なりたい職業
毎年、ら発表される子供達が「将来なりたい職業」。
「ユーチューバー」「プロゲーマー」「プログラマー」「ゲームクリエーター」「ゲーム実況」・・・。
「ユーチューバー」「プロゲーマー」「プログラマー」「ゲームクリエーター」「ゲーム実況」・・・。
どうやら今の子供達の夢は、モニター画面の向こう側に在るようです。
我々が子供だった頃も、ブラウン管の向こう側に思いを馳せていました。
「プロ野球選手」「パイロット」「漫画家」・・・。
また、親が大工なら大工、会社員なら会社員といった具合に、親の職業を踏襲する保守的な傾向も強かったと記憶しています。
子供心の移ろいは、時代の変遷ですから仕方ありません。
但し、何となく自分は、この子達が背負って立つ日本の将来を憂います。
職業観や国の社会保障制度も大きく変わりました。
学校を卒業し就職した時点で、終身雇用が前提。
年功序列のエスカレーターを踏み外さない限り、生活は安定。
年功序列のエスカレーターを踏み外さない限り、生活は安定。
退職時には、まとまった退職金を手にし、
数年後からは年金によって、悠々自適な老後が確約される・・・。
数年後からは年金によって、悠々自適な老後が確約される・・・。
こうした人生プランも、今や夢物語です。
半世紀前は10人の働き手が1人の高齢者を支えていましたが、今は2人で1人。
年金だけで支え切れないと悟った国は、国民にNISA等の投資を推奨しています。
国が奨めることで、投資に対する心理的ハードルが下がったからか、
年金だけで支え切れないと悟った国は、国民にNISA等の投資を推奨しています。
国が奨めることで、投資に対する心理的ハードルが下がったからか、
自分の将来は自分で守らなければならないと、自覚に目覚めたからか、
「仮想通貨」「暗号通貨」一周回った「ネットワークビジネス」等、有象無象のトラップが急増しています。
「仮想通貨」「暗号通貨」一周回った「ネットワークビジネス」等、有象無象のトラップが急増しています。
詐欺に引っかかるのはお年寄りだけではありません。
寧ろ、国に絶望し、将来を悲観する若者が、格好の餌食に成りつつあります。
「楽して儲かるウマい話は無い」
世の中の原理原則だけは、見失わないで頂きたいものです。
世の中の原理原則だけは、見失わないで頂きたいものです。
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幸福度ランキング
世界幸福度ランキングが発表されました。
我が国日本はというと47位。
上位には、日本よりも貧しい国がずらりと並んでいます。
我が国日本はというと47位。
上位には、日本よりも貧しい国がずらりと並んでいます。
幸福の捉え方は主観的で、歴史や環境や文化によって異なるため、数値化や順位付けは極めて難しいものです。
特に日本人は中流意識が強く、中央値に近い回答が好まれがちで、幸福度が高く成り難い傾向があります。
私を含む戦争を知らない世代にとって平和も安全も豊かさも当たり前であり、それだけで「幸せ」とはならない訳です。
日本人の殆どが、命を脅かされる危険や食うや食わずの貧困を知らない、本来それだけで感謝すべき当たり前のポジションから幸福像を想い描きます。
例えば、巨万の富を築いた方が、豪邸に住まい、高級車を乗り回し、365日豪勢な食事に舌鼓を打ったとしても、それだけで幸福だと思えるでしょうか。
欲望の器は、満たされる程に大きく成っていきます。
破綻や転落等、失うことへの恐怖心に苛まれたりもします。
「もっともっと」とエスカレートする欲求は、財産を食い潰すか身体を壊すまで止まりません。
「もっともっと」とエスカレートする欲求は、財産を食い潰すか身体を壊すまで止まりません。
一方、充分な蓄えもなく、隙間風の入る家に住み、ボロボロの車に乗り、貧相な身なりをして、日々粗食で生き凌ぐ人を見て、「不幸だな」「ああは成りたくない」と評されたとしても、本人の心は意外と幸福感に満たされていたりします。
勿論、幸せな人生を歩む上で、物質的な豊かさも必要なファクターの一つ。
そのためには、ある程度の経済的なゆとりも必要です。
そして、その経済的なゆとりを得るためには、そこそこ仕事も頑張る必要がある。
しかし、あくまでもそれは手段であり、手段と目的とが取り違えられない様に自制すべきでしょう。
改めて幸不幸は、客観視される事象そのものではなく、己の心で感じるものです。
空腹は三ツ星シェフ
幼少期は、どちらかというと貧しい方でした。
勿論、下を見ればきりはないのでしょうけれど、エンゲル係数の高さは、クラスでも突出していたと思います。
父親が結核で倒れ、生活保護のお世話になった中学校時代は・・・。
・ 制服以外の服は買えない
・ 月末には冷蔵庫の中に食材が無い
・ 旅行は勿論、外食は一切無い
・ TVや自転車が壊れても買い替えられない・・・
父子二人が、玉ねぎ一個で一日をしのぐこともありました。
生きていく上で必要とされる衣食住の内、やはり食は切実でしょう。
当時、通学路にあった和菓子屋の前を通る度に、「大人に成ったら桜餅を腹一杯食べたい」と思ったものです。
時は流れ、とりあえず満腹に成るだけの桜餅を買える様にはなりました。
しかし、あの時代に培われた貧乏性が、大人に成ってからも抜けきりません。
スーパーでもレストランでも、知らず知らずリーズナブルさを追求してしまいます。
割引やおつとめ品にも、人一倍敏感です。
因果なもので、満腹まで食べることには、罪悪感すら覚えます。
結果的にそれが、腹八分目の実践と成り、体型や健康の維持にもつながっているようです。
日曜日の夕方「ベスコングルメ」というTV番組を御存じでしょうか。
出演者は数km先にある飲食店のゴールを目指して、飲まず食わずで歩き続けます。
道中、商店街で店頭売りしている焼き鳥やメンチカツや唐揚げ等のビジュアルや匂いに翻弄されながら、我慢と辛抱を積み重ねることで、次第にベストコンディションに仕上がっていく。
やっとの想いで辿り着いたゴールで飲むビールとグルメは、まさしく極上の味わいです。
満腹で食べる1万円のステーキに、ベスコンで頂く50円のコロッケは勝ります。
朝起きたら朝食、正午に成ったから昼食、帰宅したら晩酌と夕食。
満腹で食べる1万円のステーキに、ベスコンで頂く50円のコロッケは勝ります。
朝起きたら朝食、正午に成ったから昼食、帰宅したら晩酌と夕食。
一日三食が、単なる惰性だとしたら実に勿体ない。
空腹は三ツ星シェフです。
グラスシーリング
昨日の拙文は、役員の責任と覚悟について綴っています。
政府は東証プライム企業に対し、2025年度を目途として、最低1人は女性を役員に登用する、努力義務を課す方針を明らかにしました。
とまあ、この一文だけでも突っ込み所が満載ですが、それは後々述べていくことにします。
優良上場企業における、女性の役員比率はというと・・・。
仏 45.2%
英 40.9%
独 37.2%
米 31.3%
日 11.4%
改めてグローバルな視点で比較すると、日本企業の女性役員の少なさは否めません。
しかし、そう成るには、そう成るだけの理由があります。
しかし、そう成るには、そう成るだけの理由があります。
例えばイギリスでは、「取締役会の構成は40%以上が女性」というのが上場基準。
加えて、年次報告書で人数構成を開示する必要があり、40%未達の場合は説明が求められる。
つまり、事実上義務化されているからこそ、高い水準が保てていると言えます。
欧米諸国に立ち遅れた日本が打ち出す初手とは言いながら、罰則規定の無い努力義務で、どこまで浸透するかは甚だ懐疑的です。
それ以前に、役員が数合わせのノルマによって登用されるのは如何なものかでしょう。
役員に必要なファクターは幾つかあります。
・ 心身ともに健康である
・ 優れた能力を備えている
・ 相応しい人間性を有している・・・
そして何よりも、本人の意欲と覚悟です。
これまでの経験を通して言えることは、役員を引き受けるだけの意欲と覚悟を持った女性は、極めて少数派でした。
平たく言うと、首に縄をつけて水飲み場まで連れていくことはできても、その水を飲むか否かは当人の意思次第です。
長年培われてきた偏見や差別意識等の、悪しきパラダイムに支配された職場環境が女性の上昇志向に水を差し、見えない天井に阻まれていたとすれば、遅まきながらも今回の改正をきっかけとして、改められるべきでしょう。
繰り返しになりますが、グラスシーリングを打ち破るために必要な最後の一撃は、当人の意欲と覚悟です。
情実のものさし
30年以上に及ぶビジネスマン人生は、大小様々な法人に携わらせて頂きました。
有限会社、株式会社、公益法人
そして、在籍期間の殆どは役員を務めています。
取締役、執行役、理事、監事
登記されない執行役員の時代も含めますと、役員で無かった期間は数年だけ。
幾つかの組織の役員を兼務していた時期も少なくありません。
サラリーマンのゴールとも言われる役員の座は、それなりにステータスがあります。
一般社員に比較すれば、報酬も待遇も破格でしょう。
本日ここで、声を大にして申し上げたいのは、その見返りとして求められる役員の責任です。
例えば役員会において。
・多大な損失を被ることが予見されるにも関わらず、突っ走ろうとしている
・コンプライアンス違反に気付きながら、企業ぐるみで隠蔽しようとしている
こうした事象に直面した時、影響力のある上席の声に流され、長いものに巻かれる役員。
また、せめてもの抵抗から、多数決において賛成も反対もせず、棄権を決め込む役員。
この方々は何れも、株主代表訴訟が起こされた際、善管注意義務を怠った被告の一人として裁かれることになります。
おまけにこのリスクは、有償、無償に関わりません。
即ち、公益法人等で無給で働くボランティア理事であったとしても、全く同様の責任が問われます。
「自分は末端の役員で、仔細は知り得なかった。
直接手を下した訳でもなく、単に巻き込まれただけ。」
どこかで聞いたことのある台詞ですが、その組織で起こる全ての事象において、役員は傍観者ではなく当事者です。
時の権力に逆らうことで、降格、左遷、解任されてしまう可能性が有ったとしても、是々非々で判断し、間違いは間違いと進言するだけの覚悟の無い人間は、役員を引き受けてはいけません。
最後に、くれぐれも誤解なきよう。
一連の話は四角四面の法律論であり、固いとか柔らかいとか、協調性が有るとか無いとか、融通が利くとか効かないとかいった、情実のものさしとは全く別次元の話です。
一連の話は四角四面の法律論であり、固いとか柔らかいとか、協調性が有るとか無いとか、融通が利くとか効かないとかいった、情実のものさしとは全く別次元の話です。