喉元過ぎてもまだ熱い

 我が社の社員の皆さまへ。
 いよいよ2011年も、今日で最後。
 紅白歌合戦を見て、除夜の鐘を聞き、年越し蕎麦を食べ、平穏な年越しと成れば幸いです。

 思い返せば今年ほど、日本にとって変革の年は無かったかもしれません。
 何といっても3.11。
 東北・東日本を襲った大地震・大津波は衝撃的でした。
 CGのパニック映画を見るかような、我が目を疑う映像がリアルに突きつけられます。
 
 そこから暫くの間、メディアは震災報道一色に埋め尽くされました。 
 経済よりも道徳が、成長よりも安全が、競争よりも絆が、得よりも徳が・・・原点回帰のパラダイムシフトが成されたのも、災害がきっかけです。
 
 同じ日本人として、同じ人間として、痛みを分かち合い、東日本の分まで我々が、死に物狂いで頑張ろう!
 当時は、皆心に誓った筈です。

 年の瀬を迎え、どれだけの人が、その時と同じ、怯(ひる)まぬ覚悟を有しているでしょうか?
 悲しいかな、私も含め殆どの人達が、喉元過ぎれば熱さを忘れています。

 日本経済の、いや世界経済の、殊にここ数十年先進国と呼ばれてきた豊かな国々の凋落は顕著です。
 明るい日射しは全く見えてきません。
 その荒れに荒れた暗黒の大海原を、小さな舟で越えて行く困難さを自覚して下さい。

 以前の会社では、船底に穴が開いて水が侵入してくることも、氷山に激突して操舵不能になることも、大しけの海原で木の葉の様に翻弄されることも、波状的に経験してきました。
 そうなってからの危機感は、悲壮感でしかありません。
 未だ終息の見えない福島原発同様に、後手の対策は意味を成さないのです。

 何とか間に合う今だからこそ、大晦日に相応しくない危機感を訴えて締めと致します。
 年が明ければ明るい未来が訪れるのではなく、我々自身が自らの手で明るい未来を引き寄せるのです。
 今年一年、御苦労さまでした。
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できる範囲の小さな善行

 29日の仕事納めの日、年明け早々に予定されている決済準備に追われていました。
 時計店を営まれている売主との最終打ち合わせのため、中央商店街に出かけます。
 そこで、五十年の人生の中で、初めての体験をしました。 成分献血です。

 通常は、200mlないし400mlの血液を抜いて、総てを献血します。
 成分献血は、血小板や血漿といった特定の成分だけを採血し、回復に時間のかかる赤血球は再び体内に戻す方法です。
 通常のスパンは男性12週、女性16週後ですが、成分採血は身体への負担も軽いため、2週後には可能になります。
 前職時代、M本さんという鉄人が100回を超える献血回数を誇ったのも、成分献血だからこそでしょう。

 献血ルームの近くを通りがかった際に、献血カードの裏面に記載された次回可能日が到来しておらず、残念な思いをしたことが何度もあります。
 そこで、次回からは成分献血に切り替えようと思い、年内に実行に移すのが小さな目標でした。

【 献血ルームはこんな空間 】
 1. ロビーに用意された、多彩なジャンルの雑誌が読み放題!
 2. 飲み物は、ホットもアイスも飲み放題!
 3. お菓子もキャンディーも食べ放題!
 4. 献血中は、CATVで好きなチャンネルを楽しめる!
 5. 指定駐車場なら、無料駐車券進呈!
 6. 献血後は、ペットボトルの水分補給ドリンク進呈!
 7. ラブステ(LOVEステッカー)石川遼ヴァージョン進呈!
 8. 年末年始、予約して成分献血された方には干支ストラップ進呈!
 9. 血液の成分値による、簡単な健康診断も可能!
10. 平日の午前中の成分献血実施者には、モーニング軽食サービス!
11. 献血実施者には、選択制でお好きな商品進呈
  ① 超熟食パン一斤
  ② お米1㎏
  ③ カップラーメン2個
 
 ちょっと、引いてしまうくらい至れり尽くせりです。
 大盤振る舞いの是非はともかくとして、そこに集うのは皆、「人に役立ちたい」という共通の志を抱いている方達であり、実に爽快で心地よい時間が流れています。
 例え偽善であっても、しないよりは行動した方が、僅かでも世の中のためです。
 自分ができる範囲の小さな善行を、これからも少しずつ積み上げていきたいと思います。

ゴールデンサイレンス:後篇

 この話は繰り返し伝えてきたエピソードなので、かつての部下の方は、またかと思われるかもしれません。
 
 分譲マンションのプレイングマネージャーとして、油の乗り切った(今は抜け切った)頃の話です。
 単身女性のお客様との商談を進めている内に、「この方は買って頂けるな」という予感がしました。
 
 「お伝えすべきことはすべてお話ししました。 どうぞご決断下さい。」

 不遜な程に余裕しゃくしゃくのクロージングに移ります。
 ここから、定番のゴールデンサイレンスが訪れ、やがてシナリオ通りにお客様の方から静寂が破られます。 

 「・・・申し込みます。」
 内心、鮮やかな営業展開を自画自賛しつつ、申込手続きを説明しました。

 時は流れて、本契約の日を迎えます。
 お客様の気持ちはとても移ろい易いもので、下駄を履く(契約を終える)までは判らないものです。
 過去、契約当日のキャンセルは何件もありました。
 契約後であっても、手付流しのキャンセルですら少なくありません。

 しかし、勢いと自信に満ちた営業マンにとっては無用の心配です。
 お約束通りに来社頂いたお客様に対し、スムーズに重要事項と契約書内容を説明し、いよいよ押印の時を迎えました。
 印鑑を手にしたお客様に一声かけます。

 「考え直すのなら、今ですよ」

 勿論、そうならないと確信するからこその声掛けです。
 無事、署名・捺印を終え、手付金を受領し、契約後の和やかな談笑に移ります。
 当時、契約後に必ず聞く質問がありました。

 「購入は、どのタイミングで決められましたか?」

 何が決め手であったか、生の声を聞くことは、以降の営業に大いに参考に成ります。
 ところが、お客様の言葉は、驚くほど意外なものだったのです。

 「今も迷っています・・・。」

 予期せぬ答えに再び訪れる、ゴールデンサイレンス。
 契約を終え、手付を払った、今も迷っている・・・。
 かくもお客様の気持ちは、揺れ動く危ういものなのです。

 であるにも関わらず、サインの直前で「考え直すなら今」という言葉を投げかけた、自分の愚かさを思い知ると共に、背中に走る戦慄を禁じ得ませんでした。
 この時をきっかけとして、「営業に絶対は無い」という真理を悟ったのです。

ゴールデンサイレンス:前篇

 営業の皆さまは、「ゴールデンサイレンス」なる言葉をご存じですか?
 この言葉を知らずして営業するのは、バットを逆さまに持って打席に入るようなものです。

 商談のクライマックス、要望も提案も出尽くした後、営業マンからのクロージングトークを受け、お客様が腕を組み、そっと目を閉じ訪れる、長い長い沈黙の時間。

 この、張り詰めたひと時が「ゴールデンサイレンス」です。
 稚拙な営業マンは、この沈黙が耐えられません。
 悪い結論が出ることを恐れ、ついつい言葉を発し、禁断の沈黙を破ってしまいます。
 「べ、べつに、今結論を出す必要はありません。 ご自宅に帰られてから、じっくりご家族と相談されて・・・」
 これこそ愚の骨頂です。

 営業は、場数を踏みますと、目の前のお客様が決まるか否か、かなりの確率で判別できます。
 お客様ではなく、営業マン自身がイニシアチブを握って、商談を進められる様になれば、営業が一層楽しくなる筈です。

 余談ですが、こんな話を聞いたことはありませんか。
 「ウルトラマンは何故、最初から必殺技のスペシウム光線をぶっ放さないのか?」
 「水戸黄門は何故、最初から印籠を取り出してハハーッとさせないのか?」
 トンチならば、「30分(60分)番組が成立しないから」なのでしょうが、真実は違います。

 ウルトラマンの場合、チョップやキックで、怪獣の奴をある程度痛めつけ、ダメージを与えた上で無いと、必殺が必殺に成らないのです。
 時として、その頃合いの仕上がりまでに手間取ってしまい、少々拙速かとは思いつつも、カラータイマーの赤色が点滅し始め、「こりゃいかん」と焦って放つ、見切り発射のスペシウムもあったりします。
 結果オーライで怪獣が倒れた時の、ほっとした表情だけは見逃しません。

 水戸黄門は、助さんや格さんや弥七が、ある程度雑魚(ザコ)共を退治しておかないと、多勢に無勢で反撃に遭う恐れがあるからです。 
 「あの印籠は偽物よ。 こんな所に黄門様が居られよう筈がない。 ええい、狼藉(ろうぜき)者はアヤツらじゃ。 斬れ斬れっ、斬り捨ててしまえ!」
 ・・・とまあ、こうなることを恐れて、外堀からジワリと埋めていき、ここぞという絶妙なタイミングで、うやうやしく印籠をかざします。
 
 かなり強引なブリッジながら、営業も同じです。
 ゴールデンサイレンスへと誘(いざな)うクロージングは、ピンポイントのタイミングが確実に存在します。 つづく 
 

愛の対義語は無視すること

 先日、某和食店に予約を入れた時の話です。
 落ち着いて話のできる個室空間が贅沢な割りに、ランチはリーズナブルな設定ですので時折使っています。
 以前は、「いつもご予約ありがとうございます」と顔を覚えて頂く等、接客も優れた印象でしたが・・・。

担当 : はい、お電話ありがとうございます。 ○○○の△△でございます。
松岡 : 松岡と申します。 明日の昼の予約宜しいですか?
担当 : はい。 お名前を頂戴して宜しいですか?
松岡 : 松岡です。 明日の12:00で二名お願いします。
担当 : 松岡様ですね。 何日のご予約でしょうか?
松岡 : ・・・明日です。
担当 : 明日ですね。かしこまりました。お時間の方は・・・
松岡 : 12:00です!
担当 : かしこまりました。明日12:00ですね。何名様でしょうか?
松岡 : だから二名って、何度言ったら判るんですか!

 恐らく、初心者のアルバイトか何かでしょう。
 元々、温厚な人種ではありませんが、年と共に随分丸くなったと自負しています。
 久々に、大人げ無く、無意識に、少々、声を荒げてしまいました。
 沸点まで僅か1分足らず。

 ここまで短時間で、相手を怒らせた秘訣は何でしょうか?
 そう、言葉は丁寧なのに、人の話を聞いてないからです。
 人の話を聞いてないということは、相手の存在を認めていないということ。
 事実、自分の怒りは受話器を通して伝わった筈ですが、謝罪らしい謝罪もありません。

 「愛の対義語は戦争でも諍いでもなく、相手の存在を無視することである」 マザー・テレサ
 
 この電話の翌日、少しだけ期待して、そのお店に足を運びます。
 「昨日のお電話では、誠に申し訳ありませんでした。」
 その淡い期待もきっちり外して、何事も無く食事の時間は終了しました。

 我々の商売は、聞き取りが命です。
 駐車場は必要か、エリアはどの辺りか、ペットは飼っていないか、間取りは、家賃は、お勤め先は・・・。
 短時間でお客様のニーズを把握した上で、最良の提案を導く必要があります。

 先述の落語の様なやり取りを、他人事と笑っていてはいけません。
 意思疎通できないと見切ってしまったお客様の殆どは、あなたにその事実を教えてはくれないからです。

カリスマ不要論

 先日、拙文をご愛読頂いている社長とのやり取りの中で、「カリスマと人材育成の両立は可能か?」というテーマが投げかけられ、口幅ったくも「その答えはビジョナリー・カンパニーに在り」とお答えしました。
 大前提となるのは、「時を告げるのではなく時計を作る」という考え方です。

 遥か古代の昔、時を告げる能力を持った長老が居ました。
 「6:00だ、起きろ!」の声で、皆一斉に床を抜け出し、
 「12:00 昼にしよう!」の声掛けで昼食を摂り、
 「21:00 そろそろ休もう」の合図で一斉に就寝する。
 人々は、長老のお陰で常に、規則正しい生活を送ることができます。
 ところがある日、長老は病に臥せり、急逝してしまいました。
 残された村人は、もはや時を知る術も無く、ただ途方に暮れるのです・・・。
 
 この長老を、旅館の花板、クラブの№1ホステス、営業会社のトップセールスに置き換えれば判るでしょう。
 売上と利益をもたらすカリスマは、間違い無く会社に貢献しています。
 一方、活躍すればするほど、依存度が高まれば高まるほど、退職・入院・独立等で抜けた際の影響は大きく、穴埋めが難しくなる筈です。
 時としてそれは、会社の屋台骨をも、ぐらつかせることがあります。

 一部の優秀な営業マンや、辣腕経営者の力だけに頼るのではなく、社員個々の能力が育まれるための仕組みや仕掛けや教育といった風土・・・それがいわゆる時計です。
 蛇足ですが、「ビジョナリー・カンパニー」では、カリスマ経営者そのものを否定している訳ではありません。
 
【カリスマ的指導者であれば、それはそれで良い。
 しかしそうでなくても問題はない。
 3M、P&G、ソニー、ボーイング、HP、メルクのような企業を築いた人々の仲間だといえるのだから。】
 
 中小企業の経営者にとって、勇気凛々の至言です。 

十年後に向けた十年目の決意

 先日、かつての部下であるT氏と会食する機会がありました。
 誠実で、信用も仕事もできる男です。
 和やかな会食の席で、一つの質問を受けました。
 
 「社長が40歳の時には、どういう気持ちで仕事に臨んでいましたか?」

 彼との年齢差は丁度10歳。
 来るべき年に彼は40歳、私は50歳の節目を迎えます。

 思い返せば今から10年前は、前職の会社で執行役員を拝命した頃です。
 「日本の住宅は高すぎる」をキャッチフレーズに、2LDK70㎡980万円の分譲マンション「サントノーレ高松西」を開発し、A工務店、A興産のお膝元に殴り込みをかけました。
 
 市内の分譲マンションの平均価格が3000万円超の時代です。
 「みどりの窓口にあるようなポールとチェーン、それとモデルルーム入場のための整理券を用意しておく様に。」
 OPEN準備中の指示を部下は冗談だと思い、笑って受け流しますが、真顔の自分を見て表情がひきつり始めました。

 TVCM、新聞紙面、折り込み広告、パブリシティ・・・。
 メディアミックスの手法を用いた大量の告知露出によって、事前広告も万全です。
 先日来店頂いた当時新入社員のM氏は、発売当日、応援に駆り出された時の様子を次の様に語っています。 

 「マンションギャラリーは長蛇の列です。
 朝から晩まで駐車場の整理をしながら、何が起こっているのか判りませんでした。」

 お客様は、ポールとチェーンで仕切られた順路に、整理券を持って並んで頂きます。
 「お待たせいたしました。整理券№25~28をお持ちのお客様、どうぞ前へお進み下さい!」
 
 人気の部屋には、十数倍から二十数倍の申込が入ります。
 行列と活況が煽り効果を発揮し、申込ラッシュを演出しました。
 紛れも無く、ここから黄金の時代の幕が開き、未曾有の急成長を牽引する役割を担うことに成ったのです。

 当時、会社も事業も自分自身も勢いがありました。
 ある意味、怖いもの知らずの無謀さでもあります。
 あれから10年、良く言えば堅実に、悪く言えば保守的に成ったかもしれません。
 様々な経験を踏まえ、企業にとって、急成長よりも永続がプライオリティだと気付かされたからです。
 自分に与えられた(残された)時間は10年間。
 リスク無き成長はあり得ませんが、永続を脅かすリスクだけは聖域としたいと思います。

悲しくば明日悲しまめ

  成功哲学の実践者として知られる中村天風氏は、自著「ほんとうの心の力」の中で、二編の短歌を詠んでいます。

 「ふたたびは 来(きた)らんものを 今日の日は
  ただ ほがらかに 活(い)きてぞ たのし」

 「悲しくば あす悲しまめ 今日の日は
  光うるおしく 吾れを 照らすを」

【 諸君は、今夜、寝て、起きれば、明日が来る、と思っているだろう。
 寝て、覚めて、明日になってごらん。
 明日が、今日になるから・・・。
 明日という日は、日向の影法師と同じで、いくら追いかけても掴まらない。
 だから、悲しくば、明日悲しめばいい。 】

 まったくその通りです。
 悲しいことや苦しいことに遭遇した際に、「明日悲しもう」とか「明日苦しもう」と思って、感情の昂(たかぶ)りを先送りするだけで、結果的に悲しみも苦しみも、一生味わうことがありません。
 
 選択をいくら悔い悩んだとしても、それは些(いささ)かも変えようの無い過去です。
 同様に、明日という日は、一切訪れることの無い、不確かな未来です。
 確かなのは、今日、今、この瞬間だけ。
 前向きに、朗らかに、その瞬間、瞬間を精一杯楽しんで生き切ることが、豊かなる人生への王道なのでしょう。 

 私自身、本質的にはネガティブな人間です。
 しかし、こうした考え方に触れてからというもの、その方がずっと楽で、解決の糸口を見つけやすいことを学んできました。
 幸福か不幸かは、己の心の持ち方次第です。

墓標に刻まれたメッセージ

 北朝鮮の金正日総書記の急死という衝撃的なニュースを受け、マスコミ各社は挙って不安を煽っています。
 急死とは言うものの、数年前から総書記の体調不良問題は取り沙汰されており、少なくとも寝耳に水では無かった筈です。
 報道直後にupした内田樹(武道家)さんのツイッターが、短文ながら的確に北朝鮮の行く末を示しています。

【 ビンラディン(アルカイダ)、カダフィ(リビア)に続いて20世紀型「指導者」が姿を消しました。
 カリスマ的リーダーの特徴は、能力の高い後継者の育成に失敗することです。
 構造的に失敗する。
 組織内には自分より無能な人間しかいないことが、独裁的な指導体制を正当化するわけですから。 】

 なるほど、組織内に自分よりも有能な人間がいた場合、独裁自体が成立しないのです。
 仮に、そうした傑出した人物が登場したとすれば、自らの地位を脅かす危険な存在として、早期に抹殺する必要があります。
 有能な人材の芽が摘まれ、絶対服従の無能な人材が重宝されるのですから、組織の未来は無いでしょう。

 自分が、南店の店長を兼任する様になって4ヶ月が経過しました。
 松山南店は、事実上の本社機能を担っており、人員も多い半面、業務も煩雑です。
 そんな中、売買が決まったり、サブリースの滑り出しが順調であったり、管理委託契約が立て続けに決まったりして、先月、今月と目標達成が続いています。
 繰越状況からすると、来月の達成もほぼ確実です。

 これはとても、一人でできるものではありません。
 役所調査や現地調査について、全幅の信頼で任せ得る和田さん。
 知人・友人に積極的に声掛けを行い、契約に持ち込む豊田さん。
 家賃振替・送金のシステムを稼働させると共に、反響増のための入力に取り組む石田さんと岡本さん。
 総務・経理・労務管理を一手に引き受け切り盛りする高市さん。
 それぞれが個々の役割を認識し、責任感をもって全うするからこその実績でしょう。
 
 「己より優れた人物を集める術を知っていた男、ここに眠る」

 鉄鋼王、アンドリュー・カーネギーの墓標に刻まれた言葉は、リーダーとして心にも刻むべきメッセージです。

動機善なりや私心なかりしか

 経営の神様と評される、パナソニック創業者「松下幸之助」が、自著「会社は公共のもの」で次の様に語っています。

【 今まで人を使ってきて、いろんなことがありましたが、概ね上手くいきました。
 けれども、時に失敗することがあります。
 ”あのしっかりした男が”とこうなるんですな。
 その同じしっかりした人で、成功する人と失敗する人とは、結局どこが違うのかと更に煎じ詰めていくと、失敗する方には”私”というものがある。
 一方、成功する人には”私”というものがありません。
 賢さは一緒である。 
 しかし、ちょっと自分の私心があると、非常に差が出てきます。
 一国の首相と成る人は、まったくの私心の無い人やないと、本当に上手くいきません。
 会社の社長でも、私心があったらあかんと思うんですよ。 】

 まったくもって耳の痛い話です。
 毎日毎日、自省と自戒の意味を込め、こうして拙文を綴りながらも、なかなか悟りの領域は見えて参りません。

 さて、短期間でJAL再建への道筋をつけられた稲盛和夫氏は、第二電電(現KDDI)を設立する際、「自からが褒められようとする、売名目的の事業展開ではないのか?」という疑問を抱き、夜な夜な自問自答したそうです。

 「動機善なりや私心なかりしか」

 最終的に、「NTT一社独占の中では適正な競争原理が機能せず、高額な通信料や至らないサービスによってお客様が虐(しいた)げられる。」との結論に至り、一見無謀ともとれるアリと巨象の戦いに打って出ました。
 今日、低廉な通信料で携帯電話やインターネットを楽しむことができるのは、この時の稲盛氏の崇高な決断によってもたらされたと言っても過言ではないでしょう。

 人は皆、自分が一番可愛いものです。
 この世に生を受け、自分の足で、自分の人生を歩んでいきます。
 やがて結婚し、子宝に恵まれ、家族を形成する。
 企業に所属して、店を任されたり、役員に登用される。
 
 すると、確かに自分の人生ではあるのだけれど、それが自分のためだけにあるのではないことに気付きます。
 それが責任です。
 時としてそれは、「私」のやりたい方向とは違う結論を導かざるを得ないこともあります。

 先述した稲盛氏は、京セラ、KDDIを隆々たる企業に育て上げ、巨万の富と成功者の称号を得ました。
 悠々自適の老後が確約されながら、70歳を超えた後に、JALの再建を委ねられます。
 まさに「私」を捨て「公」のため、老体に鞭打ち、火中の栗を拾った訳です。

 松山久米店は、新体制で再スタートを切ることになりました。
 今日から新任される大野店長に、大いに期待しています。

最低・必要・充分条件

 プロ野球は契約更改の真っただ中。
 48本ホームランを打った西武の中村選手は3年10億円、マリナーズのイチローに至っては年棒18億円です。
 
 さて野球の場合、一試合に回ってくる打席は4~5・・・だからこそ、打率が重視されるのでしょう。
 10回打席に立って2本ヒットする選手は、二軍落ちの憂き目を見ます。
 10回打席に立って3本ヒットする選手は、一億円の年棒を手にします。
 僅か十分の一の差が、天国と地獄ほどの差を生むのです。

 ところが、我々ビジネスマンは違います。
 来店が少ないのであれば、自らの親類縁者や知人を辿って、無作為の飛び込み訪問によって、残業によって休日出勤によって、取り組み方次第で上限無く、何度でも打席に立つことができます。
 
 打率の低い選手は、自分の打順が回って来ても、代打を送られることがあります。
 ビジネスの世界は、どれだけ稚拙な営業であっても、変えられる心配はありません。
 だからこそ、トップセールスは、断られた数も一番なのです。
 
 従って、頭脳派よりも、肉体派の方が向いています。
 頭で考えて、理屈ばっかりこねたとしても、一向に数字は上がらないものだからです。
  
 営業マンと言うのは厄介な生き物です。
 些細なことで、モチベーションは上がったり下がったり。
 褒めて調子に乗る人間もいれば、叱って叱り飛ばしてやっと動く輩もいます。
 
 でも、総論として言えることは、営業マンにつける最良の薬は数字(受注・売上・利益)でしょう。
 数字が上がって上がって、忙しくてしょうがなくて辞める営業マンはいません。
 退職する理由は様々なれど、数字が上がらないか、人間関係が悪いか、殆どこの二つに収斂されます。

 数字が上がれば、待遇も良くなるし、仕事も楽しくなるし、モチベーションも上がります。
 モチベーションが下がれば、仕事も楽しくないし、数字も上がらないし、待遇も報われません。

 卵が先か鶏が先かではありますが、これは夫婦の関係にも類似しています。
 お金(数字)さえあれば良いという「充分条件」では無いにしても、お金(数字)は「必要条件」であり、中小企業も夫婦も、世帯主が食い扶持を稼ぐことは「最低条件」なのです。

怠け者の働きアリ

 アリとキリギリスの寓話を思い出してみて下さい。

 「日射しの厳しい夏の暑い日、アリは休むことなく働き続けています。
 その姿を横目にキリギリスは、涼しい木陰でバイオリンを弾き、唄を歌って過ごすのです。
 やがて木の葉の舞い散る秋が過ぎ、雪のちらつく冬が来ます。
 食べ物の無くなったキリギリスは、寒さに凍えながら、アリの家を訪ねるのでした。」

 今日はこの、アリの話です。
 勤勉の代名詞の様に扱われる働きアリですが、本当に働いているのは僅か二割だと言います。
 驚くべきことに、残りの八割は自堕落な、怠け者アリなのです。

 更に、この中から怠け者の八割を除外した場合、残った働き者の内の、また八割が怠け者に転落します。
 そして、除外した八割の怠け者の中からも、また二割が働き者に昇格するのです。

 会社も同じでしょう。
 全米を代表するゼネラルエレクトリックという会社の人事制度はシビアで、下位10%のローパフォーマーは「ボトム10」と位置付けられる、退職勧奨の対象です。
 前会長ジャック・ウエルチの著書によれば、勝ち残った9割の優秀な社員の中からも、ボトム10が生まれます。
 
 この上昇志向の競争スパイラルを弛まず繰り返すことで、強い集団と成っていくのです。
 逆のパターンであれば、企業の弱体化が加速します。
 さてあなたは、どちらのアリでしょう?

すみませんの前に

 私は通常、エッセイやコラムから引用する場合、ダイジェストにまとめようと努力します。
 単なるメッセンジャーではいけないと思い、テーマに沿って削るべきは削り、核心にフォーカスさせる訳です。
 しかし、今回の三浦知良選手の文章は、一言一句カットできません。

【 横浜FCはJ2の18位に終わった。 これが現実。 力不足。
 「こんな成績ですみません」
 こう言いがちになるけれど、僕はそういう言葉は言いたくないし、これまで使わないようにしてきた。
 ふがいない成績をたたかれ、罵声を浴びても仕方ない。
 ただ、プロが「ごめんなさい」と発言すべきなのは、自分が怠け、努力をせず、いいかげんに日々を送ってきたときのはずだ。
 目の届く限り横浜FCのメンバーはみんなまじめにやっていた。
 誠実に何とかしようとしていた。
 それでこの結果なのは力がないとしか言いようがない。
 結果を認める。 責任も負う。 でも謝るのは少し違う。
 謝るべきことのないよう、常に自分のできることはすべて毎年してきたつもり。
 だから、僕のサッカー人生に「すみません」の文字はない。 】

 月並みな形容詞で恐縮ですが、やはりカズはカッコ良い。
 そして、その先の答えも用意されています。

【 では謝るよりも何をするのか? 
 「さらに自分を高めていくしかない」と、いつもそこに行きつく。
 結果が出ないと必ず聞かれるのは「次はどう変えるのですか」。
 僕のスタンスは「オフでも自主トレでも、やるべきことを、いつも通りやる」。
 もちろんこの一年で「あの試合でこれしかできなかった、あれはできた」
 と感じた部分があるから、やることの細部は変わる。
 でもそこへ向かう姿勢に変化はない。
 何十年も続けてきたことを、同じ信念でやる。 どこも何も変わらない。 】

 結果が出た人は、過去に慢心することなく、未来へ向けて邁進する。
 結果の伴わない人は、卑屈に成らず、カズに倣って更に自分を高めていく。
 「すみません」の前にやるべきことがあります。

シーンベネフィット

 私が日経新聞で、密かに楽しみにしているエッセイが二つあります。
 一つは、小泉武夫の「食あれば楽あり」。
 自宅の厨房「食魔亭」で繰り広げられるグルメ三昧は、読むだけで垂涎悶絶ものです。
 例えば・・・。
 
【 ・・・瞬時に鼻から煮汁の甘じょっぱい匂いと海苔とネギの快香とが抜けてきて、口の中では、シャモ肉のシコシコムッチムッチする中から、とても美味しい汁がジュルジュルと出てきて、少しの脂肪身からのコクもトロトロとやってきて絶妙であった。
 そして、半熟気味の溶き玉子が口の中でジュルジュルテレテレとし、卵の上品なうま味が流れ出してきて、さらに煮汁に染まった飯からの濃いうま味と甘みとが追いかけてきて・・・】

 たかが親子丼を食すにも、こんな調子です。
 魚をあてにして、酒を飲むのは十八番。

【 ・・・燗酒をグビ~ッとひと呑みすると、胃袋あたりで静かに回るように熱くなり、五臓六腑にジジ~ンと滲み渡っていった。
 メバルの刺し身を口に入れると、上品な甘みと優雅なうま味がチュルチュル、ピュルピュルと湧き出て、ああ、うまいなあと感激に浸りながら、また酒をコピリンコした・・・】

 巧みな表現力は、AD堀や彦麻呂の比ではありません。
 特に「シコシコ、ムッチムッチ」「ジュルジュル、テレテレ」「チュルチュル、ピュルピュル」「グビリンコ、コピリンコ」といった反復擬音の表現が絶妙で、凄まじいまでに食欲をそそるのです。

 これは不動産営業でも、大いに参考にすべきでしょう。
 築年数が経過しており、間取も古く、入居付に苦戦している物件があります。
 しかし、この物件の最大の利点は、駅もスーパーも小学校も中学校も、すべて徒歩5分圏内です。

 「お子様と共に過ごす、家族の時間は意外と少ないものです。
  学校が近ければ、始業ギリギリまで朝の団欒が楽しめます。
  一日10分として、ひと月数時間、年数十時間です。」

 「ご主人は、会社での接待や飲み会も少なくないのでは?。
  この物件なら、飲んだとしても電車で行き帰りできます。
  タクシーや代行は、家計にも響きますからね。」

 「夕食の仕度の際、食材を買い忘れたことに気付くことがあるでしょう。
  ラッシュ時に、また車に乗って買い出しはうんざりしますよね。
  そんな時もこの物件なら、歩いて買いに行けます。」

 物件そのものを売るのでは無くて、住んでからの生活の便益をイメージで訴える、シーンベネフィットです。
 向上心さえ失わなければ、いかなる媒体でも勉強になります。
 次回は、もう一つのエッセイ「サッカー人として」でキングカズが再登場です。

人生の岐路に立つあなたへ

 私は、決して信心深い人間ではありません。
 拙文で宗教家の話を引用するのは、道徳観や人生観や仕事観を説く上で、腑に落ちる話が多いからです。
 八人の尼僧の法話を綴った、「幸せは急がないで」という本の中で紹介されている、一篇の詩をご紹介します。
 読むだけで勇気が与えられる詩です。
 
【 一歩 一歩 もう一歩
 心の中で くりかえし のぼる坂道
 ほっと見上げる空は青く高く 静けさに満つ
 人の世に苦しみ多く
 それゆえに磨かれる魂
 ”ありがとう”の心が すべてをかえる
 せかず あせらず ひたすらに のぼろう坂道
 一歩 一歩 もう一歩 】

 私は、三十歳に成る年にこの業界に身を投じ、以来二十年間、建築・建設・不動産業を生業としています。
 それなりに高い山も、深い谷もありました。
 世間的には、波乱万丈の人生に映るのでしょう。
 「苦労されましたね」と、労(ねぎら)いの声掛けを頂くこともあります。
 強がりでも何でもなく、個人的には苦労したという実感は全くありません。
 正確に言えば、その時は苦労に感じたかもしれませんが、過ぎ去ってみれば些細なことに思えます。
 
 かくも時の流れは、傷口に塗る膏薬(こうやく)の様に、痛みや労苦を少しずつ和らげてくれるものです。
 勿論、薬も消毒も、治療の際には一時的に痛みを伴います。
 その痛みから、逃げてはいけません。
 逃げれば、傷口は更に拡がり、放置すれば化膿するだけです。
 
 痛みを受け入れた上で、果敢に乗り越えようとする人だけには、時間が味方してくれます。
 よしんば十代、二十代ならば、遊んでも、逃げても、回り道をしても良いでしょう。
 人生は、年齢に合わせた節目があります。

 「三十而立」 三十歳にして立つ
 「四十而不惑」 四十歳にして惑わず
 「五十而知天命」 五十歳にして天命を知る

 三十にして立たねば、四十にして惑わば、五十にして天命を知らねば、それは逃避の人生の証左。
 先述の本のサブタイトルは、「人生の岐路に立つあなたへ」です。

真の人間性を写す鏡

 立て続けに支店からのクレーム連絡を受け、謝罪させて頂きました。
 誰の責任とかではなく、起こったことは全て社長の価値観を反映した、社長の責任です。
 
 一件は、管理会社を飛び越して、オーナー様と直接交渉してしまった事例。
 実はこの会社には以前、逆の立場でクレームを申し入れたことがあり、天に唾する結果と成りました。

 もう一件は某社に見積り依頼し、踏み込んだ提案を頂きながら、その提案に酷似した内容で他社に相見積りを取って、お断り無く発注してしまった事例。
 最終的に頼むかどうかはともかくとして、提案のあった会社に差し戻すのは最低限のマナーです。

 何れも、全面的に非を認めて謝罪したことで、寛大な許しを得られました。
 それでも、その許容に甘えるのではなく、猛省する必要があります。

 この二つのケースは、業界ルールや商慣習といった問題であり、法律を犯している訳ではありません。
 しかし、信頼関係の崩壊は、ある意味、違法・脱法よりも挽回が難しいものです。
 拙文においても、「縁を大切に」とか「感謝の念を忘れない」といった美辞麗句を強調しながら、「言っていることと、やっていることが違う」と言われても仕方ないでしょう。

 決して難しい判断ではありません。
 我々の身に照らせば明白です。

 来店されたお客様に賃貸物件をご紹介・ご案内して他決の場合、2通りに分かれます。
 ・ わざわざご丁寧に「申し訳ありません」と連絡を頂く方
 ・ 連絡無しで、電話をしてもつながらなくなってしまう方
 
 現場では圧倒的な比率で、後者が大多数を占めています。
 勿論、他決するということは営業負けですから、自責で捉える謙虚さも必要でしょう。
 それでも、前者のお客様に遭遇した時には、他決の悔しさを超越した清々しさを感じるものです。
 
 モノを売る時には誰しも謙虚で、誠実で、律義です。 
 一方モノを買う時には、横柄で、不実で、無礼であったりします。
 そうした邪念は、知らず知らずの内に首をもたげるからこそ厄介です。
 しかもそれが、真の人間性を写す鏡であるが故、大いに畏(おそ)れなければなりません。

紹介の有難味

 企業して三年目。 最近、前職時代の同僚との関わりが多くなりました。
 会社に残っている方、同業他社に着地された方、異業種に転身された方・・・立場は様々です。
 この一週間だけでも、連日の様に情報を頂いています。

・ 新しく事業所を構えるためのご相談を頂いたMさん
・ 物件の売買に絡んで、後々の入居管理を紹介頂いたIさん
・ 入札に絡んで、取引への参入をご相談頂いたSさん
・ 収益物件リノベーション見学会へのお誘いを頂いたWさん
・ 申込となった、入居希望者をご紹介頂いたKさん
・ サブリース提案に当たって、オーナー様に推挙頂いたYさん

 成就するか否かはともかくとして、優先的に声掛け頂いたり、第三者に推して頂くだけでも有難い限りです。
 紹介者の存在の大きさは、飛び込み営業と比較すれば明白でしょう。
 
 前職の会社は入社初月、マンション営業に配属され、一月7,000件のドアコールが義務付けられます。
 いきなりのドアコールで、「よく来てくれた」とか「待ってました」という方はいらっしゃいません。
 
 居留守を使われたり、セクハラめいた罵声を浴びせられるのは日常茶飯事です。
 心が折れて次の一歩が踏み出せないこともあります。
 7,000件をこなしたとしても、成約どころか、モデルルームへの誘引すら叶わない人が大半です。
 効率か否かと言われれば、圧倒的に非効率でしょう。

 決して根性論ではなく、論理的な幾つかの意味があって続けていました。
 最も大きな理由は、「お客様の有難味を知る」ことです。

 この登竜門をスルーして、設計や工務や経理に配属された新入社員は、仕事を取る難しさを知りません。 
 他社に先駆けて提案するために、或いは工期に間に合わせるために、残業・休日出社しなければならない理由など判る筈もないでしょう。
 
 モデルハウスに配属されて、来場されたお客様をカウンターで待ち受ける営業マンも同様です。
 閉店間際、腹が減り、同僚と飲みに行く打ち合わせをしている時、駐車場に車が入った時どう感じるか?
 口には出さないまでも、「ちぇっ、遅くに来やがって」と心でつぶやいたとしたら、その本音はあからさまにお客様に伝わるものです。
 
 一生の内に一度でも、飛び込み営業を経験したことがあれば、自戒し初心に帰ることができます。
 一方で、喉元過ぎれば熱さ忘れてしまうのも人間です。
 来店下さるお客様、紹介して下さる知人、それはすべて当たり前ではなく、とても有難い存在であることを、決して忘れては成りません。       以上

人生の目覚まし時計

 前回の拙文で、「走る=生きる」の仮説を立てました。
 今日は、先日DVDで観た、クロサワ映画の名作「生きる」へとブリッジしたいと思います。

【 ネタばれ あらすじ 】
 主人公は、市役所に勤める、定年間近の市民課の課長。
 連れ合いは子供が小さい内に他界し、今は疎(うと)んじられつつ、長男夫婦と三人暮らし。

 地域住人から、公園をつくって欲しいという陳情が、市民課の窓口に寄せられる。
 典型的なお役所仕事の常として、その陳情をまともに取り合う職員はいない。
 市民課から公園課、公園課から下水道課、下水道課から建築指導課と、たらい回し。
 ここは、何もしないことが、居場所を守る最善の手段なのだ。
 
 真面目で勤勉な男は、このまま定年まで勤め上げるものと思われた。
 ある日、男は胃の不調を訴え、病院へ向かう。
 医師の診断は、余命数ヶ月の末期癌。
 
 自暴自棄に陥り、今まで縁の無かった酒、女、ギャンブルに手を染めるものの、空虚な心は満たされない。
 偶然めぐり会った、かつての部下の、奔放な生き方に魅せられる男。
 現在勤める町工場で作った幼児向けの玩具を手に、「自分の作ったものが日本中の赤ちゃんの元に届いていると思うと楽しい」と屈託なく語る彼女の姿に、男は自からのやるべきことを悟る。

 残された限りある時間を、公園づくりに費やそうと、男は形式主義の組織体制に敢然と立ち向かう。
 命のろうそくが燃え尽きようとするその時、男は雪のちらつく公園のブランコを揺らしながら、満ち足りた笑顔を浮かべ「ゴンドラの歌」を口ずさむのであった。
 「命、短し、恋せよ乙女・・・」 

 冒頭、「この主人公は20年前から死んでいる」というナレーションで男は紹介されました。
 物語が進捗するに従って、核心を突くメッセージが次々と投げかけられます。
 
・胃癌は貴方の人生の眼を開かせた。
・不幸は人に真理を教える。
・不幸は人に人生の意味を取り戻させる。

 名著「七つの習慣」では、価値観そのものを変えてしまうようなドラスティックな出来事を、「人生の目覚まし時計」と呼んでいます。
 20年間生かされながら死んでいた男が、末期癌の宣告を受け、死を意識したことで、「生きる」ことを始めた訳です。
 あなたは、生きていますか。

目標に近付く動物

 今年、身近なアラフォー世代の頑張っているニュースが飛び込んで参ります。

  2月 42歳の劇団代表Tさんが夫婦で愛媛マラソン完走 
  8月 41歳のK社長がトライアスロン初踏破
 11月 43歳のT社長がスーツ&革靴で神戸マラソン5:13完走
 12月 38歳のNさんが愛媛駅伝に参戦
 
 そして先日、私よりも年上のN師匠が、ハワイホノルルマラソン出場。
 灼熱の太陽が照りつける中、7:51で走り切り、見事完走されました。
 
 先日、ビジネスでご協力頂いたYさんは、年齢不詳ながらかなり年上の筈ですが、来年の愛媛マラソンにエントリーしており、毎晩ジム通いの日々とのことです。

 その愛媛マラソンの申込倍率は5倍とのことで、もはやブームと言っても過言ではないでしょう。 
 中学校の時のマラソン大会以来、5㎞以上の距離を走ったことの無い私にとって、42.195㎞を完走する方は、タイムに関わらず畏敬の念を抱きます。

 艱難辛苦を承知の上で走る覚悟をなさるのですから、走り終えた後の達成感・充実感・爽快感等、やった人間にしか判らない未知の世界が存在するに違いありません。

 「人間というものは、目標があると、それに向かって努力するという不思議な動物である」

 マラソンだけに限らず、資格試験へのチャレンジや、毎月の売上目標も同様です。
 自分の能力を少しだけ超えた目標を設け、それをクリアして自らの成長を見届ける・・・それが「生きる」ことでしょう。
 裏を返せば、特段の目標を持たず、日々を漫然と過ごすだけであれば、死んでいるのも同然です。

一番素晴らしい飲み物

 映画やドラマで見かける、お約束のシーンです。
 罪を償い刑期を満了した受刑者が刑務所から出てきて、門番から「もう二度と帰ってくるんじゃないぞ」と諭され一礼した後、空を仰ぎ大きく深呼吸「ああ、やっぱり娑婆(シャバ)の空気はうめぇなぁ」・・・その娑婆は、この世のことを示しています。

 語源はというと、古代インドの言葉で「忍耐」を意味する「スハ」から来ているのだそうです。
 即ち仏教では、「この世とは耐え忍ぶこと」と教えています。

 お経の中で頻繁に登場する貪瞋痴(とんじんち)なる言葉は、忍耐を忘れてかまけてしまう内、心につけ入ってくる三つの毒のことです。
 
・貪 = 色欲・物欲・権力欲等、争いの元になる、むさぼり欲
・瞋 = 自分の意のままにならないことを恨む、怒りや嫉妬
・痴 = 人の道に反する不道徳な行いや、愚かな泣きごと

 この三毒が身体の中に蔓延すると、心身ともに不健康に成ります。
 だからこそ、ことあるごとに他人事ではなく、我が身を振り返り、戒める必要があるのでしょう。

 先日、尊敬する方のブログを見ていてハッとさせられました。
 「本人の居ないところで、その人の悪口を言わない」
 自分自身、日頃意識しながら、なかなか徹底できない事項です。 
 日本電産の永守重信社長も、「リーダーとして信頼されたければ、部下のいないところで陰口を言うべからず」という持論を述べられています。
 
 利己から利他へと昇華するのがあるべき姿と知りつつも、知っていることと、やれていることと、徹底できることは、徳のレベルがそれぞれ違います。

 「一番素晴らしい飲み物は、悪口である」 日蓮上人

 恥ずかしながらこれまで、反省と戒めに埋め尽くされた人生ですが、心がけとして三毒を抑え悪口を呑み込み、昨日よりも今日、今日よりも明日と、僅かずつでも人格を磨いて参りたいと思います。

思いつきの指南役

 昨日のことです。
 朝、いつも通りに出社して、いつもの様にパソコンを叩いていると、いつものN社長から電話がかかりました。
 時計を見ると5:56・・・普通に考えればただ事ではありません。
 
松岡  : おはようございます。早いですね。
N社長 : ・・・ああ、起きとるか?
松岡  : もう仕事してますよ。
N社長 : 何っ!もう松山に来とんのか?
松岡  : はい、いつも通りですけど。
N社長 : そうか、メシでも食いにいくか?
松岡  : ええ、結構ですけど、それにしても社長早いですね。
N社長 : ああ、風邪ひいて咳が出て、一睡もできんかった・・・。
松岡  : モーニングよりも、医者行った方が良いんじゃないですか?
N社長 : いや、わしは医者には行かん!
 
 ということで、4:00起き男と完全徹夜男が、貸切Gストでモーニングです。
 この方、不動産実務は素人ですが、素人ならではの斬新な発想で、いつもヒントを与えて下さいます。
 先日、無事契約が整った再生型サブリースも、元をただせばN社長の一言がきっかけでした。

 こう書きますと、さもビジネスの指南役の様ですが、決してそうではありません。
 口にする言葉は単なる思いつきであり、そのまま鵜呑みにすると後が大変です。

N社長 : そりゃわしは素人なんだから、思いつきで好きなことを言うわ。
      その思いつきを上手く料理するのが、プロだろう?    

 一回り以上も年上だけに、それなりに敬意は表しているものの、提案の殆どはその場で斬って捨てます。
 とはいえ、すべてに反論するあまのじゃくという訳でもありません。
 投げられた提案をしっかりと咀嚼し、経験と知識に照らして判断し、瞬時の内に取捨選択しているのです。
 
 NOの場合は、何故NOなのかという理由を、体系立てて論理的に返します。
 YESの場合は、自分なりの見解を交えて、具体的な方向性を示唆します。

 目下の同性に対しては極めて高圧的であるため、萎縮する方も少なくないのですが、かといってYESマンを求めている訳ではありません。
 仮にそうなら、私の様な素直でない人間に対して、ここまで時間を割いてはくれないでしょう。

① 「あれどうなった?」とアバウトな投げかけのため、意図を掌握するのが難解です。
② 物分かりも極めて悪いため、理由や状況を説明するにも手間暇かかります。
③ 一旦納得した事柄でも、次会った時には平気で「忘れた」と言い放ちます。
 かくも文字にすると面倒臭い人物ですが、実はすべて計算です。

① 気づきの能力を高めることで、一を聞いて十を知る人物となる。
② 物事の骨子を、自分の言葉で伝えることのできるプレゼン力を体得する。
③ 言いっ放しに成らない様、文書や記録に残す習慣を身につける。
 言わばこの方に対峙することが、人材育成の訓練プログラムそのものと言えるでしょう。
 
 表面に見えている部分だけでなく、裏側も、心の奥も読み取ること・・・それが人を丸く見るということなのです。 

天動説と地動説

 以前から、天動説と地動説の例えは、事あるごとに引用していました。
 
 天動説は、固定されている地球の周りを、大宇宙が回っているのだとする考え方です。
 これが間違いであることは、今や疑いようもありません。
 
 しかし、古く紀元前のアリストテレスの時代から、コペルニクスが歴史に名を刻む16世紀に至るまで、約2,000年の長きに渡って、天動説は常識として君臨していた訳です。
 
 体系的に地動説をまとめたのはコペルニクスですが、かのガリレオ・ガリレイも、一足先に地動説を唱えていました。
 天動説が支配的な時代に地動説を唱えるガリレオは異端児扱いされ、裁判で無期懲役(後 自宅軟禁に減刑)の判決を受けることになります。
 判決後に語ったとされる、「それでも地球は動く」は有名な台詞です。

 歴史はともかく、我々商売人にとって、天動説信奉は破滅を意味します。
 「良い立地なのに、お客様が来ない」
 「美味しいのに、注文が入らない」
 「これだけ宣伝しているのに、知名度が低い」
 「安いのに、売れない」・・・

 これらの発言は全て天動説の片鱗です。
 当然のことながらお客様は、自分を中心にして回っている訳ではありません。
 お客様のために・・・という、押しつけがましい上から目線ではなく、お客様の立場に成って、自らがどうすべきかを考えるのが、本来の地動説の営業です。
 
 個人の性格や言動も同じことが言えます。
 「あの人が、手伝ってくれない」
 「自分は、これだけ尽くしているのに」
 「あの人とは、一緒に仕事ができない」

 そうした声の殆どが、自分を棚に上げた我儘・身勝手であったり、思いやり・感謝・気配りに欠けた発言です。
 人に求める前に自らが動く、地動説の思想こそが肝要でしょう。
 ダスキン創業者鈴木清一氏の言葉の通り、「棒ほど望めば針ほど叶う」のが世の中です。 

捨て過ぎる位で丁度良い

 今や、世界的な小型モーターのメーカーである日本電産も、創業時は自宅の納屋を改造した町工場からのスタートです。
 創業者:永守重信社長の、「情熱・熱意・執念」「すぐやる!必ずやる!出来るまでやる!」というスローガンそのままの経営姿勢によって、飛躍的な成長を遂げました。
 
 永守社長は、倒産寸前の会社をM&Aすることで、次々と生き返らせる再建王でもあります。
 息を吹き返すということは、その会社のポテンシャルそのものは問題無かった訳です。
 では、何故経営が上手くいかないのかというと、倒産する会社には共通点があると言います。

 ① 職場の清掃が行き届いていない
 ② 社員の出勤率が悪い
 ③ 社員間の挨拶ができていない

 永守氏は、「この三つを是正するだけで、赤字が黒字に転換する」とまで言い切っています。
 俄かには信じ難い話ですが、以下のエピソードも実話です。

 1980年代、製造業を中心に日本および西独等の企業が市場を席巻しました。
 「日本に学べ」を合言葉に、全米の企業は続々と、日本企業をベンチマークします。
 がしかし、いくら学んでも、品質・生産性は向上しません。
 「彼らは忠実に日本の生産方式を模倣した。ただ一つだけ、環境整備を除いて・・・。」

 中小企業の父と言われる故一倉定氏も、「経営心得」の中で次の様に語っています。
 「環境整備を怠るということは、十カラットのダイヤモンドがゴロゴロと転がっている宝の山に入り、誰でもこれを拾って良いのに、拾い上げようとしないようなものである。」

 先日、バックヤードの環境整備をしました。
 バックヤードにおいて、とかく起こりがちなことは、「取りあえず置いておこう」です。
 一つが二つになり、二つが四つになり、気が付いた時には、足の踏み場も無くなっていることでしょう。
 ゴミと同じで、整然とした奇麗な場所に捨てるのは勇気が要りますが、幾つかの先客がいると、あっという間に山と成ります。
 
 まずは、不要なモノを捨てること。
 経験上、捨て過ぎるくらいで丁度良いのが整理としたものです。

弱者の戦略:後篇

 組合加盟の是非はともかくとして、自由競争下で差別化を図り、お客様から支持されるために努力を継続することが、企業としての当然の営みであることを鑑みますと、この制度を未来永劫維持することは難しそうです。
 例え組合が結束を強めたとしても、いや寧ろ結束が強ければ強いほど、皮肉なことにそのエリアは、非加盟店にとって、おいしい市場と成ります。

 現実的に全国500店以上を展開し、日本一の年商を誇る理容店P社は組合非加盟で、価格は1,575円と半額以下に設定しています。 
 先月、ある街のP社に勤めていた理容師数名が独立し、P社の至近に理容店を開店しました。
 古巣に対して反旗を翻す敵対的な出店で、システムも価格も同じ1,575円です。

 日本一のP社は、この謀反に対して思い切った戦略を打ち出しました。
 先日のチラシは何と、「半額キャンペーン:一月末まで大人785円」
 採算を度外視した、見せしめ的制裁措置なのでしょう。
 ランチェスター戦略を引用するまでもなく、体力勝負となれば小は大に太刀打ちできません。

 視点を変えて、この仁義なき戦いの蚊帳の外に居る組合加盟店はと言うと、高見の見物という訳にはいかないでしょう。
 戦いが激化する程に、顧客の流出は免れません。
 ここで学ぶべき、商いの原理原則は、二つあります。

① 市場の変化に対応しなければ、座して死を待つことになる
② 後発の弱者が、強者と正面からまともに闘えば玉砕は必至

 強者にも弱みはあり、弱者にも強みはあります。
 その強みを活かし、強者の弱みをついて勝つことが肝要です。
 我が社の、自店の、そして貴方の強みはどこでしょう?             以上

弱者の戦略:前篇

 今回は、理容店を題材に分析して参ります。
 私自身の散髪は、約一ヶ月半周期です。
 20代前半からは、四半世紀もの長きに渡って、地元の某理容店オンリーでした。
 年8回とすると、その店に600,000円は落とした計算に成ります。
 
 近年、10分間1,000円のカット専門店にシフトしました。
 三分の一以下という価格も然ることながら、昼休みでも思いついた時に行ける手軽さが一番です。
 歳のせいか、カット→シャンプー→顔剃りで60分という、時間が勿体ないと思う様になりました。
 勿論、それが至福の時間だという方も、ヘアスタイルにこだわる方もいらっしゃいますから、求める価値は人それぞれです。

 さて、理容店は大きく二つに分かれます。
 一つは組合加盟店、もう一つは非加盟店です。
 組合に入りますと、営業時間や定休日や価格が固定化されます。
 業界の発展向上や安全・信頼の確保は表向きの大義名分として、「限られた市場の中で共存共栄していくため、また働く方々の労働環境を守るために、いたずらな過当競争は止めよう!」というのが本音でしょう。
 
 自由競争に成れば、お客様を呼び込むためのダンピングや、早朝深夜の営業や、無休営業が恒常化し、結果的に自分で自分の首を絞めてしまうという論理です。
 勿論、厳密に言えばこの考え方は、違法なカルテル(談合)に他なりません。
 伝え聞く話によりますと、加盟店の中にも価格や営業時間について、前衛的な考え方を持つ若手はいらっしゃいますが、それを古参の加盟店が諫める構図だと言います。
 何よりも大事なことは、羊がいくら群れたとしても、ライオンには敵わないという現実です。 つづく

言葉と心と人間力

 私が演劇の世界に魅せられたのは、決して素晴らしい舞台を見たからではありません。
 第一歩は、かつて在籍していた青年団の発表会がきっかけでした。
 
 町の大会を勝ち上がると郡大会、郡の次は県大会、県の次は全国大会です。
 当時、近隣市町村のレベルは高く、とても太刀打ちできる状況ではなかったものの、毎年ステージアップを重ね、苦節5年で遂に全国大会出場の切符を手にしました。
 
 四国からセット一式を運ぶ搬送費、スタッフ・キャスト合わせて20名の旅費・宿泊費は馬鹿になりません。
 地元の内子座における原則無料のお披露目公演で、餞別代りのおひねりをお願いしたところ、十数万円もの善意が集まりました。

 さて、意気揚々と花の都大東京に乗り込んだ我々は、満を持して初日の舞台に臨みます。
 観客こそまばらですが、最前列に鎮座して、鋭い眼光と共に静かなプレッシャーを与えているのは、業界関係の審査員数名です。
 
 初日のもう一組の出し物は、盲目の男性が主人公でした。
 我々は、男女の前に立ちはだかる差別の壁を描いた人権劇です。
 上演後、審査員の方々から頂いた講評は、かなり手厳しいものでした。

 まず、全盲の男性を表現するにあたって、「めくら」(放送禁止用語)という言葉を連発します。
 次に、我々の人権劇を見ての第一声は、「こんな問題いまだに残っているのでしょうか?」という疑問からです。

 言葉狩りではありませんが、少なくとも人権に関する意識もしくは知識の希薄な審査員を前にして、真っ向から人権劇に取り組んだことに対する虚しさだけが残りました。

 さて、「私は素人だ」「その問題は詳しく存じあげない」「犯す前に犯すと言いますか」等々、政治家の失言は恰好のマスコミの餌食です。
 失言しないならしないで、「安全運転だが、首相は自分の言葉で語っていない」と叩かれます。
 最も大事なのは、発した言葉自体ではなくて、前後の脈絡も含めた根っこの心でしょう。
 上っ面の美辞麗句に惑わされず、相手の本質を見抜くだけの眼力と、失言を寄せ付けないまでの徳を身につけたいものです。

光る 光る すべては光る

 男子小便用トイレの底の部分に、取り外し可能な椀トラップがあります。
 トラップとは、排水路からの臭気が立ち上らないために設けられている器具のことです。
 不定期ですが、この椀トラップを外して洗浄しています。
 
 見たことの無い方は是非、一度外してご覧下さい。
 尿中に溶けているカルシウムイオンが炭酸などと反応し、カルシウム化合物と化した尿石が、びっしりとこびり付いています。
 トイレ掃除といえば通常、ゴム手袋をして、柄の付いたブラシで陶器の表面をこするだけでしょう。 
 それでも見た目は奇麗になりますが、臭気は消えません。
 臭気の原因は、尿石にあるからです。

 イエローハットの創業者である鍵山秀三郎氏が創設した「日本を美しくする会」傘下の「掃除に学ぶ会」で、正式な掃除のやり方を教えて貰いました。
 
 まずは椀トラップを熱湯に浸し、金属製のヘラで頑固な尿石を削り取っていきます。
 仕上げは、ワイヤーメッシュで磨き上げ完了です。
 最初は、むせる様な悪臭が漂い、素手の作業に抵抗も覚えますが、やがて彫刻作品を完成させるかの様な思い入れが生まれます。
 鍵山さん達は、磨き上げた椀トラップにビールを注ぎ合って乾杯するそうです。 
 
 十年程前、最初に「掃除に学ぶ会」に参加した時は、松山盲学校のトイレでした。
 割り当てられた大便器を見てみると、排泄物があちこちに飛び散っており、マナーの悪さに辟易としながらも、いつか夢中になって便器を磨き込みます。

 作業終了後、全員が講堂に集まりフィードバックです。
 そこで頂いた、校長先生からの御礼の言葉にハッとさせられました。

 「ここの生徒は9割が全盲、残りの1割も針の先程の視覚しかありません」

 我々は用を足した後、自からの目で確認し、粗相があれば拭きとることができます。
 しかし、視力の無い生徒達は、その当たり前のことすらできません。
 マナーの悪さと取り違えた、自分の認識の甘さを恥じた次第です。
 ふと見上げれば、坂村真民氏の詩が掲げられていました。

 光る
 光る
 すべては光る
 光らないものは
 ひとつとしてない
 みずから光らないものは
 他から
 光を受けて光る

 この世に、光らない人間は、一人としていません。

ヴァリューとプライスの整合:後篇

 まずもって催眠商法とは何か、ウィキペディアによりますと・・・。
 
【 催眠術的な手法を導入し、消費者の購買意欲を煽って商品を販売する(本来は必ずしも必要ではない製品を売り付ける)商法である。
 最初にこの商法を始めた団体「新製品普及会」の名にちなみSF商法と呼ばれたり、参加者の気分を高揚させるため無料配布物等を配る際に、希望者に「はい」「はい」と大声で挙手させることからハイハイ商法とも呼ばれる。
 このような商法を働く業者は自らを宣伝講習販売(せんでんこうしゅうはんばい)と称している。】

 この説明文や、実態を見聞きする限り、胡散臭い商売であることは間違いなさそうです。
 しかし、前回ご紹介した方の経験談によると、そこは業界の中では「良心的」な会社であったと言います。
 では、善良か悪徳かを決定づける要素はなんでしょう。

 ここまで引っ張った挙句ですが、答えはタイトルにある通り、「ヴァリューとプライスの整合」ではないかと思うのです。
 売る側の論理からすれば、「本人が喜んで、満足しているのだから、とやかく言われる筋合いはない」と成りますが、仮に5,000円の価値(ヴァリュー)しか無いものを、50,000円で買わせたとなれば、法律は犯して無いとしても世の商道徳に反していると感じます。
 きっとその様な商売は、長続きしないでしょう。

 他に、「マルチ商法」なるビジネスもあります。
 商品を最初に売った人を「親」、買った人を「子」、子から買った人を「孫」と位置づけ、販売が連鎖するほどに一定の割合のマージンが、孫から子、子から親へと持ち上がっていく、「ねずみ講」に類似したシステムです。
 「売れば売るほど儲かる」という触れ込みでネットワークは拡がっていきますが、理論上無限連鎖はあり得ません。
 
 何れも、本当にその商品が欲しくて買うのではなく、金や情に目が眩(くら)み、心裡留保(宅建で習ったでしょ♪)によってモノを買うのですから、やはり王道ではないのです。 
 お客様には誤魔化し無く、正々堂々と対峙し、冷静かつ正しい判断基準に訴えて、価格に見合った価値を提供することを心掛けましょう。

ヴァリューとプライスの整合:前篇

 三谷幸喜をリスペクトする私は、趣味でアマチュア劇団に所属しています。
 二年前の作品は、脚本・演出を手がけました。
 テーマは、家族の絆と人間の優しさです。

< あらすじ >
 静かな田舎町に突然、ポスターやのぼりで飾り付けられた、派手な店構えの店舗が開店する。
 「バケツやボールといった、日用雑貨がタダで貰えるらしい」
 その評判は口コミで拡がっていき、あっという間に繁盛店となる。
 でもその行列に並ぶ人は、お年寄りばかり。
 お年寄りは毎日、開店を待ちかねるかの様に、いそいそと出かけて行く。
 ところが、この店舗の開店期間は2カ月だけ。
 最終営業日には、安らかに眠れる究極の磁気マットを販売するという。
 この磁気マットの価格はナント30万円!
 それでも皆、なけなしの金を掻き集め会場へと足を運ぶ。
 クライマックス、熱狂の販売会場に、内偵を進めていた警察が踏み込んで・・・。

 主人公の老婆は、老いと共に家族から疎(うと)んじられ、孤独が深まり、人の優しさに飢えています。
 そのお年寄り達の弱みに付け込んで、高額な商品を売り付け、暴利を貪(むさぼ)ろうとする業者。
 騙されているのではないかと危惧し、目を覚ませようとする家族。
 
 ところが、エンディングにおいて老婆は、号泣しながら家族に対してこう言い放ちます。
 「最初から判っていた。
  騙されているのは百も承知。
  それでも、ここの人たちは皆親切に、名前で呼んで大事にしてくれる・・・。」
 
 家族はこの言葉に衝撃を受け、優しさに欠けたこれまでの言動を自省・自戒し、涙ながらに詫びるのです。
 ラストは、各々が家族の絆を重く受け止め、大団円を迎えます。  

 ・・・とまあ、サスペンスタッチの社会風刺ヒューマンコメディーでした。
 先日、ある方とお話ししておりますと、かつてその、俗に言う催眠商法の会社に勤められていたそうです。
 その会社の盛衰や、勤めている間の仕事観を聞かせて頂く中で、改めて会社の社会的な存在意義に気付かされました。
 前置きが長くなりましたが、その気付きについては次回お話しします。   つづく
 

エビングハウスの忘却曲線

 決して断じて歳のせいではありませんが、最近とみに物忘れがひどくなってきました。
 特に忘れてしまうのが、忘れてはならない人の名前です。
 
 その昔、同僚のFさんと二人で現場見学会に入った時の話です。
 相手は自分の姓を「宮岡」と誤認していて、何度も何度も「宮岡さん」と呼びかけられます。
 途中で軌道修正しようと、名刺を渡したのですが、その名刺を丸めたり折ったりしながら、確認する様子がありません。
 その後も断続的に、終始一貫して徹頭徹尾「宮岡さん」と呼ばれるものですから、私も面倒臭くなって、「もう宮岡で良いや」と、その日は宮岡に成り済まして乗り切ることにしました。

 後日、オフィスで仕事をしている時、ビジネスパートナーの「宮岡さん」から私にかかってきた電話を、たまたまFさんが取ったものですから、話はややこしく成ります。
 「松岡さん、宮岡さんから1番にお電話です。」という呼び掛けに応え、「はい、お電話変わりました、松岡です。」と普通に応対した訳ですが、Fさんにとってみれば、キツネにつままれた様な展開です。
 何せ、宮岡という人物から松岡宛てにかかってきた電話を、宮岡だと思い込んでいる松岡が取ったものですから戸惑うのも無理はありません。
 
 かつて、ドイツの心理学者「エビングハウス」は、人の記憶したものが時間の経過と共に忘れられてしまうことを、実験で明らかにしました。

 ◇ 20分後 42%
 ◇ 1時間後 56%
 ◇ 9時間後 64%
 ◇ 一日後  74%

 これがいわゆる、エビングハウスの忘却曲線です。
 人は忘れる動物と言えるでしょう。
 だからこそ、忘れない様に文書化することや、メモを残すことが重要なのです。
  
 法的に言えば、契約は口頭でも成立します。
 しかし忘れてしまうと、「言った言わない」のトラブルに発展することは確実です。
 契約の重要性は、ここにあります。 
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・尊敬する人 
稲盛和夫 西川広一 松下幸之助

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン
・趣味
 劇団AUGAHANCE初代代表
 主に脚本・演出を担当

・経歴 
 中卒後、大工・石工と職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業

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