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大いなる勘違い

 職場内で、「今日のクイズ」がプチブームに成っています。
 元をただすと、保険の営業の方が配られる手書きチラシがきっかけです。
 昨日は、私がクイズを出題しました。

 「何月生まれのJリーガーが最も多いか?」

 ちなみに一番少ないのは2月。
 それは、単純明快に、28日しかないためです。

 実は、一番多くプロサッカー選手を輩出している月は4月。
 その理由はというと、幼少期の身体的な優位性に起因しています。

 4~6歳の頃を思い出してみて下さい。
 保育園や幼稚園で同じクラスであったとしても、4月生まれと3月生まれでは、丸一年違います。
 一年違えば、身体が大きく、運動神経に優れ、走れば早く、喧嘩が強いのは当然です。

 そして、自他共に認められた、そのラベリングのままで進学していきます。
 自信に満ちた4月生まれは、運動部に所属し、更にレベルを高めます。
 つまり、身体的優位が、やがて精神的優位につながり、自分の人生を拓くのです。

 京都から、京セラ、堀場製作所、ローム、日本電産と、世界的な企業が多く輩出される理由も、「あの親父にできて、自分にできない筈が無い」という、思い込みからだといわれます。
 恐るべき、大いなる勘違い。
 
 ポジティブシンキングの重要性は、そうした身近な事象からも知ることができます。
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トルコと日本の絆:後編

 時は流れ、1985年の中東。
 半島は、「イラン・イラク戦争」の真っ只中でした。
 両国の都市爆撃の応酬が続く最中の3月17日、イラクのサダム・フセイン氏は、突如としてこう宣言します。

 「48時間の猶予期限以降、イラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃する!」

 各国は、直ちにイラン在住の国民を軍用機や旅客機で救出しました。
 ところが、日本は、自衛隊の海外派遣不可の原則のために、航空自衛隊機による救援ができません。
 加えて、当時日本で唯一国際線を運航していた日本航空も、安全上の配慮から臨時便の運航を拒絶。
 215名に及ぶ在イラン邦人は、イランから脱出できない危機的状況に陥ったのです。

 まさに土壇場に追い込まれたイラン駐在特命全権大使は、トルコ駐在特命全権大使に窮状を訴え、一縷の望みを託します。
 すると・・・。

 「判りました。
 直ちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。
 トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。
 今こそ、ご恩返しをさせて頂きましょう。」

 トルコ航空は、自国民救援のための旅客機を2機に増やし、215名の日本人はこれに分乗し、全員無事に脱出できたのです。
 最期の一人が搭乗したのは、無差別攻撃の期限時刻の僅か一時間前でした。

 トルコ人なら誰もが知る、日本人との深い絆。
 それを知らない日本人のために、我々は語り継ぐ必要があります。    以上 

トルコと日本の絆:前編

 最近、その国で知名度の高い日本人をランキングするTV番組が放映されています。
 黒澤明、村上春樹、イチロー、本田圭佑・・・。
 世界的に活躍する日本人の名前を、外国の方が口にするのは誇らしいものです。

 さて、トルコで一番有名な日本人は誰か。
 答えは、「山田寅次郎」です。
 「えっ、それって誰?」と思う方は少なくないでしょう。

 逆に、知っているトルコ人と聞かれても、なかなか名前は出て来ません。
 せいぜい、トルコ風アイスかトルコ風ライスくらい。
 しかも後者は、トルコ本国には無い料理だそうです。
 
 閑話休題。
 1890年(明治23年)9月16日夜半、和歌山の会場でトルコの「エルトゥールル号」が、折からの台風で遭難。
 乗員600名以上が海に投げ出されます。
 実に、587名が死亡または行方不明。
 山田寅次郎等、地元民による懸命の活動によって、69名が救出されました。
 
 寅次郎は、多くの犠牲者の遺族のことを慮り、義援金集めに奔走。
 今の貨幣価値にして一億円以上を集め、一ヶ月かけてトルコに渡り、皇帝に献上します。
 
 皇帝 「何故日本人は、見ず知らずの異国人に対してここまで優しく接するのか?」
 寅次郎 「それは武士道の精神です。」

 皇帝は感激し、「どうかこのまま留まって、我が国民に武士道の精神を広めて貰いたい。」と懇願。
 寅次郎は、その申し出を受け入れトルコに留まり、十数年に渡って教育に当たったという実話です。

 しかし、130年も前の出来事を、トルコの人々が何故覚えているのか。
 それは、この史実が教科書に載り、累々と語り継がれてきているからです。
 そして、遭難事故から95年後、二国間の深い絆を示す感動的な結末が待っていました。      つづく

心の琴線に響く

 今から20年以上前の話です。
 社内の幹部を対象とする、二日間のセミナーが企画されました。

 当時、現場最前線の自分にとって、それは良いニュースではありません。
 「この忙しい時に、二日間も拘束されるとは・・・。」
 恐らく、受講した殆どの社員がそう思っていたでしょう。

 迎えた当日、席は一番前でした。
 「最悪だ。居眠りもできない。」
 意気消沈し、実に重たい気持ちの中での開講です。

 ところが、開講から閉講までの二日間、居眠りするどころか、身動(みじろ)ぎもせずに聞き入る自分がいました。
 講師の巧みな話術と、目から鱗の話の連続に感動すら覚えます。
 言葉の力を思い知らされ、講師の様に他人に影響を与えられるスピーカーに成りたい、と思った訳です。

 この時、同じセミナーに部下のM氏も参加していました。 
 彼に「どうだった?」と聞くと、予想外の答えが返ってきます。
 「話は上手いですよね。」

 その短い言葉の先にある、彼の本音は推して知るべしです。
 数年前に、某社長から貸して頂いた自己啓発DVDも、自分は素晴らしいと思い、全社員に見て貰いました。
 ところが、後々退職する某社員は、レポートにこう書いて寄こします。
 
 「そもそも、自分はこういうセミナーが苦手である。
 講師の話が流暢過ぎて、胡散臭く感じた。」

 同じ講師、同じ時間、同じ内容を、同じ人間が聞いても、受け止め方はこれほどまでに違います。
 講師のテクニックはどうでも良いことです。
 仮に、話し方が饒舌であったとしても、中身が薄っぺらなら心の琴線は響きません。
 感じ取って頂きたいのは話しの内容であり、同士として共有したいのは価値観です。

人生の楽園のプロセス

 昨今、ワークライフバランスという言葉が独り歩きしています。
 仕事とプライベートの時間をきっちり切り分ける考え方は、必ずしも間違っているとは思いません。
 しかし、実際にはそう単純ではないでしょう。

 若くて未熟な頃は、ただがむしゃらに仕事をして、知識や経験やスキルを身につける。
 5年、10年と経過すれば、何とか一人前と認めて貰う様に成る。
 そして、家庭を持つ。
 子供が大学に進学する頃には、家計支出もピークを迎える。

 丁度その頃、備わった能力に相応しい責任あるポジションを任され、仕事そのものを楽しめるようになる。
 その責任に応じて、待遇も改善されていく。
 やがて定年を迎え、経済的ならびに時間的な余裕を得て、充実した人生の第二幕を歩む。
 TV「人生の楽園」に取り上げられるのは、概ねこのプロセスを乗り越えてきた人達です。

 人生80年の中で、思いっきり仕事できるのは半分程度。
 つまりワークライフバランスは、終活部分を含めて初めて帳尻が合います。 

 若くて未熟な段階で、ワークライフのバランスを保とうとするなれば、なかなか能力は高まりません。
 家庭を持っても収入が追い付きません。
 定年退職しても、働き続けざるを得ません。

 世間の誤った煽動に振り回されない様に。
 経済的な余裕、安定あってこそのワークライフバランスです。
プロフィール

Hideo Matsuoka

Author:Hideo Matsuoka
・生年月日 昭和37年10月30日

・好きな言葉 
今日は残された人生の最初の一日

・信条「先憂後楽」

・尊敬する人 
稲盛和夫 西川広一 松下幸之助

・資格 ①宅地建物取引士
    ②建築2級施工管理技士
    ③マンション管理業務主任者
    ④防火管理者
    ⑤少額短期保険募集人
    ⑥損害保険募集人
    ⑦損害保険商品専門総合
    ⑧不動産キャリアパーソン
・趣味
 劇団AUGAHANCE初代代表
 主に脚本・演出を担当

・経歴 
 中卒後、大工・石工と職人道を歩む
 平成2年 
 ㈱中岡組 (ジョーコーポレーション)入社
 マンション担当役員→常務執行役→管理会社代表を歴任
 平成21年 ㈱NYホーム起業

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