれません。
 しかし、「最近の若者は・・・」なる言葉は、かのハムラビ法典にも記されていたそうです。
 古今東西を問わず、不変の教えはあるのでしょう。

 仕事を通じて地にしっかりと根を張り、豪雨にも揺るがず、大風にも飛ばされず、踏まれても踏まれても立ち上がり、未来へ向けて花を咲かせる、雑草の様な逞しさを身に付けて頂きたいと思います。

罪なき者彼女を撃て

 以前にも引用したことがあるかもしれません。
 ヨハネ福音書 第八章にある、有名なお話しです。

「姦淫の女」

【 律法学者やパリサイ人達は、一人の女を引っ張り出し、中央に立たせる。

 「この女は姦淫の場で捕えられました。
 モーゼは律法の中で、姦淫の罪人は石で打ち殺せと命じています。
 先生(イエス)あなたはどう思いますか?」

 彼らは、イエスの判断を仰ぐことで、訴追する口実を得ようとしたのである。
 イエスは、その問いかけが聞こえないかの様な素振りで、身を屈め指で地面に何かを書いていた。
 彼らが何度も問い続けると、やっとのことでイエスは身を起こし、言葉を発する。

 「あなた方の過去を振り返り、一切罪のない者から、この女に石を投げつけるが良い」

 そう言うと再び身を屈め、地面に何かを書き始めた。
 一人の老婆が、背を向けて立ち去る。
 老いも若きも、男も女も、一人ひとりとその場を離れ、遂に女とイエスの二人だけが残された。
 イエスは身を起こし、その女に問う。

イエス 「皆はどこに行った? あなたを罰する者は居なかったのか?」
女   「誰も・・・」
イエス 「そうですか。私もあなたを裁きません。どうぞお帰りなさい。」 】

 自分の過去を省みず、他人の失敗や未熟さを責める、攻撃的な心に問います。
 汝(なんじ)の罪なき者、石をもて彼女を撃て!

愛社精神とは何か

 ある方のfacebookの書き込みに、「愛社精神」というキーワードがありました。
 古臭い言葉かもしれませんが、少し掘り下げてみたいと思います。
 まずは、「はてなキーワード」愛社精神とは?

【 自ら勤める会社を愛する気持ち。
 経営者に対する忠誠心とは別次元の問題であるが、よく混同される。
 高度経済成長期の原動力となったイデオロギー。
 かつて日本の企業が社員に対して個人の能力発揮以上に強く求めた価値で、新入社員教育と言えば、実務的なものより愛社精神の醸造に多くの時間を割いた。バブル崩壊後、日本式経営に対する懐疑が広がり、かつてほど重視されなくなったように思われる。 】

 この企業側スタンスの上から目線の表現は、必ずしも的確とは思いません。
 そもそも「愛社精神を持て!」などと強制するものではないし、強制したからといって備わるものでもないでしょう。
 本来は上下無く、新入社員も社長も会長も、それぞれ個々の心の中に備わっているものだと思います。
 愛社精神を説く上で、避けて通れないのは、日本式と欧米式との違いです。

◆ 日本式 = 年功序列+終身雇用=集団主義
◆ 欧米式 = 成果主義=個人主義

 この集団主義を全体主義と読み替えると、ナチス→ヒトラーが連想され、またややこしくなります。
 
 かつての日本は、一度会社に就職しますと、定年まで生涯そこで働き続けることが当たり前でした。
 加えて年功序列で、長く勤める程に給料と待遇が良くなるのですから、利害関係から愛社精神は高まる訳です。
 
 バブル崩壊以降、日本企業も余裕が無くなり、次第に欧米化しつつあるのは、今更言うまでもありません。 
 今日のテーマは「愛社精神」ですから、成果主義と年功序列の是非は置いておきます。 
 では、愛社精神を形成するファクターは何か。

① 会社(理念・方針・社風・人間関係)が好きである
② 仕事の成果を認めてくれる
③ 上司や先輩が尊敬できる
④ 自分自身が成長できる環境がある
⑤ 経営が健全で報酬に満足している
⑥ 困った時にフォローしてくれる
⑦ 自分の意見が経営に反映される
⑧ 仕事を通じて世の中のためになることが実感できる・・・

 他にも沢山あるでしょう。  
 大上段に振りかぶるまでもなく、良い会社になれば自然と備わってくる、それが愛社精神だと確信しています。

不実も無知も罪

 先日、松山不動産業協会の研修に参加して参りました。
 弁護士の先生をお招きしての講義タイトルは、「重要事項説明書と契約書でトラブルを発生させないために」。
 具体的な判例を元に、仲介業者としての留意点をレクチャー頂きます。

1. オフィスビルの売買成立後、給水ポンプが壊れていた
 要旨「正常に稼働しているか否かの告知書を、売主から取っていれば回避できた」

2. 片側崖の宅地について、法的制限の説明がされなかった
 要旨「業者が提供した擁壁の見積も法的要求を満たしておらず、土地の一部の利用が制限される説明が欠落」 

3. 宅地の取引について、軟弱地盤であることを説明しなかった
 要旨「業者は軟弱地盤であることを認識しながら、敢えて告知を怠った」

4. 中古住宅の取引について、白蟻被害・雨漏り・腐食等の存在を説明しなかった
 要旨「白蟻と思しき虫の死骸を発見したり、腐食箇所の指摘を受けたにも関わらず、意図的に隠蔽した」

5・ 小児喘息の子を持つ事情を知りながら販売した土地から4mの位置に、高さ5mの擁壁が建造された
 要旨「買主の購入動機を知った以上、業者にはこれに反しない様に調査・説明の義務がある」

6. 分譲宅地上に新築したものの、不等沈下によって家が傾き、住み替えを余儀なくされた
 要旨「仲介業者は高度な注意義務を要求されるが、本件の様な隠れた瑕疵についての過失は当たらない」

 上記の中で、唯一6の事例のみが、仲介業者としての責任を免れました。
 裏を返せば1~5までの事案は、大なり小なり損害賠償責任を問われています。

 取引に当たり、媒介契約書→重要事項説明書→売買契約書という三つの書類を作成し、一件数十万円から時に数百万円の手数料を得る不動産業は、濡れ手で粟の美味しいビジネスと見られがちです。
 しかし、その裏に潜むリスクは、実に甚大と言えるでしょう。
 ついうっかりが時に、会社の存亡をも揺るがしかねません。

 買主に対しては、物件の欠点を極力見せない様に覆い隠し、良い所だけを強調したいのが営業マンの悲しい性(さが)です。
 先述の生々しい事例は、そうした売らんかなの姿勢に警鐘を鳴らします。
 
 事実でないことを告げる、事実を知っていながら告げない、この商売は何れも詐欺です。
 また、プロである以上「知らなかった」では通用しないこともあります。
 だからこそ、宅建資格は必須でしょう。
 不実も無知も罪なのです。
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・尊敬する人 
稲盛和夫 西川広一 松下幸之助

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン
・趣味
 劇団AUGAHANCE初代代表
 主に脚本・演出を担当

・経歴 
 中卒後、大工・石工と職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR