スーパースター店長の台頭

 会社でも事業でも共通に言えることですが、多店舗展開にはメリットとデメリットがあります。

【 メリット 】
① 競争意識 (他店に負けたくないという意識によって、更なる頑張りが期待できる)
② 適正人員 (多忙な時に応援し合うことで、余剰人員を抱える必要がない)
③ シナジー (合同仕入れや、合同発注によって、コストダウンや生産性向上が可能)
④ リスクヘッジ (一店舗が悪くても、他店でカバーすることが可能)
⑤ ポスト提供 (店舗数だけ店長ポストが増え、目指す社員の意欲が高まる)
⑥ 宣伝広告 (店舗自体が広告塔となり、認知度や知名度が高まる)
⑦ 信用力の補完 (一店よりも複数の店舗を抱える方が、信用力が高まる) 

【 デメリット 】
① 管理統制 (物理的に、TOPの目が行き届かなくなる)
② セクショナリズム (競争意識が行き過ぎ、店舗間で足を引っ張り合ってしまう)
③ 人員不足 (出店を続ける限り、人員不足・リーダー不足が恒常的な問題)
④ 先行投資 (出店前から、暫くの間は先行投資が必要)

 メリットとデメリットを単純に比較しますと、多店舗展開すべきという結論が導かれそうです。
 経営陣も社員もお客様も、基本的には会社を成長させたいと願っています。
 思いとは裏腹に、ヒトとカネが追い付かないことで、次に進めない会社が殆どです。

 単一店舗ならTOPが先頭に立って突っ走り、自分の存在価値を大いに高め、背中を見せて「ついて来い」でもやっていけます。 
 多店舗展開すると決めた以上は、意図して自分の影を薄めるべきでしょう。
 
 A店ならその運営は、A店の経営者であるA店長の手に委ね、責任と権限を委譲します。
 ユニクロを展開する、ファーストリテイリングの柳井社長も、「事業部長や役員ではなく、プロフィットを生みだす店長が、スーパースターで無ければならない。」と語っていました。
 
 冒頭に列記した通り、他店との競争意識がエスカレートして、自軍同士で足を引っ張り合う様な、つまらないセクショナリズムに陥るケースも散見されます。
 くれぐれも店長は、「敵は外に在り」という原理原則を見失わないで下さい。
 
 店長にとって責任は重圧ですが、責任の無いところに、報償も称賛もありません。
 部下やお客様に正しいヴィジョンを指し示し、与えられた資源(ヒト・モノ・カネ)を最大限に活かしきり、課せられたミッションを確実に果たす、スーパースター店長の台頭を心待ちにしています。
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ポジティヴな危機感

 企業にとって不可欠な、危機感の共有についてのお話しです。
 まずは、自分なりの言葉の解釈を再確認しておきます。
 「危機」=想定される最悪の事態    「危機感」= 危機を回避するための心掛けと言動 
 
 例えば45歳のヘビースモーカーの男性が、人間ドックにかかったとしましょう。
 医者が深刻な表情で、男に告げます。

 「このままだと、近い将来、肺癌(がん)を発症する可能性が極めて高い。
 肺癌は極めて危険な癌で、発症5年後生存率は僅か20%だ。」   
 この場合「危機」は、肺癌を発症して早死にすることです。

 聞いた患者は心穏やかではありません。
 だからといって、医者に対し「お前、人に早死にするとは何事だ!」と食ってかかる無礼者は居ない筈です。
 藁(わら)をもすがる思いで、「どうすれば良いですか?」と尋ねます。
 すると医者は、待ってましたとばかりに一言。
 「タバコを止めなさい。」
 
 四半世紀以上タバコを吸い続けてきた男も、命には代えられないと、遂に禁煙に踏み切りました。
 この場合、禁煙という苦渋の決断が「危機感」になります。
 「危機感」はネガティブに聞こえますが、悪しき方向へ向かおうとしている舵を切り替えるための、実は前向きな言葉です。

 逆のパターンもあります。
 初見の医師は、肺癌の発症リスクや早死にする可能性も、一切示唆することなく男を帰してしまいました。
 「危機感」を持たない男は、当然に禁煙も摂生もしません。
 やがて状況が悪化し、食欲も体重も落ち、咳が止まらず、血痰も出て、たまらず医者に駆けこみます。
 
医師 : 末期の肺癌です。
患者 : えっ?!  せ、先生、しゅ、手術して下さい!
医師 : 残念ながら、手遅れです。
患者 : ・・・そ、そんな・・・。
医師 : 余命は、長くもって半年でしょう。
患者 : ・・・。

 さながら、「B&L」の我修院ルイの如き運命になってしまうのです。 
 とまあ、いつもながら回りくどい比喩の末、お伝えしたい骨子へと強引に着地させます。

 自分は3年前、企業の死亡宣告でもある、民事再生法申請という最大の「危機」を実体験しました。
 「危機」を迎えてからの「危機感」は、「悲壮感」を助長するだけで何の役にも立ちません。
 海図とコンパスを手に、レーダーを注視し、双眼鏡で遠くを観察し、「危機」の予兆が見えた段階で「危機感」を訴え、回避するための手段を講じ、乗員の士気を鼓舞することがリーダーの役割です。
 そして「危機感」無きリーダーの存在こそが、組織にとって最大の「危機」でもあります。

未来のチャンスの種

 「この業者を知っていますか?」
 大洲駅前店の中伊さんから尋ねられ、遠い記憶を呼び起こします。
 
 平成11年、前職で分譲マンション事業部長として用地を物色していた時、道後校区の一等地にある、某百貨店の社宅が売りに出ました。
 競売には、大手のA工務店と地場デベロッパーD建設とが参加し、三つ巴の競り合いに成ります。
 結果、一番札で我々が落札し、翌年発売しました。
 その際、大手百貨店サイドで、競売を取り仕切っていらっしゃったのがF社のS社長です。
 恐る恐る会社に電話をかけ、社長への取り次ぎをお願いしてみます。

松岡 : 御無沙汰しております。 かつて競売でお世話になった、元J社の松岡です。 覚えていらっしゃいますか?
社長 : ええ、もちろん憶えておりますとも。 お久しぶりです、お元気ですか。

 12年隔てられた、空白が埋まった瞬間です。
 翌日のアポをとって、会社をお訪ねすることになりました。
 実は会社も、我々の南店から車で5分程の至近に在ります。
 お互いの頭には、随分白いものが増えました。
 12年振りでも、古き良き時代の昔話に花が咲きます。
 
 実を言うと訪問には、所有物件の管理営業という下心がありました。
 「判りました。
 昔から、松岡さんの人と成りも良く理解しています。
 お任せすることを前提に、現管理会社と話を詰めた上で、改めてご連絡しましょう。」

 また一人、過去の人脈が掘り起こされ、感謝のリターンへと結実しそうです。
 人脈構築は、facebookによるヴァーチャル・ワイドな手法に限りません。 
 過去お世話に成った御縁を、ピンポイントでリアルにつなぐ行動は極めて重要です。

 今日の出会いを大切にする人は、未来のチャンスの種を蒔き、
 今日の出会いを疎かにする人は、未来のチャンスの芽を摘んでしまうのです。 

雑用を使命に変える心掛け

 戦後の混乱期に総理大臣を務められた、吉田茂氏の実話です。

 難関の試験を突破し、外交官に就任した吉田氏が最初に命じられた仕事は、電信室で受けた電信を大使に届ける役割でした。
 来る日も来る日も、使い走りの様な単純作業の毎日に嫌気がさし、「俺の様な能力のある人間に、こんな仕事をさせるのは国家的損失だ」と嘯(うそぶ)くのです。
 
 遂にある日、義父である牧野伸顕さんに手紙を書きました。
 「まったく馬鹿げた仕事をやらせている。こんな仕事は辞めるべきだと思う。」
 その手紙を受け取った牧野氏は、厳しく叱責します。

 「何を馬鹿なことを言っているのだ。
 大使に届く電信の中には、一国を左右するものもあるだろう。
 即ち、お前のやっている仕事は、大使よりも先に、その重要な情報を知ることができる。
 何故、その電信を見た時に、自分が大使であればどのように判断し、どのように決断するかと考えないのか。
 そして、実際の大使の判断が、お前の判断と違ったならば、それは何故かと突き詰めることが勉強なのだ。」

 この教えによって、吉田氏は一転して前向きに取り組む様になったと言います。 
 
 仕事や人間関係において、思い通りに成らないことが殆どでしょう。
 思い通りにならないことを、何とか理想に近づけようとする営みこそが人生です。

 日常を振り返っても、意味の見出し難い雑用が数多く存在します。
 しかし、誰でもできる雑用も、誰かがやらなければならない重要な仕事です。
 また、先の吉田氏の様に、雑用と思えば雑用に成り下がるものの、その仕事の中に秘めたる重要性に気付いたとすれば、もはや雑用では無くなります。
 
 今取り組んでいる、目の前の仕事への遣り甲斐を見失いそうな時、思い出したいエピソードです。

宝石の如き思い入れ苺

 月一度の会食仲間に、葡萄農家と苺農家の方がいらっしゃいます。
 ハウス苺は今が旬。
 特に今年は出来が良く、糖度も13~15と極めて高いレベルにあるそうです。

 先日、「まあ食べてみて」と、摘みたてを戴きました。
 苺本来の自然な甘い香りが鼻に抜け、噛みこむと歯応えがしっかりしていて、ジューシーで上品な甘みが口一杯に拡がります。
 大袈裟では無く、半世紀生きてきた人生の中で、これほど美味しい苺は初めてです。
 もはやこれは、フルーツではなく、スゥィーツの域であります。

 日頃頂く苺は、若干青臭さが残り、酸味が強く、練乳をかけないと美味しく食べられません。
 今まで食べてきた苺は何だったのだろう、と疑問に感じる程の美味しさでした。
 内子の山奥で、たった一人が作っている、知る人ぞ知る逸品です。 

 このことを話のタネに、あちこちで吹聴すると、「それほど美味しいのなら」という方が出てきて、注文が次々と舞い込む様に成りました。
 さしずめ、無償の営業部長です。

 いつも思うことですが、良いモノは売れます。
 「真の営業力は、石コロでも売ってくること」
 かつて読んだ本にあったトップセールスマンの台詞ですが、今はそんな時代ではありません。
 商品が良いことは、大前提でしょう。

 先述の苺の様に、自分自身が賞味・実感した良い商品であれば、利害に関係なくお薦めしたくなるものです。
 一方、下手な営業マンの手にかかると、売れる商品をも売れなくしてしまいます。
 それが営業力の真髄です。

 内子町 大瀬 石尾農園。
 片足義足のハンディを持ちながら、安定した町職員の座を捨て、宝石の如き思い入れを持って、一粒の苺づくりに取り組んでいらっしゃる熱い男です。
 興味のある方は、メッセージを頂ければご紹介します。 

無功徳への道程

 仏教で、善い行いをした報いを功徳(くどく)と言います。
 しかしながら、見返りを期待した、打算的な行いに功徳はありません。
 また、折角の善行も、自ら言いふらすと値打ちが無くなってしまいます。
 タイトルにある「無功徳」なる言葉は、そうした下心の無い功徳を意味するのだそうです。
 
 人は皆、自分が可愛く、身勝手な生き物です。
 苦と楽があれば、誰しも楽したいと思うものでしょう。
 自分のことを認めて貰いたいと望むのも、人間だけの感情です。
 ゴミを拾ったり、お年寄りに席を譲ったり・・・。
 小さな親切も、気付いて貰いたいものです。 褒めて貰いたいものです。

 前職の会社のある支店が、社名とロゴの入ったパーカーで近隣清掃していました。
 ある日、近隣住民と思しき方から匿名の投書が入ります。
 
 「あれはボランティアではなく、パフォーマンスだ」

 その通りです。
 ボランティアに便乗して会社をアピールしようという、邪な思いが少しでも過ったなら無功徳ではありません。
 しかし、幾らパフォーマンスでも、やらないよりは、やった方が、確実に世の中のために成っているのです。
 
 取り組み初めの動機が不純であったとしても、そうした善行を積み重ねていく内に、やがて特別なことではなくなります。
 特別でなければ、見返りを求めることも、殊更にアピールすることも無いでしょう。
 
 謙虚な人間性を持ち、思いやりに溢れ、心の奇麗な人が功徳を得るのではありません。
 善行を積んでいくにつれて、人の心が磨かれていき、やがて功徳を得るのです。
 行動が人を変えます。

友達のいない人生

 今、話題と言えば、そう田中慎弥さんです。
 この度「共喰い」で芥川賞に輝きました。
 芥川賞は日本の文壇の最高の賞ですから、受賞すれば当然に名前は売れます。
 但し、田中さんを一躍時の人にしたのは、小説そのものではなく、型破りな記者会見でのコメントでした。

【 確かシャーリーマクレーンだったと思いますが、アカデミー賞の候補に何度もなって、最後に貰った時に「私が貰って当然だと思う」って言ったそうですが、まあだいたいそういう感じです。
 4回も落っことされた後ですから、ここらで、断ってやるのが礼儀だと思いますが、私は礼儀を知らないので。 もし断ったと聞いて、気の小さい選考委員が倒れたりなんかしたら都政が混乱しますんで。
 都知事閣下と東京都民各位のために貰っといてやる。
 あの、とっとと終わりましょう。 】
 
 皆さんはどう受け止められましたでしょうか?
 
 「そこまで言うなら辞退すれば良かったのに」とか、「慇懃無礼な奴」とか、「あの酔いっぷり、ワイン二杯は大ジョッキだったのだろう」とか、批判的に捉えた向きもあったでしょう。

 一方で、自分のスタイルを貫く意志の強さや、マスコミに媚びない姿勢に共感する声もあります。

 そもそも田中氏は、社会人経験無しに、本ばかりを読み、小説を書いてきた人生な訳ですから、社会的適応力に不備があって当然です。

 前回、「苦役列車」で受賞し、「(受賞の知らせは)自宅で、そろそろ風俗に行こうかなと思っていた時に・・・。行かなくて良かった。」というコメントで物議をかもした西村賢太氏も、中卒フリーター前科者という変わり種でした。
 
 こうして見ると当たり前ながら、純粋に作品のクオリティにスポットを当てて審査しているのだろうと思います。
 また、傑出した作品を生みだす能力は、非日常を生きる奇才の方が備わっているのかもしれません。

 都知事閣下のために・・・と揶揄された石原都知事は、今回限りで審査員を退くと言います。
 田中氏については、「皮肉っぽくていいじゃない。俺は彼の作品は評価したんだ。」と大人の対応です。
 対して田中氏は、「石原慎太郎に評価されたくはない」と舌戦は更にエスカレートの様相を呈しています。
 
 閑話休題。
 西村氏と田中氏、二人の芥川賞作家の共通点は、「友達が一人もいない」こと。
 才能と努力を認めながらも、そんな人生だけは歩みたくないと思ってしまいます。
 「四国の田舎の中小企業のオヤジなんかに評価されたくはない」と言われるのがオチでしょうけれど・・・。

怒りのエネルギー

 ある本に紹介されている禅問答です。

男 : 私は生まれつき短気で、しくじってばかりいます。 どうぞお直し下さい。
禅僧: それはさぞかしお困りでしょう。 早速直して進ぜよう。
男 : ありがとうございます。
禅僧: では、まずその短気とやらを、ここに出して見せてくれまいか。
男 : さて、出せと言われても、今は出せません。 何かことが起きますとひょっと出て来るものです。
禅僧: なんと、今は出せんと申すか。 いつでも取り出せないのであれば、それは本来無いものだ。
男 : ・・・
禅僧: 短気はものごとを受け入れようとしない己の心から起きる。 
   それを生まれつきだと、さも自分のせいではないかの様に言うのは、あまりにも自分勝手ではないか。
   貴方は先程、今は出せぬとおっしゃった。
   その気持ちを失わなければ、常に穏やかな気持ちで暮らせましょう。

 私も過去、短気な性格が災いして、幾多のしくじりを経験しています。
 また仕事を通じて、烈火の如く叱りつけることも多く、歴代の部下の方にはご迷惑をおかけしました。
 
 先述の男と同様に、「短気な位で丁度良い」とか「心を鬼にして叱責するのも役割だ」とか、理屈をこねては正当化していたものです。
 しかしながら、禅僧の言葉には、反駁の余地もありません。
 
 怒りが込み上げますと、脳内にドーパミンが溢れるそうです。
 適量のドーパミンは、血行を促し、力が漲(みなぎ)る効果があります。
 但し、適量を超えると血管に負荷がかかり、命をも危うくしかねません。

 相手のことを思って、厳しく叱ることは是としても、感情に任せて、怒りのエネルギーを無駄遣いすることだけは差し控えたいものです。
 

期待値分の対応

 賃貸仲介業にとって、春商戦に社運がかかっているといっても過言ではありません。
 日一日と、繁忙期の足音が近付いてくるのを実感する今日この頃です。
 昨日も、案内と商談で営業はフル回転でした。

 さて、松山南店の営業:和田さんの、先日の営業実例をご紹介します。
 その日も和田さんは多忙で、案内に商談に、飛び回っていました。
 午後、ご案内予定の方にすっぽかされ、意気消沈で帰ってきます。

 捨てる神あれば拾う神あり、別のお客様から物件指定の案内予約です。
 ところが、仕事終わりが遅いため、弊社の閉店時間を大幅に超える、20:30~に成りました。
 休日でも、閉店後であっても、お客様都合に合わせるのが、和田さんの持ち味です。

 電話でお約束した直後、今度は日中にすっぽかされたお客様から連絡が入ります。
 まずは、仕事の都合で行けなかった旨謝罪の上で、「どうしても今日見たい」とのこと。 
 ここでも和田さんは、二つ返事で引き受け、21:30~、閉店後二本目のアポです。 
 さて、皆さんが担当なら、果たして同じ行動ができるでしょうか?

 「営業は19:00までなので、それまでにご案内できる様にお越し下さい。
 水曜日は休みなので、それ以外の日にお願いします。」

 この応対は、必ずしも間違いでは無いでしょう。
 定休日も、営業時間も、就労条件も、確固たる約束ごとです。
 残業や休日出勤が美徳とも思いません。
 
 ただ、お客様の受け止める「ここまでやってくれるか」という感動の公式は、期待値分の対応です。
 従って、定型のサービスでは、お客様の心に感激や感動は生まれないでしょう。

 人は勝手なもので、空腹でたまらない時には、一個の塩むすびが御馳走に感じます。
 反対に満腹の時には、刺身もステーキも、見向きもしません。
 
 会社の真の支配者がお客様であるとすれば、生き残りのためにその従者となるのは必然であります。
 更に大事なことは、感動されるお客様の存在を、自らの喜びにできる人間性を身につけることです。     

最大公約数的マイホーム

 昨日の午前中は、某住宅会社の新任支店長と同行で、不動産業者回りです。
 
 都道府県別戸建住宅着工戸数ランキングは、「積水ハウス」が殆どのエリアでTOPを占めています。
 積水ハウスを凌駕する地場ビルダーは、全国でも数社しか存在しません。
 この徳島の会社は、十数年前から、数少ない勝ち組でした。

 注文住宅のTOPともなれば、その地位に胡坐をかき、守ろうとするものです。
 しかしこの会社は、三十代青年社長への代替わりを機に、更なる革新を推し進めます。

 戸建賃貸住宅のFCに加盟し、強力な営業力によって一躍全国TOP企業に。
 FCを脱会した後、自社ブランドの商品を開発し、フランチャイザーとして全国展開。
 戸建賃貸の代名詞と成る程の実績を残す一方、今は新たに、土地セットのコンパクト住宅メーカーとしての地盤を固めつつあります。

 一般的に、住宅の営業マンはハードワークが当たり前です。
 土日祭日は書き入れ時、仕事が終わってからが打ち合わせの時間に成るため、夜も遅くなります。
 一生一度の夢のマイホームを実現するために、営業・設計を交えたプランの打ち合わせは幾晩にも及び、色決めだけで数時間、日付が変わることも珍しくありません。
 すべてはお客様のために・・・しかし、そのコストは誰が払うのでしょう。
 
 注文住宅営業マンの平均受注棟数は、年間4~5棟です。
 年収400万円の営業マンであれば、一棟当たりの人件費は100万円になります。
 その人件費は、実はお客様が負担しているのです。

 企画住宅であれば、熟練した高コストの営業マンは必要ありません。
 営業マンの年収を300万円に抑えた上で、平均15棟捌ければ、一棟当たりのコストは20万円で済みます。
 
 住宅には建て替えもありますが、需要の多くは土地無しのお客様です。
 幾ら営業マンやモデルハウスが気に入ったとしても、土地が無ければ成就しません。
 この会社は、地場の不動産会社との連携を深め、流通している土地情報を根こそぎ集めます。
 これにより、お客様の予算とニーズに叶う、ベストチョイスな土地・建物のセットプランを、スピーディーかつロープライスで提案できるのです。
 
 家族で住宅展示場に出かけ、時価一億円の浮世離れしたモデルハウスに目を奪われ、マイホームの夢が大きく膨らみ、いざ検討段階に入ると即座に予算の壁にぶち当たり、場所を変え、仕様を落とし、広さを抑え、思い描いた夢とはかけ離れた妥協の産物が、現実のマイホームであったりします。

 また、折角マイホームを取得しても、多額の住宅ローンを何十年も払い続ける過程で、旅行も外食も行けない、子供の学費も捻出できない、小遣いは減らされる・・・こうした生活で果たして幸せでしょうか?
 家賃並みの支払いで、生活のレベルを落とすことなく住まうことのできるマイホーム提案は、まさに理想です。
 
 かつて私達が分譲マンションで追求した、最大公約数的マイホームの提案が今、コンパクト住宅に形を変えて、愛媛にも拡がろうとしています。

大切な愚直さと誠実さ

 先日、「率に惑わされてはいけない」というお話をしました。 
 
 営業力を測る重要な指標の一つは、成約率です。
 野球の打率と同じで、分母は接客数、分子は成約数に成ります。

 野球は、10回打席に立って3本ヒットすれば三割バッターとして一流の称号、2本しか打てなければ二軍落ちというシビアな世界です。
 営業の世界も本来は、成約率順に接客するのが王道と言えます。
 勿論、少人数で運営するが故、他意なく接客機会が均等する店舗は別です。 

 ロイヤリティを払ってネットワークチェーンに加盟する、家賃を払い目立つ場所にテナントを借りる、賃貸情報誌に出稿する、ポータルサイトに掲載する、広告塔を上げる・・・。
 
 これらは総て、会社がお金をかけて取り組んでいるものですから、名簿は会社の財産です。
 反響時や来店時に対応する担当者個人のものではありません。
 希少な接客機会であれば、成約率の高い4番バッターを打席に送るのは、落合監督ならずとも、勝利に拘る闘将の当然の判断でしょう。 
 夏の甲子園で、3年間控えに甘んじてきた生徒を代打に送る監督の、温情が美談になるのはアマチュアだからこそです。

 この一連の話は、以前も書きました。
 ある店舗の退職した社員は、そこから接客が変わったと言います。
 お客様を外見で判断し、見込みが薄いと思えば行かない、或いはカウントしない。
 これこそ、本末転倒です。 
 
 営業を科学する上で、正しいデータが無ければ、判断を間違えます。
 判断を間違えると、経営そのものをぐらつかせます。
 海図や磁石やコンパスが狂っていれば、船長は判断を誤り、巨大な豪華客船も座礁してしまうでしょう。
 
 何より、お客様を外見で判断してしまうこと自体、由々しき問題です。
 例え未熟でも、一人ひとりのお客様への全力投球の愚直さと、正確な数字を報告する誠実さだけは失って欲しくありません。 

悪い情報ほど早く

 私は評論家ではなく、実務家です。
 日常では、クレームも有りますし、問題も起こります。
 そこから目を反らすことはできないし、逃げても通れません。
 久々にオーナー様からイエローカードを頂きました。
 
① 物件にあるのぼりが古くなったまま放置されている
② ゴミ置き場の分別ができておらず、ゴミが散乱している
③ 業者が工事をするに当たって、会社に電話したら「判らない」と言われた

 ①②は、今まで何度かご指摘頂いているらしいのですが、残念ながら自分の耳には入っていませんでした。
 ③に関しては、管理会社の一員としての、当事者意識不足・自覚不足としか言いようがないでしょう。
 
 全社員が、総ての物件の詳細に渡って共有できれば理想ですが、そこまで求めるつもりはありません。
 お客様やオーナー様にとって、新入社員かベテラン社員か、担当か否かは無関係です。

 例えばランチに行って注文したのに、一時間経っても届かないとしたら、腹は減るし腹も立つでしょう。
 店員を捕まえて苦情を言ったにも関わらず、「私は担当じゃないので、ちょっと判りません。」と言われたとしたら、腹の虫が収まらないでしょう。
 上司が詫びに来てしかるべきなのに、無しの礫(つぶて)だったとしたら、腸(はらわた)煮えくりかえるでしょう。
 それと同じです。

 会社に電話をかけてきている方は、確実に会社の誰かと接触があり、必要性があって連絡頂いています。
 「申し訳ございません。今判る人間がおりませんので、調べまして折り返しお電話差上げても宜しいでしょうか?」と、丁重に対応すればクレームには成り得ません。
 それともう一つ、重要なキーワードがあります。

 「報告・連絡・相談」

 クレームや不具合に際し、担当者で埒(らち)が明かないと判断した場合、今回の様に飛び越しで上司に直訴する可能性が高まります。
 今回は当初、クレームとは思わずに対処したため、オーナー様から苦言を呈されるまで、世間話に終始していました。
 タイムリーに情報が入っていれば、事前に状況を改善した上で、「この度はご迷惑をおかけして申し訳ありません。」と詫びることができたのです。
 状況は改善されておらず、再発防止も未然防止も未了のまま、謝罪すらしない、実に脳天気な上司と成ってしまった理由は、情報を共有することを軽視し、徹底して来なかった自分自身の管理不足にあります。
 
 「悪い情報ほど早く」
 これは、報・連・相の基本中の基本です。
 処置が早ければ、傷口の浅い内に完治させることができます。
 処置が遅ければ、傷口が化膿して命にも関わり兼ねません。
 このイエローカードがレッドカードに成らない様に、全力を挙げて挽回しましょう。

経営コンサルタント

 経営を計る指標は沢山ありますが、よくよく気をつけないと間違えるのが「率」です。
 例えば、管理会社として重視すべき入居率。
 分子/分母で言えば、入居戸数/管理戸数=入居率です。
 ここに1F賃料55万円テナント、2~5F賃料2.5万円1Rマンション20戸の物件があったとします。

A:入居率95.2% (1F空室 2~5F満室)   
B:入居率04.7% (1F入居 2~5F空室)

 率だけならAの方が良く見えますが、実収入で比較すればA:50万円に対してB:55万円と逆転。
 経営状況は、Bの方が健全なのです。

 確かに入居率は、高ければ高いほど良い訳ですが、入居率の低い物件を引き受けなかったり、切り捨てたりすれば、いとも簡単に上がります。
 本来、分母を増やしつつ分子を高める努力が必要なのに、分母を減らす或いは増やさない方向に走っては本末転倒です。

 本音で言えば、築浅で設備が充実していて賃料が割安で立地が良好・・・そんな物件を専任で扱いたいと思います。
 その様な物件であれば、放っておいても入居者は付きますから、仲介会社の斡旋力も提案力も不要です。
 管理会社の力が求められるのは、その対極にある、なかなか入居付し難い物件への提案でしょう。

【 ハード面の提案 】
① 外壁の吹き付け塗装を実施
② ベランダ設置の洗濯機置き場を室内に移動
③ 和室を洋室に変更
④ バス・トイレ・洗面を分離
⑤ 2DKを1LDKに間取変更
⑥ システムキッチンに入れ替え・・・

 古いものを新しくする、無い設備を付加する、人気のある間取に変更する、こうしたハード面での変更提案は、確かに入居率改善に有効ですが、そこでもオーナー様の立場に立った見極めが大事です。
 多額の費用をかけるからには、どの程度家賃が上げられるか(或いは下げなくて済むか)、かけた費用は何ヶ月で回収できるかという、費用対効果を抜きには語れません。
 
 ざっくり言えば、かける費用は賃料の18ヶ月分まで。
 それ以上費用をかけた場合、たとえ入居率は改善したとしても、経営的には過剰投資に成ります。
 
 我々の使命は、お預かりしたオーナー様の大切な資産であるマンションの、経営そのものを改善すること。
 表面的な数字に惑わされず、その数字の奥に潜む本質を見抜く、経営コンサルタントとしての力を身に付けましょう。   

世界一幸せな国民

 イエローハット創業者:鍵山秀三郎氏は商道だけでなく、日本を美しくする会等への取り組みも含めて生き仏の様な存在です。
 浅野義起さんとの対談本、「会社が光る」の中に、次の発言があります。

【 堺市の衣料品会社に勤め、デパートに派遣されていた女性の話です。
  この女性は、有能であり、才能があるが故に、待遇に対していつも不満を持っていました。
  - 中略 -
  この間、頂いた手紙には次の様なことが書かれていました。
  
  「自分の欲望を、ほんのちょっと小さくしただけで、とても幸せになりました。
  これからは自分の小さな喜びは大きく見立て、大きな苦しみは小さく見立てて生きていこうと思います。」 】

 京都の竜安寺に、有名な「つくばい」があります。
 「つくばい」とは、茶室に入る前に手を清めるため、低い所に置かれた手水鉢のことです。
 手を洗う時に(つくばう=しゃがむ)、その姿勢が語源とされます。
 
 竜安寺の「つくばい」の中心は、「口」という文字が掘られていて、そこに水が溜まる訳です。
 四方には文字が配され、上から時計回りに読んでいくと、「吾唯足知」=「吾唯足るを知る」と成ります。

 昨年、国王夫妻が来日され、一躍脚光を浴びたブータンの平均年収は、僅かに15万円程しかありません。
 国民の80%は農民で、電気の普及率も30%程度です。
 客観的な数値で判断すれば、ブータンは紛れも無く世界の最貧国の一つと言えます。

 でありながら、ワンチュク国王が提唱したGNH(Gross National Happiness) 「国民総幸福量」調査によると、国民の45.1%が「とても幸福」、51.6%が「幸福」と答えたそうです。
 即ち、国民の96.7%が幸せだと感じている訳です。

 世界第三位の、豊かで平和な経済大国日本の幸福感とは、大きな隔たりを感じます。
 足るを知ることがいかに大切か。
 「世界一幸せな国」ではなく、「世界一幸せな国民」なのでしょう。  

てんびんの詩

 先日ご紹介した「てんびんの詩」への反響が思いの外大きく、一方で見たことの無い方もいらっしゃるようですので、初心に帰って掘り下げてみます。
 この作品は、日本映像企画が研修用の教材として発売しており、価格は三枚組で66,000円と高額です。

【 第一部 原点編 
 近江商人の長男大作は、小学校卒業時、父親から祝いの言葉と共に一つの包みを贈られる。
 包みの中には一枚の鍋蓋が入っていた。
 代々受け継がれてきた慣わしとして、跡継ぎとなるためには、その鍋蓋を自力で売ってこなければならない。

 まず大作は、普段優しい叔母さんの家を訪ねたものの、けんもほろろに断られる。
 親の思いを汲み取った叔母は、心を鬼にして大作を受け入れなかったのだ。

 続いて、店に出入りする者の家を回ったが、親の威光を嵩にきた押し売りの様な商売が上手くいく筈も無い。
 さりとて、見知らぬ家を訪ねても、ろくに口さえ聞いて貰えない。
 物乞いを真似て農家の老夫婦を泣き落とそうとするが嘘は見抜かれ、心無い商いは人々の反感を買ってしまう。
 親を恨み、買わない人々を憎む大作の目には、いつしか涙が・・・。

 そんなある日、農家の井戸の洗い場に浮かんでいる鍋をぼんやりと見つめながら、一つの考えが過る。
 「この鍋蓋が無くなったら困るやろな。 困ったら買ってくれるかも・・・。」
 大作は直ちに、己(おのれ)の邪(よこしま)な思いを打ち消した。
 「この鍋蓋も誰かが、自分と同じように難儀して売ったものかもしれん。」
 次の瞬間、大作はその鍋をただ無心に洗い始めた。
 近付く足音に気付きもしない大作。

 家人の女が、大作の姿に驚いて声をかける。
 「お前はどこのもん! 何で、うちの鍋を洗うたりしてる!」
  大作は、思わずその場に手をついた。
 「か、堪忍して下さい。 
  ・・・わし、鍋蓋売ろうと思うても、一つも売れんで・・・。
  汚れた鍋見てたら、急に愛おしくなって・・・。
  わし悪い奴です・・・売れんかったんやない。
  売る気持ちも出来て無かったんです!
  そんな三ヶ月やったんです!」
 
 女は、大作の愚直な思いを知り、遂に鍋蓋を買ってくれる。
 それどころか、近所にも声掛けをしてくれたおかげで、鍋蓋は飛ぶ様に売れていく。
 大作は、売り手と買い手の心が、天秤の様に吊り合わなければモノは売れないことを悟るのであった。 】

 前職では、飛び込み営業配属二週間目に、このビデオを見て貰っていました。
 毎日毎日、ドアコールを続ける中で、足は棒の様になり、行く先々では居留守を使われ、罵声を浴びせられ、心折れそうになるタイミングで大作少年と出会い、自身の姿と重ね合わせ、涙がとめどなく溢れます。
 そして感動のエンディングで商売の本質を悟り、再び希望の一歩を踏み出すことができるのです。
 天秤の様に吊り合う、売り手と買い手の気持ち・・・まさに商売の原点と言えるでしょう。

使命を示す力

 パナソニックの創業者である松下幸之助氏は生前、経営の神様と称されました。
 とはいえ、ただ単に「金儲けの上手い人」ではありません。

 現首相の野田佳彦氏、民主党政調会長の前原誠司氏、前横浜市長の中田広氏等々、日本の未来を託すべきリーダーを多数輩出した松下政経塾の創始者として、人としていかに生きるべきかを広く喧伝した思想家でもあります。
 次に紹介するのは、松下幸之助がかつて、人間の生命について語った文章です。

【 人には各々、異なった生命力が与えられている。
 この生命力は、私達の生命の根底となっている力である。
 それは、「生きようとする力」と、「使命を示す力」(いかに生きるべきか)という二つから成り立っている。
 この生命力は、宇宙根源の力によって、総ての人に与えられている。」

 「生きようとする力」は、寝食は勿論、血を絶やさないために生じる性欲や、怪我をした際の治癒力や、発熱によってウィルスを駆逐しようとする力も含めて、命を永らえ様とする力です。
 先日、バンジージャンプの失敗で、100m超の高さから川に水没し、両足を縛られた状態のまま岸に泳ぎ着いた女性も、生きようとする力が人一倍強かったのでしょう。

 私は過去、姉と父と、身内二人の死に水を取っています。
 父は、結核で肺がボロボロに成り、骨と皮だけの様な痩せ細った状況で危篤に陥りました。
 姉は、末期癌の先刻を受け、愛娘の成長を見届けたいという一心から、精神力だけで二十年生き続けます。

 そこで感じることとして、「心の死」と「肉体の死」は別にある様です。
 先の二人の断末魔は、既に到来している肉体の死と、生き永らえようとして受け入れられない心の死とのギャップがもたらす壮絶な戦いでした。

 この様に、まだ見ぬ死に対する畏(おそ)れも包含して、人は生き続けようとします。
 一方、使命なる言葉は古めかしく、難解なものに感じられますが、読んで字の如く命の使い道です。
 言いかえれば、何故あなたに命が与えられたのかの答えとも言えるでしょう。
 
 人の役に立つ、人から感謝される、世の中のために成る。
 そうした使命が、宇宙根源の力によって総ての人に与えられているというのです。
 ところが、その使命に気付かぬまま、生涯を終えてしまう人の何と多いことか。
 生かされるままに生きるよりも、自らの意思を持っていかに生きるかが大切です。

明日の決意は決意に非ず

 先日、某お客様との会食のため、市内のビジネスホテルに宿泊しました。
 フロントでは、普段は見慣れない高校生が数名、チェックイン中です。
 手続きを終えると、ホテルの方が「キットカット」を配っているのを見て気付きました。
 「きっと勝つと」の合格祈願・・・そう、センター試験のために地方から来た受験生だった訳です。
 「頑張れ!」心の中でエールを贈りました。

 私は、周知の通り中卒(正確には高校中退)で、緊張感のある入試は経験したことはありません。
 ただ、学習の帳尻合わせか、社会人に成ってから、定期的に資格試験に挑戦する機会に恵まれています。

 最もしびれたのは、17年前の宅地建物取引主任者試験です。
 この合格あってこそ、今の自分があることは間違いないでしょう。

 何度も触れている話ですが、合格の二年前、専門学校に通っていたものの、当時の受験要件 ①高卒以上の学歴 or ②実務経験二年以上の何れにも該当しない自分は、その年受験することが叶わず、二年間の禊(みそ)ぎを余儀なくされた訳です。
 三年越しの受験は、文字通り背水の陣でした。  

 さて「さだまさし」の「無縁坂」という古い歌の中に、こういうフレーズがあります。

 「運が良いとか悪いとか、人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると、貴方を見ててそう思う。」

 お言葉を返すようですが、こと資格試験に関して言えば、運は無いと断言します。
 これまで、「緊張して時間が足らなかった」とか「勉強した範囲と違ったところが出たので」とか「あと一点でした」とか「報酬額の計算さえ間違えなければ」といった、たられば言い訳を、山ほど耳にしてきました。
 しかし、皆同じ条件で、同じ人間が、同じ問題に向き合っています。

 理由はただ一つ、「努力が足らなかった」だけでしょう。
 また、落ちた人間は口を揃えて、「これでコツが掴めました」とか「来年は任せて下さい」とか「もう明日から勉強を始めます」てなことをほざきますが、これも一切信用していません。
 ものは試しに、今年宅建受験を予定している社員の方は、このメール返信で今の学習の進捗状況を教えて下さい。

 「明日の決意は決意じゃない!」

 ビデオ「てんびんの唄」で、近江商人の跡取りとして生まれた大作が修行中、母親から浴びせられた言葉です。
 まだ間に合う、今日、今、決意しましょう!

Love is giving

 マザー・テレサが世を去ってから15年が経ちます。
 カトリックの教えをベースに、貧しい人々へ愛を与え続けた生き様は、未だ色褪せません。

 マザーテレサという人を言い表す上で、「愛」は最も相応しい言葉でしょう。
 生前、「愛とは何か?」という質問を受け、彼女はこう答えています。

 「Love is giving. Love is giving.
  愛とは捧げることです 差し出すことです 犠牲です」

 愛=犠牲と言われると、少し違和感を感じますが、具体的な例話で見れば腑に落ちます。

 ある時、養護施設の砂糖が無くなってしまったという話を、両親から聞いたヒンズー教の4歳の男の子が、その晩から小さなビンを用意して、おやつや夕食時の砂糖を少しずつ溜め始める。
 食べたい盛りの男の子が、三日間我慢して、やっとビンは一杯になった。
 男の子から、「皆のために」と小瓶を差し出されたマザー・テレサは痛く感動します。
「この中の砂糖はとても少ないものです。しかし、込められた犠牲はどんなに大きいでしょうか。」

 またマザー・テレサは、「私達の存在は、ろうそくのようでありましょう。」とも語っています。
 
 「真っ暗な部屋の中に、一本のろうそくを持ち込むと、部屋全体が明るくなります。
 テーブルに近付くと、その周辺が明るくなります。
 更に近付くと、温かさが伝わってきます。
 何故なら、ろうそくは自分を燃やして燃やして燃やし続けるから。
 自から小さく小さくなりながら、周りに温かさを伝えることができるのです。」

 何よりマザー・テレサ自身が、87年の生涯を燃やし尽くした、ろうそくと言えるでしょう。

今あるものへの感謝

 先日、障害を持った17歳の少女、ヨウコちゃんの話を綴りましたが、俗に「健常者」と言われる人々は、いわゆる「障害者」を見ると一様に胸締め付けられ、時として過剰な同情心も湧いてくるものです。
 しかし、当事者の思いは、その障害が先天的(生まれつき)か、後天的かによって大きく変わります。

 例えば、同じ盲目であってもそれが先天的なものであれば、生まれつき海の青さも空の広さも見たことが無い訳ですから、「不自由ですね」とか「可哀そうね」という同情は、全く相応しくありません。
 一方、後天的に視力を失ったのであれば、今まで見えたものが見えなくなるという、絶望的な思いに駆られることでしょう。

 野尻千穂子さんという女性は幼少期、とても元気で活発な女性でした。
 小学校6年の運動会の練習の時、走り始めてすぐに、突然、足が動かなくなったのです。
 入院、検査を繰り返しましたが事態は改善せず、一縷(いちる)の望みをかけて手術に踏み切ります。
 しかし、彼女の足は二度と元に戻ることはありませんでした。
 手で触っても、自分のものか他人のものか区別のつかない下半身。
 12歳の少女にとって、とても受け止められる現実ではありません。
 「この体で生きていくのだ」と納得するまで、実に5年の月日を要したそうです。
 
 17歳まで、千穂子さんはオムツが離せません。
 前向きに生きて行く決心をした翌日から、トイレに行く訓練を始めました。
 両足を手で曲げ、左の手で両足首を掴み、右手で這ってトイレに向かいます。
 三日もしない内に、手も足も皮が剥けてしまいました。
 トイレに辿りつくと、オムツを外し、両手でしっかりと膀胱を押さえ、身体を揺すります。
 すると、壊れた水道の蛇口の様に、少しだけ尿が外に出るのです。
 一回のトイレで、30分間かけて、この動作を15~20回繰り返します。
 
 人間にとって排泄は、最も恥ずかしい行為です。
 オムツに垂れ流し、他人に処理を委ねるのは、人間としての尊厳を著しく損ないます。
 障害を持つ人にとって、ここまでしてでも、自力で用を足せることが、この上ない「幸せ」なのです。

 「医学がいかに進んでも、障害者は2%程度の確率で必ず生まれる。
 それは神様から、やさしさを教えるためにプレゼントされた天使である。」

 上を見ても、下を見てもきりがありません。
 無くしたものを嘆くのではなく、今あるものに感謝し、これからできることを増やしていきましょう。

神様に選ばれた少女

 テレビ寺子屋の講師として有名な(財)修養団の中山靖雄先生は、障害者とのキャンプを全国で実施されています。
 ある夏、沖縄で行われたキャンプに、手足の不自由な17歳の少女ヨウコちゃんが、お母さんと共に参加しました。
 七夕祭りをするということになり、参加者に短冊を配ります。
 ヨウコちゃんは自分で願い事を書くことができないので、代筆を申し出ました。

先生  : ヨウコちゃんも何かない? 先生書かせて貰うから。
ヨウコ : 別にないな・・・。
先生  : そんなこと言わずに、皆の七夕祭りにしたいし、何か言ってよ。
ヨウコ : うーん、別にない。

 困った先生は、具体的な例を示した方が言い出し易いだろうと考えました。

先生  : 皆はね、「空を飛んでもう一度沖縄に来れたら良いな」とか、夢みたいなことを書いてるんだから、ヨウコちゃんも「歩けるようになりたい」とか、何でもいいから言ってみてよ。
ヨウコ : (暫く目を閉じて考えた後)先生、やっぱりないわ。

 その瞬間、先生はハッとしました。
 幾ら願っても、ヨウコちゃんは歩くことが叶わない。
 であるにも関わらず、何と配慮の無いことを言ってしまったのか。

先生  : ヨウコちゃん。ごめんね、失礼なこと言っちゃって。
ヨウコ : いいのよ。気にしないで。
先生  : 本当に、本当にごめんなさい。
ヨウコ : いいから先生心配しないで。 そんなに気に病むんだったら、夕方までに願い事を考えておくから。

 夕方になると、短冊を飾り付けるため、皆外へ出てきました。
 先生は、ヨウコちゃんの車椅子を押して会場に向かいます。

ヨウコ : 願い事、どんなことでも書いてくれるかな・・・。
先生  : ああ、どんなことでも書かせて貰うよ。

 そこで耳にしたヨウコちゃんの言葉は、まったく予想だにしない願い事でした。

 【 私を、お母さんより一日だけ早く死なせて下さい 】

 その言葉は、刹那的にも聞こえます。
 しかし、17歳の少女にとって、母親が先に死んだら「誰が車椅子を押してくれるんだろう」「誰がおしめを取り代えてくれるんだろう」その思いこそが、最も大きな不安の種でした。
 だから、母親より一日だけでも早く死にたい、と思ったのです。

 また、自分という不自由な子供が生まれてから、片時も気の休まることの無かった母親に、平穏な一日をプレゼントしたいという、彼女ならではの思いやりだったのかもしれません。  
 やがて、母親も出てきました。
 
母親  : 先生、ヨウコはどんな願い事を書いて貰ったんですか?
先生  : あの笹に飾ってあるから、探してごらんなさい

 母親は、笹飾りの中からヨウコちゃんの短冊を見つけ、願い事を読んでその場に立ちつくします。
 そして再び先生の元に戻り、「私も書いて良いですか?」と短冊を手にしました。
 
 【 もし神様がいらっしゃるのなら、
   贅沢かもしれませんが、娘より一日だけ長生きさせて下さい 】
 
 キャンプを終え、沖縄を後にする時、ヨウコちゃんは先生にこう言ったそうです。

ヨウコ : 私の身体が不自由なのは、私ならきっと苦しみに耐えられるからって神様に選ばれたからなのね。

 日常を生きる上で、あれこれ不平不満を感じたり、不遇を嘆いたりする自分を恥じると共に、真の幸せとは何かを、改めて考えさせられるエピソードです。

※ みほり文庫 第十集 「広やかな心」より

三つの鏡を持ちましょう

 昨日の店長会を兼ねたパワーモーニングの席で、土屋会長(土屋ホーム)直伝の話をしました。
 部門経営者であるからには、三つの鏡(顕微鏡・双眼鏡・望遠鏡)を持つ必要があります。

1.顕微鏡(足元の精細な情報分析)
Ex 先月の結果が芳しくなかったのは、売上が足らなかったのか、経費を使い過ぎたのか
 最も大きなウェートの経費は、販売促進費か、広告宣伝費か
 今月の反響は何件で、反響一件当たりのコストは幾らか
 どの媒体の費用対効果が最も高いのか。

2.双眼鏡(広域かつ中期的未来の観測)
Ex 先月、自店の結果は良かったけれど、我が社の他店と比べてどうか
 同じエリアの、同業他社の動きはどうか
 全国のエイブルの、ネットワーク店の数字はどうか
 全国的な同業者のトレンドはどうか 
 この数字を踏まえた上で、今期の着地見込みはどうか

3.望遠鏡(長期的未来の観測)
Ex 今期の見込みは、可も無く不可も無くだが、来年以降はどうか
 次なる店舗は、どのエリアに展開すべきか
 今居る社員の中で、誰を店長候補とすべきか
 新規事業として、新しい業態への展開はどうするか

 店長が、一般社員と一緒になって、実際に目に映る目先の仕事だけに追われていたのではいけません。
 時に顕微鏡を用いて現状を仔細に分析することも、時に双眼鏡を用いて高所から俯瞰することも、時に望遠鏡を用いて遠い未来を透かし見ることも必要です。
 三つの鏡を持ちましょう。

行く先を失ったバス:後篇

 女性B(21歳)が反論。
 「皆、この旅行を楽しみにしてきたのに。ここでは判らないから、取り敢えず現地まで行ってみよ・・・」

 話の途中で男性C(45歳)が遮る。
 「地震の被災地に向かって行くなんて、そんな馬鹿どこにいる!」

 同調するかの様に、男性D(29歳)も口を開いた。
 「その通り!関東へ行くのはリスキーだ。提案だが、ユニバーサル・スタジオに変更しては?」

 それを受けて、子連れの女性E(38歳)が不満を漏らす。
 「えぇっ! USJは先月行ったばかりなのよ。 どうせならナガシマ・スパーランドに・・・」

 苛立ちを抑え切れない様子で、初老の男性F(67歳)が声を荒げた。
 「君達!被災した人達が苦しんでいるというのに、遊んでいる場合じゃないだろう!」

 この正論で皆我にかえり、水を打った様な静けさが訪れた。
 やり取りを覚めた様子で見守っていた男性G(32歳)が、独り言の様に囁く。
 「皆が喪に服したら、TDLだけじゃなく、USJもスパーランドも潰れちまうよ。それこそ日本沈没だ。」

 発言は途絶え、進むことも戻ることも叶わず、バスはその場に立ち往生するしかなかった。  完 

 少し引っ張り過ぎてしまいましたが、このショートショート読了後、前編の「だれをバスに乗せるべきか」を読み返せば、大きな違いに気付く筈です。
 続けて本文から引用します。

【 人々がバスに乗ったのは、目的地が気にいったからであれば、十キロ程走ったところで行き先を変えなければならなくなった時、どうするだろうか? 当然、問題が起こる。
 だが、人々がバスに乗ったのは同乗者が気に入ったからであれば、行き先を変えるのははるかに簡単だ。 】  

 ヴィジョンや目標を示すのは、経営者の大切な使命の一つです。
 しかし、短期中期に掲げた目標に向かって行く過程では一丸と成って取り組んだとしても、達成した途端、目標の喪失感によって次が目指せなくなる、バーンアウト(燃え尽き症候群)も珍しくありません。
 
 目的地への到達以上に重要なのは、いかなる環境変化に苛(さいな)まれたとしても、同乗者の人生観や価値観にブレが生じることなく、一致団結できる企業風土なのでしょう。
 私自身、これまで沢山の会社を見てきましたが、北九州の八幡西区にお手本となる会社が存在します。

行き先を失ったバス:前篇

 卵が先か、鶏が先か・・・これに類似した比較対象は社内にもあります。
 
 例えば、管理が先か、斡旋が先か、という事例。
 経営の安定を考えれば、水ものの仲介よりも管理に重きを置く必要があります。
 但し、斡旋力が伴わないとオーナー様の期待に応えられません。
 管理物件を持つことで、それを埋めるための自助努力が働き、提案力・営業力は向上します。
 一方、他社以上に空室を埋められる斡旋力があれば、管理取得は容易でしょう。
 管理増大が先か、斡旋力の強化が先か、これは永遠のテーマです。
 
 さて、復活マイブームで読み返している「ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則」に、興味深い表現があります。
 
第三章 「だれをバスに乗せるか」
【 このバスでどこに行くべきかは分からない。
 しかし、分かっていることもある。
 適切な人がバスに乗り、適切な人がそれぞれ相応しい席につき、不適切な人がバスから降りれば、素晴らしい場所に行く方法を決められるはずだ。 】 

 通常、旅行に行く時には、「ディズニーランドへ行こう!」と、まず行き先を決めます。
 次に、行きたい人を募り、バスをチャーターするでしょう。
 しかし、好不況の波を乗り越え、グッドからグレートへの飛躍を果たしたビジョナリーな企業の場合、まったく考え方が逆だというのです。
 「どこに行くべきか」よりも「だれを乗せるか」にこだわる理由は、三つ挙げられています。

1. 環境の変化に対応し易い
2. やる気を引き出す動機付けや、怠けさせないための管理が不要
3. 偉大な人材が揃ってなければ、偉大なビジョンは意味を成さない

 この集約された三行エッセンスを、田舎劇団のシナリオライターらしく、もう少し噛み砕いてみましょう。
 
ショートショート「行き先を失ったバス」  作:甲斐田爽搾
 H23.3.11 
 東京ディズニーランド行きのバスは松山を発車した。
 賛同者だけの集う車内のベクトルは合致し、道中の雰囲気も上々。
 ところが、大阪を抜けるあたりで、東日本大震災発生の一報が入る。
 液状化の影響を受け、東京DLもクローズするらしい。
 これまで和気藹々としていた車内は、この瞬間から凍りつく。

 重い沈黙を打ち破る様に、女性A(33歳)が声を上げた。
 「・・・諦めるしか無いよね。 引き返そう。」                つづく

J&J社の我が信条:後篇

 そうした批判を踏まえ、敢えて株主を最後に据えているのは、目的と手段の違いです。
 株式投資を単なるマネーゲームとして捉え、高値で売り抜けたいあまり、短期的な収益向上のみを要求する輩(やから)は論外として、長期保有を前提とした株主に報いるには、長期的に企業の価値を上げ続けることが求められます。

 そのため、社会から必要とされると共に、立派な経営陣の元、従業員がやり甲斐を感じ、結果としてお客様に満足して頂くべきなのです。
 「我が信条」の原文を、「ビジョナリーカンパニー」から引用します。

【 第五に、我々の株主に対して責任を負う。
 事業は健全な利益を生まなければならない。
 留保(内部)を蓄えなければならず、研究を続けなければならず、野心的な計画を進め、失敗は償わなければならない。
 逆境の時に備えなければならず、適切な税金を支払い、新しい機材を購入し、新しい工場を建設し、新しい販売計画を策定しなければならない。
 新しいアイディアを実験しなければならない。
 これらのことが行われていれば、株主は適切な利益を得るはずである。
 神の御加護のもと、われわれの力の及ぶかぎり、これらの責務を果たすことを、ここに決意する。】

 大半の企業は、素晴らしい社訓・経営理念・経営方針を持っているものです。
 ところが、その多くは、社長室の額の中に納まっているだけ、朝礼や式典で唱和されるだけで、単なるお題目に留まっています。
 
 1980年代初め、J&J社のCEOを務めたジム・パーク氏は、経営者としての時間の優に40%を、この「我が信条」の組織への浸透に費やしたそうです。

 我々が見習うべき、J&J社の真の偉大さはここにあります。
 手段と目的を取り違わぬ様、理念の真意を噛み締めながら唱和下さい。

J&J社の我が信条:前篇

 世界的企業ジョンソン&ジョンソン社には、世界的に知られた「我が信条」が存在します。

 第一に、お客様に対して 責任を負う
 第二に、従業員に対して 責任を負う
 第三に、経営陣に対して 責任を負う
 第四に、地域社会に対して責任を負う
 第五に、株主に対して  責任を負う

 この順番は優先順位を示しています。
 即ち、お客様無しに、成長も繁栄も増収も増益も昇給も昇進も実現しないのだから、最も大切なのはお客様であり、次に大切なのが共に働く人々であるという序列を、明確に位置付けています。
 
 第三に掲げた責任は、経営陣優遇を示すものではありません。。
 自己保身から会社の損失隠しに奔走したO社の幹部、百億円もの公金をカジノに注ぎ込んだD社のトップ。
 こうした悪しき人材を幹部登用しないことを世間に約束する、言わば任命責任への言及です。

 続いて、企業メセナ・スポーツ振興・ボランティアに象徴される地域社会への責任が挙げられます。 
 ここは一番誤解され易いところですが、企業の社会的責任の第一義は雇用と納税と法令遵守です。
 企業が利益を上げれば、当然に法人税が納められます。
 企業が成長すれば雇用が拡大し、従業員の所得税も増大します。
 その税金によって、道路や公園や橋や街灯が整備され、社会保障制度が維持・拡充できるのです。
 一方、詐欺や談合等の反社会的な手段によって蔓延る企業も後を絶ちません。
 コンプライアンスは、総てに優先します。

 第五の責任は、議論が分かれるところです。
 株式会社の原理原則からすると、紛れも無く会社は株主のものであり、株主の意に沿う経営が求められます。
 従って、「本来ファーストプライオリティは株主だ」、という反論もあながち間違いでは無いのです。 つづく

農耕型営業のプロセス管理

 仕事初めの昨日、店舗を巡回して、各店長と月間目標の擦り合わせを行いました。

 ×「先月の数字は何という体たらくだ! 今月こそはやってくれよ!」
 ◎「先月の数字は素晴らしかったねえ♪ 今月も続けて頼んだよ♪」

 分析無き叱責と称賛。 裏付け無き期待と檄。 
 こうした結果管理で業績が上向くなら、管理者は要りません。

 一発逆転、マンモス狙いの狩猟型営業は、好不調の波が歴然としています。
 対して種蒔→培養→収穫という段階を、プロセスで管理する農耕型営業は安定感抜群です。

 それでも、目の前の収穫ばかりに注力していると、いつか果実を取り尽くし、途方に暮れてしまいます。
 懸命に種蒔したとしても、培養を怠ると実は成りません。
 愚直に培養したとしても、たわわに実った果実の収穫を怠ると、知らぬ間に鳥の餌食です。
 
 先月が不調でも今月、収穫すべき果実が豊作ならば、見通しは明るい。
 先月が好調でも今月、収穫し尽くした農場であれば、見通しは暗い。
 先月も今月も不調であればこれは考えものですが、もっとまずいのは、収穫すべき果実もない、培養すべき苗も無い、種を蒔いて無い、蒔くべき種も仕入れて無いという、無い無い尽くしの状態です。
 
 桃の種を植えておいて、「何故スイカが成らないのか?」と嘆くのは滑稽ですし、種を蒔かずして「何故芽が出ない!」と憤るのも甚だ理不尽です。 
 ところがビジネスでは、こうした稚拙な計画も珍しくありません。

 「スイカを収穫したいという意気込みは判るが、貴方の植えた種は桃じゃないの?」
 「種を蒔いてないんだから、芽は出ないし、実もつかないでしょう?」

 中村天風曰く、蒔いた種の通り花は咲きます。

絶景を眺めるための基礎

 我が社は本日より仕事始めです。

 管理数・集客力・成約率のバランスに長け、更なる飛躍の求められる「大洲駅前店」
 勢いのある新メンバーを加え、真価の問われる二年目の「松山北店」
 この道十年のベテラン店長を迎え、地域一番店へ向け期待の集まる「松山久米店」
 昨年後半より、店舗のポテンシャルを存分に発揮し始めた「松山南店」

 各々、店長を中心として、虎視眈々と繁忙期を迎え撃つ覚悟が備わっていることと思います。
 いわずもがな我が社は中小企業です。
 世界のSONYもHONDAも、草創期には中小企業であったわけですが、中小企業の社員に、「自社を誇りに思え」と要求すること自体無理があるでしょう。
 私自身、この拙文を通じて日々、高邁な思想や理念を説いておりますが、社員の皆さんの本音とすれば、「そんな理屈よりも給与や賞与が大事」なのだと思います。

 皆さんの希望を叶えるのは、実に簡単です。
 会社・店舗・個人の目標達成・・・そのことに尽きます。
 全ての目標が達成されれば、その数字に相応しい昇給も賞与も確約され、雇用の不安など無用の長物です。

 逆にその部分を都合良く棚に上げていたのでは、将来の展望を語ることも、薄給を嘆くことも、全く意味を成しません。
 一方で、この拙文で繰り返し訴えているのは、目標達成に不可欠なファクターです。

 人脈は財産、信用の積み重ね、感謝を忘れない、ポジティヴシンキング、優先順位の見極め、プロとしての心構え・・・。

 これらは全て、会社・社員に求められる大切な基盤です。
 今年公開される東京スカイツリーの高さが、「むさし」=634mである事は良く知られています。
 そしてその基礎は、地下35mに達するそうです。
 絶景を見たくば、強固な基礎を築く必要があります。

 年末年始も休むことなく、メッセージを配信し続けてきました。
 社員の方々は、休暇中のメッセージに改めて目を通して頂いた上で、年始の心構えを返信下さい。

何でもないことへの感謝

 年末年始の休暇は、あっという間です。

 30日は、恒例の大掃除とフローリング床のワックス掛け。
 大晦日は、次男と共に墓参りを済ませた後、進学した長男の住む広島へ。
 13:00に出発して、広島に着く頃は日暮れが近付いていました。
 
 狭い1ルームマンション寛いでいると、長男がバイトから帰宅。
 近くのスーパーで買ったステーキをミニコンロで焼き、親子三人で紅白を観ながら過ごします。
 ゆく年くる年を前に天麩羅そばを食し、恙(つつが)無い年越しです。
 
 翌元旦、早朝がらがらの山陽自動車道は好天に恵まれ、山々の間から御来光を仰ぎ見ることができました。
 尾道インターで降りて、ジョイフルでモーニング。
 その後、しまなみ海道を南進して大三島。
 
 義兄の元を訪ね、亡き姉の遺影に手を合わせます。
 その後、母の経営する店へ行き、息子達とカラオケ三昧。

 夕方には内子へ帰着しましたが、往復500㎞の長距離運転が祟ってか、体調が思わしくありません。
 元旦の夕方から三日の朝まで、「マルモの掟」をちら見しつつ寝正月です。
 三日の朝は、長男を観光港へ送り届け、帰りに松山南店に寄って、今年の仕事初めとしました。
  
 天候にも恵まれ、実に穏やかで和やかな三が日です。
 「何でもないようなことが、幸せだったと思う・・・」
 そう3.11に思いを馳せれば、こんな何でもない、いつも通りの情景も、決して当たり前ではありません。
 仕事に家族に健康に恵まれていることに感謝しつつ、今年課せられたミッションに向かって邁進したいと思います。
 
 
 

デレゲーション:後篇

 二種類のデレゲーション(人に仕事を任せること)の違いは歴然としています。

1.「使い走りのデレゲーション」
 管理者(店長・社長)からの具体的な指示命令に従い、言われた通りに仕事を行うこと
 
2.「完全なデレゲーション」
 管理者からは、狙い・目的を告げられるだけで、進め方は自分の裁量によって行うこと 

 前者は、管理者のロボットです。
 製造業のライン等の仕事であれば、それも頷けます。
 しかし、営業や企画といった、創造的な仕事には不向きです。

 さて、前者よりも後者の方が、仕事自体も楽しく、達成感や充実感に満ちているであろうことは、想像に難くありません。
 でありながら、現場では前者が支配的です。
 そして、その多くは上司に起因しています。 

 理由の一つは、前者よりも後者の方が面倒臭いからです。
 一見、狙いを指し示しただけで、後は自由裁量に委ねる後者の方が簡便に見えます。
 いちいち、細かな指示まで落とし込む前者の方が、大変そうにも感じるでしょう。
 
 いざ現場に立てば、自分のやってきたやり方をそのまま指示し、その通りにやらせることは簡単です。
 一方、裁量に委ねて進める後者は、任せっきりと言う訳にもいかず、途中で進捗の確認を行ったり、アドバイスをしたり、サポートしたりと、完了を見届けるまで煩わしい作業が付きまといます。

【 ある女の子がマクドナルドでハンバーガーを購入した。
 レジ前の女性のクルーは、愛想良く笑顔で接してくれる。
 店を出る時、車の窓からクルーの姿が見えて、目が合ったので大きく手を振った。
 ところが、優しかった筈のクルーは、笑顔を浮かべるでもなく女の子を無視する。
 次の瞬間、レジ前のお客様に向け、満面の笑顔で応対した。 】

 「レジ前のお客様からオーダーを受ける際には、笑顔で接すること」
 それはマニュアルに明記しています。
 「車窓から手を振るお客様に、笑顔でお応えすること」
 これはマニュアルにありません。
 
 これは、マニュアルの限界を示す有名なエピソードです。
 この様に、使い走りのデレゲーションには限界があります。
 サービスを突き詰め、個々の人間力を最大限引き出すために、管理者は完全なデレゲーションを目指すべきなのです。

デレゲーション:前篇

 我が社は29日が仕事納めでした。
 大掃除を終えて、しめ飾りを準備して、「今年一年御苦労さまでした」「良いお年を」・・・。
 さて、本当に思い残すことなく、仕事を納められた人はどれだけ居たでしょう。

 「1月から12月まで、契約ゼロの赤字社員であったとしても、大晦日の除夜の鐘が聞こえる頃、一億円の物件を売り買い両直で仲介できれば目標達成できる!」

 不動産業の可能性を、具体的に示した事例です。
 以下は、理不尽たることを百も承知の上でお話しします。
 目標は達成するためにあるものです。
 月末まで48時間を余した状態で、未達のまま仕事を納めるのは、可能性を放棄したとも言えます。 

 数字は正直です。
 年が改まろうとも、年の数だけ餅を食おうとも改善しません。
 
 スティーブンRコヴィーの名著「七つの習慣」の中で、目標を達成するための、二つあって、二つしかない方法が紹介されています。

【 私達が目標を達成するには、二つの方法しかない。
 時間を投入して自分で実行するか、ほかの人に任せるかのどちらかである。
 ほかの人に仕事を任せることをデレゲーションという。
 自分で時間を投入する場合は「能率」を考え、人に任せる場合は「効果」を考えるべきである。 】

 「自分」は店長・社長・管理職、「他人」は部下です。
 ここでは判り易く、店舗を例に挙げてみましょう。

 賃貸仲介売上が伸び悩んでいる時、目標必達のために店長自らが数字を作るのは当然です。
 売買仲介であったり、テナント仲介であったり、一発逆転の大きな数字の見込める手持ちの情報を並べ、成就する確率が最も高く、勝負の早い案件から着手するに違いありません。
 「能率」が重視される所以(ゆえん)です。

 人に仕事を任せる・・・デレゲーションには二種類あります。  つづく
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・尊敬する人 
稲盛和夫 西川広一 松下幸之助

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン
・趣味
 劇団AUGAHANCE初代代表
 主に脚本・演出を担当

・経歴 
 中卒後、大工・石工と職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業

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